映画『ボーダーライン』作中における「フアレス・シークエンス」の構成を分析&解説(ネタバレ有り)

ドゥニ・ヴィルヌーヴ監督作品『ボーダーライン』についてのレビューです。 麻薬戦争を描いた重厚な犯罪映画として評価の高い本作でも特に秀逸な「フアレス・シークエンス」について分析、解説を試みました。  ※大いにネタバレを含みますので未見の方は注意
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狂猫病 @kyobyobyo2

映画『ボーダーライン』では、「五幕構成」という現在の商業映画の主流からすると一風変わった構成法が採用されている 脚本テイラー・シェリダンによる、非常に野心的な試みと言えよう 今回はその五幕のうち、第二幕の主要部を占める「フアレス・シークエンス」について分析と解説を試みる

2020-03-28 23:20:43
狂猫病 @kyobyobyo2

『ボーダーライン』全体は五幕構成として見ることができるが、「フアレス・シークエンス」についてはかなり厳密な三幕構成だ これは監督ドゥニ・ヴィルヌーヴ、あるいは編集ジョー・ウォーカーによる調整の結果であると推測できる

2020-03-28 23:25:56
狂猫病 @kyobyobyo2

「フアレス・シークエンス」は作中において24分17秒から39分23秒まで、約15分6秒にわたるアクション・シークエンスだ シークエンス内の場面分割についてはどれくらい細かく分けるかで諸説あるだろうが、ひとまず以下の16シーンとした

2020-03-28 23:29:46
狂猫病 @kyobyobyo2

第一幕(約3分51秒) ①フアレス遠景(24:17 - 25:22) ②車中 タフトの話題(25:23 - 26:13) ③国境通過(26:14 - 27:06) ④メキシコ警察合流(27:07 - 27:48) ⑤ペロタ(27:49 - 28:07)

2020-03-28 23:34:25
狂猫病 @kyobyobyo2

第二幕(約7分22秒) ⑥吊るされた死体(28:08 - 29:08) ⑦車中 停止(29:09 - 29:57) ⑧下降(29:58 - 30:51) ⑨裁判所(30:52 - 32:23) ⑩市中(32:24 - 33:01) ⑪国境通過(33:02 - 33:35) ⑫停止 敵発見(33:36 - 35:29)

2020-03-29 03:01:08
狂猫病 @kyobyobyo2

第三幕(約3分53秒) ⑬犬 緊張(35:30 - 36:09) ⑭車外へ 戦闘(36:10 - 37:16) ⑮撤収(37:17 - 37:53) ⑯基地(37:54 - 39:22)

2020-03-29 03:02:10
狂猫病 @kyobyobyo2

ミッドポイントは⑨裁判所のシーンで、アレハンドロがケイトに忠告する時点だろう アクション・シークエンスとしては全体的に落ち着いた場面が多いにもかかわらず、この「フアレス・シークエンス」は途轍もなくパワフルに仕上がっている 物語内部にどのような仕掛けが施されているのか分析していこう

2020-03-28 23:48:41
狂猫病 @kyobyobyo2

まず、作中におけるこのシークエンスの主目的は「重要容疑者の、メキシコからアメリカへの移送」である このシークエンス直前のブリーフィングで言及されているとおり、また観客が期待しているとおり、この移送にはカルテルからの襲撃が予想されている 想定襲撃地点は、裁判所あるいは国境とのことだ

2020-03-28 23:55:31
狂猫病 @kyobyobyo2

そしてこのメインストーリー「移送と襲撃」という骨組みに肉づけされているサブストーリーが、ふたりの主人公ケイトとアレハンドロの、それぞれの内面と背景である 15分という短いシークエンスの中で、このサブストーリーはほとんど言葉を使っては語られることがない

2020-03-29 00:03:56
狂猫病 @kyobyobyo2

制作陣は、表情・カメラワーク・音楽といったすべてを駆使し、まさに「アクション」としてこのストーリーを雄弁に表現してみせている 台詞は必要最小限でありながら、当シークエンスには非常に情報量が多い この凝縮された情報の連続性が、シークエンスの重厚さを作り出している

2020-03-29 00:11:47
狂猫病 @kyobyobyo2

エミリー・ブラント演じるケイトの内面は、その表情によって明快に表現されている 観客の多くが感情移入している彼女の眼からすると、フアレスにおける任務は「地獄巡り」に他ならない ケイトはフアレスという「地獄」の有様に驚き、怯え、戸惑い、そして理不尽な暴力を目撃して怒りを発露させる

2020-03-29 00:20:25
狂猫病 @kyobyobyo2

山に書かれた文字には 「聖書は真実なり 読むべし」 とある pic.twitter.com/FQywKY3N9a

2020-03-29 02:17:45
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狂猫病 @kyobyobyo2

この地獄巡りの水先案内人を務めるのが、ケイトとアレハンドロの車両に同乗するスティーヴ(眼鏡のCIA)だ スティーヴはしばしば軽口のような小話を披露するが、この言葉には車内の誰からも反応を返されない シークエンス内での彼の役割は、観客に対する案内でもあるからだろう

2020-03-29 00:27:57
狂猫病 @kyobyobyo2

スティーヴによる最初の小話、タフト大統領暗殺未遂についてはフアレスの危険性を示すためのものだ(4000人の兵隊に守られていた大統領が殺されかけた地へ、彼らは30名足らずで踏み込もうとしている) そして⑦車中から停止中に至るシーンでのスティーヴには、アレハンドロがわずかに反応する

2020-03-29 00:34:25
狂猫病 @kyobyobyo2

麻薬取引に関わった人間を惨殺し、首を切断した上で高架下へ吊るすという非道なやり口を「賢いやり方だ」と称賛するスティーヴに、アレハンドロはいかにも不快げに溜息をつく 直後、銃撃音によって停止した車内からの、アレハンドロを捉えるカメラワークに注目だ

2020-03-29 00:41:50
狂猫病 @kyobyobyo2

どこか不穏な気配を漂わせるBGMとともに、カメラは車外の壁に貼られた女子供のポスターへピントを合わせる 物語を最後まで観た観客にはわかっていることだろうが、これは文字通り、アレハンドロの「背景」を示している 彼は妻子をカルテルに惨殺されている pic.twitter.com/aMjO1gXpul

2020-03-29 00:45:34
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狂猫病 @kyobyobyo2

作中で自らの過去について、アレハンドロが語ることはほとんどない 自分の過去から眼を背けようとするかのように、彼はわざわざ視界の悪い左側から背後を振り向く 初見の観客がこのシーンの暗示するものを明確に掴むことはないだろうが、必ず何かは潜在意識へと刻み込まれている

2020-03-29 00:51:24
狂猫病 @kyobyobyo2

ベニチオ・デル・トロ演じるアレハンドロの抱える内面性の闇が、『ボーダーライン』の物語全体と「フアレス・シークエンス」を奥深いものにしている pic.twitter.com/Jq0kUWd2Uy

2020-03-29 02:25:46
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狂猫病 @kyobyobyo2

⑨裁判所は、地獄の底へと下りきって、三途の川(ダンテの『神曲』に倣うならばアケローン川か)を思わせる水たまりを越えた先にある このシーンのミッドポイントであるアレハンドロの「忠告」は作品のテーマ上、非常に重要なものだが、残念ながら日本語字幕ではわかりにくいものになってしまっている

2020-03-29 00:57:38
狂猫病 @kyobyobyo2

アレハンドロの台詞をできるだけ忠実に訳すと以下のようになるだろうか 「ここでは何も起きない」 「仕掛けてくるなら国境だ」 「メキシコ警察に気をつけろ。ずっと”いい奴ら”のままだとは限らない」 特に重要なものはもちろん最後の台詞だ

2020-03-29 01:04:36
狂猫病 @kyobyobyo2

まず表面的には、このシークエンスのクライマックスで、メキシコ警察(あるいは偽装した襲撃者)からケイトが銃撃されることへの伏線だ そしてこの言葉は、「正義と法の執行者たちが、暴力の応酬の中でモラルを失っていく」という作品全体のテーマにもかかっている

2020-03-29 01:09:11
狂猫病 @kyobyobyo2

他ならぬアレハンドロ自身が、ケイトに対して「いい奴」ではなくなってしまう 物語終盤で彼はケイトを銃撃し、さらには銃を喉元に突きつけて脅迫までする すべてのキャラクターにおいて善悪の境界線が曖昧になっていく過程は本作のテーマであり、物語としての大きな魅力となっている

2020-03-29 01:17:08
狂猫病 @kyobyobyo2

容疑者を収容し、裁判所を出るとBGMが一気にテンションを上げてくる(スティーヴは「勃起してきた」とまでのたまう) 警察車両が「監視車」として露骨に警戒される状況で、ケイトの困惑は観客と一致することだろう しかしアレハンドロの言葉どおり、国境通過まで襲撃はない

2020-03-29 01:23:42
狂猫病 @kyobyobyo2

どこか安堵したようなケイトだが、おそらくはカルテルの工作による故障車両のために、国境間で車列は足止めされてしまう 的確に敵車両を発見していくアレハンドロたちに対し、ケイトはまったくの無力で、能力不足をさらけ出している

2020-03-29 01:26:36
狂猫病 @kyobyobyo2

⑬犬がせわしなく鳴き声を上げるシーンは、⑤フアレス市民がのんびりとペロタ(手で行う、スカッシュに似た球技)に興じているシーンとの対比だ 両者とも幕の切り替わりであることは共通しているが、それぞれの音のリズムの違いが観客へ与える緊迫感の差となっている

2020-03-29 01:30:53