週末研 #防護服花見

新型コロナウイルスの蔓延により外出自粛要請が出ているなか、防護服とかぶり面をつけて花見をしてみました
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てらまっと𝕏 @teramat

明日は防護服とかぶり面をつけてお花見する予定です。かぶり面はまだ数に余裕があるので、防護服持っていて参加したいという方は連絡ください pic.twitter.com/LHsSGDzYSx

2020-04-04 23:12:24
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てらまっと𝕏 @teramat

週末研史上最少人数での開催になりそうでさびしいけれど、みんな家族や会社や世界のために泣く泣く断念したのだと思うことにする

2020-04-04 23:46:16
てらまっと𝕏 @teramat

世間では政府の自粛要請に従い外出を控えるのがよき社会人の務めとされているけれど、もっとこう、戦争反対みたいなノリで、ウイルスへの怒りを表明してもいいのではという気がする

2020-04-05 00:51:11
てらまっと𝕏 @teramat

その怒りは往々にして政府の対応への怒りとか、自粛しない人々への怒りにすり替わってしまうのだけど、ウイルス本来の確率的な死という理不尽への、ひいては生そのものの無根拠さへの抵抗としてあっていいものではないか

2020-04-05 01:12:37
てらまっと𝕏 @teramat

「どうせみんないつか死ぬ」という洞察は陳腐だけどやはり重要で、私たちはいつか死ぬ生を日々生きている、というこのやるせなさとどう向き合えるのか、そこからどんな思考や感情が生じるのか、という…

2020-04-05 01:21:37
すぱんくtheはにーMk-Ⅱ @SpANK888

週末研の「花見」に応えて、平日研もなんらかの「花見」を行うことを考えている。2011年は「自粛に抵抗する」部分はあって、今年は「自粛をいかに完遂するか」という方向になるのだろうか。

2020-04-05 00:37:49
Kitagawa Takuya @ktgwtky

私は今の時期に防護服着て花見するのは批評やユーモアとして面白くはないと思う。 やりたいならやればいいので邪魔はしないが、私は全体主義に向かう社会への抵抗として知的であるとも芸術運動の文脈として価値があるとも思わない。だから参加しないのであって社会人として我慢しているわけではない。

2020-04-05 02:00:31
Kitagawa Takuya @ktgwtky

昨今の週末研は一人が言い出してそれにお付き合いする集団になっていてそれもつまらない。 私はそんなものに付き合う気はない。

2020-04-05 02:03:09
Kitagawa Takuya @ktgwtky

余裕を失った世界で新しいモノ、新しい価値を作るにはそれなりの準備と覚悟が必要だ。平時の制度に守られた場所から平時と同じような異議の申し立てをするパフォーマンスは機能しない。 それに参加しないのをラディカルさの欠如と言うのは、それこそが惰性に満ちた物言いであると私は考える。

2020-04-05 02:10:13
Kitagawa Takuya @ktgwtky

自分の思いつきに賛同しない人間は自粛要請という同調圧力に屈した体制側の人間である、という主張は本来関係のない前段と後段の結合を自明視している。 露悪的な手段に賛同しないと言っているのであって、同調圧力に屈せよと言ってるわけではない。

2020-04-05 03:59:09
Kitagawa Takuya @ktgwtky

露悪的なパフォーマンスが批評として面白いのは、日常的に反復される構造的な暴力を暴き、切断する点にある。 それは繰り返す制度を前提としているのであって、その前提が変質した社会では切断する表現自体も内在的に変質を要する。今回は平時に有効な表現との変質がゼロで、そこに思考停止がある。

2020-04-05 04:05:22
Kitagawa Takuya @ktgwtky

つまり手法の選択が雑であるという話。 数年前ならその表現で良かったが、今の社会の状況で数年前と同じ表現では、あり得たかもしれない世界の提案になっていない。Aの否定がそのままA'の否定にスライドするわけではないという点が省みられていない。 花見をする点は良いがディテールに賛同できない。

2020-04-05 04:15:50
Kitagawa Takuya @ktgwtky

感染防止という意味で防護服もかぶり面も意味はない以上、それがあり得たかもしれない世界の表現で古い露悪さを持つものでないという主張は通らない。 いま露悪性を突き詰めるなら納体袋に入るとかいう方向性で、露悪性を排除するなら過剰に合理的なスタイルでなければならない。今回はそれがない。

2020-04-05 04:24:03
Kitagawa Takuya @ktgwtky

防護服のパフォーマンスは全く危険な水準にない放射能を恐れる社会を批判し暴く構造を持っていた。 今回は当時の放射能とは性質が異なる。である以上、そのまま流用はできない。表現の細部を変更しなければ違う意味を生み出し、意図した意味を表現できない。

2020-04-05 04:31:35
Kitagawa Takuya @ktgwtky

これは表現細部の意味にこだわるデザイナーとしての視点なのかもしれないが、白ければ全て同じ壁というわけではなく違う意味を持ってしまう。 塗装なのか、漆喰なのか、クロスなのか、艶消しか、下地処理は何か、他の要素との文脈から得られる意味をどう調整するか。 それらによって全く違う壁になる。

2020-04-05 04:37:14
Kitagawa Takuya @ktgwtky

かつて我々は福島原発の避難区域を訪れて花見をする、というのをやったが、間違ってもそこで防護服を着ることはなかった。 防護服を着たのは東京の桜の花びらで「汚染」された公園で、そこから花びらを正方形に取り除いた。 いま東京で着ることは福島花見で着るようなものだ、と言えばわかりやすいか。

2020-04-05 09:41:08
Kitagawa Takuya @ktgwtky

私は自粛要請の中を出ていって花見をすることに賛同できないのではなく、そこで防護服を着ることに賛同できないんだよね。 それは権力構造への抵抗ではなくなってしまう。避難区域と同様に花見を奪われた人達を傷つけ、さらに奪う側に立つ意味を持ってしまう。

2020-04-05 09:47:43
Kitagawa Takuya @ktgwtky

共同体の危機における私権制限が贈与か交換か搾取か、と言えば間違いなく搾取で、今日本で問題になってるのは自粛という形で自己責任化して贈与を強制する「再分配なき搾取」になっている点だろう。 強制の主体がネーションである以上そこには権力構造が存在する。

2020-04-05 10:56:54
オガワデザイン @ogawads

今日の週末研の防護服花見には賛同出来ない。花見2.0が持っていた社会や空気に対する緩やかな反抗のような批評性が感じられない。一人の友人として、てらまっとさんやワクテカさんの健康(ぶっちゃけて言えば、感染と死)を案じているので、止めて欲しい。闘う相手や闘うべき時期はこれからもある。

2020-04-05 02:53:42
オガワデザイン @ogawads

相手はパフォーマンスが通じる人間ではなく、ウイルスなのだから、通じないものに怒りをぶつけるという姿勢は結局は何か他の人間や組織に怒りをぶつけるということと変わりが無い。人間は地震を憎めない。地震の時に冷たい対応をとった人間を憎むのだから。

2020-04-05 02:57:43
オガワデザイン @ogawads

そりゃ、自宅にこもっていてもいつかは感染する訳ですよ。6~7割が感染しないと終息しないのだから。ただ、社会に対してマシな感染とそうでない感染(時期やら規模やら)はあると思う。

2020-04-05 03:00:44
オガワデザイン @ogawads

アレを肯定しちゃうと、なんだ防護服を着ることや防護服のビジュアルが面白かっただけなのか、ということになってしまう。防護服がリアルに機能しない世界だとそれはフィクションとリアルの混じり合うことで批評性が出たんだと思う。だけど→

2020-04-06 12:01:53
オガワデザイン @ogawads

今はむしろ何も着ない方が批評性を持っちゃう。ただ見た目は何も考えてない人と変わりが無い。そこをどうカタチに落とし込むかが表現なんですよね。これは多分相当の難題で、ちょっと考えたくらいじゃ上手い表現が見つからない。本職の現代美術の人が上手く反応できないのもそのあたりなんだと思う。

2020-04-06 12:03:41
オガワデザイン @ogawads

上手くカタチに落とし込めないものは公開しない方が良いのでは、というのカタチを作ることしか出来ない(そこしか評価されにくい)、デザイナーの職業病かもしれないが。

2020-04-06 12:13:59