誰も語らなかった『ポピーザぱフォーマー』制作秘話―デジタル製作チーフかく語りき―

以下の文章は2018年に『ポピーザぱフォーマー』監督の増田龍治氏インタビューがニュースサイトで公開されて話題になった時、元瑞鷹のCGデザイナー村井昌平氏(※本作のCGは途中まで彼1人が社内で全て作っていた)がTwitter上でひっそりと明かした制作秘話です。大変興味深い内容なので書き起こしてみました。また監督のインタビューを補完する内容にもなっているので増田氏の証言と併せてご覧ください。
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ついでにポピーの音楽では多くの人が疑問に思っているであろうロアの曲との類似性ですが、あれはパクリとかそういうのではなく、ガムラン(民族音楽)の旋律です。前に音楽将軍に聞いた所、買った音源の著作権フリーの素材の中にガムランがあり、それをアレンジして作ったのがポピーの劇中曲。ロアの曲も同じ素材を使って作ったのではないか、という事でした。

ポピーのタイトルですが、決定には実は自分も噛んでいます。仮題のポピーザクラウンから正式タイトルを付けなきゃいけないという段で、魔王だったかダ天使だったかが出したタイトルが「ポピーのトラウマ大サーカス」で増田さんが「それは無い」と言って候補を沢山送って来ました。自分がその中で「ポピーザぱぁフォーマー」というのから、長いのでパフォーマーにしつつクルクルパーを強調するのにトイザらスのように一字だけひらがなで可愛さキャッチーさを演出、「ポピーザぱフォーマー」としたところそれに決まりました。

タイトルロゴは若子さんが作った物をマキプロできちんと清書してもらいました。この辺すごく普通のアニメっぽいですよね。

村井 昌平 @murai_shohei

これもしかしたら鋭いかも。ポピーを作る時にイメージの参考にしてた曲の中にChina DollsというグループがいるのだけどこれはNeko Jumpと同じくタイのアーテイスト。 youtu.be/S4k4nvTPjYI youtu.be/nVgukB4pmD4 youtu.be/yFy3eLdBoV0 他に参考にしてたのはDr Bombay メテオール 李博士etc... twitter.com/kazumasato9337…

2019-10-05 17:25:35
マユゲ・デラックス @kazumasato9337

@nijibashiri 最初のテレレッテッテッでピンと来ますよね。 余談ですが、あにゃまる探偵キルミンずぅと言うアニメがありまして、そのOPのPooと言う曲も、ポピーtheクラウン臭がします。

2019-10-05 00:09:20
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村井 昌平 @murai_shohei

当時BGMにして聴きながら仕事してたし多分音楽将軍にも渡してたはずなので、これらの曲のポップでとぼけた雰囲気は作品本体や楽曲にも影響してると思います。これは完全に制作ダ天使の好みによる選曲ですが、この辺の曲は個人的に今でもとても好きです。

2019-10-05 17:33:09

制作について

2話の製作が終わった頃にOP曲とED曲の完成版が出来、金曜日の夜10時頃に吉田さんから「やっとOPのコンテ出来たよー」と渡され、「収録は月曜日だからそれまでに作ってね。じゃ!」と全員帰ってしまい、土日一人でOPの映像を作りました。月曜日になってもEDの映像をどうするか決まってなかったので任せてもらい、半日でED映像を作りました。あれはカーテンコールのイメージですね。1話2話の劇中音楽が他と違うのは、その時点ではまだ青柳さんの声の入ったメインテーマが出来てなかったからです。

ちなみに各話の編集作業は朝から始めて土壇場の修正作業も並行しつつ夕方には終わります。

出来たらCDに焼いた映像をバイク便で音楽将軍に届けます。音が出来たら何話かまとめて円谷映像の出力参謀にベータカムで出力してもらい、キッズステーションに納品となります。

一話のCGを作るのにかかる日数は9~14日程。一日のカット数のノルマは7カット前後。コンテと音楽と出力以外は自分がやってました。10話から後はここに伊藤君(CG黒子)が加わります。

あと制作ダ天使にレンダリング後の映像に被写界深度やエフェクトをかけたり、小物類のモデリングをかなりやってもらっていました。

一週間に一本新作を放送するのですが、そのペースでは作れないので、1クール13本のうち半分を先に作ってからスタート、2週間に一本のペースで作り、最終話で追い付くというスケジュールでした。幸いな事に全39話一度も落としませんでした。ただ実は一回だけ落ちた事があります。キッズステーションの番組担当者が1クールを12本だと勘違いしたために納品したテープが机の上で忘れられていたそうです。掲示板を見ると楽しみにしていた視聴者の方に「CGは大変だからね。仕方ないね」って言われてて泣きそうになりました。

最初は1クール分の13話で終わる予定でしたが、好評だったのでもう1クール、さらに1クールと2回延長して合計3クールになりました。

あと当時CMやアイキャッチ、カウントダウンの番組などもありました。初期のアイキャッチなどでは他の会社にモデルごと渡して作ってもらったりしていました。かまくらの奴は自分ですね。あとカウントダウンの時には増田さんがステインで忙しくて出来ないと言われたので仕方なく自分が全部作っています。いろいろ酷いと評判のようです。マラソンのみ伊藤君にアニメーションをやってもらいました。あと地球が壊れるカウントダウンも伊藤君ですね。

無声で作るという事

無声でやる以上、全ての説明を表情や目線や身振り手振りで表現しなければなりません。これは大変でしたが、動きで表現するというのはアニメーターの本分でもあり、面白くやりがいもありました。

必然的にトムとジェリーみたいな感じになりますが、ついでに自分は日本人流のカートゥーンを新たに作るつもりで作っていました。これは上手くいったのかどうか…フォロワーは無いような気がします。けものフレンズはサーバルちゃんが車にはねられたり、後頭部を蹴られて地面を転げ回る所で吹き出しましたが、あれって多分ポピーのオマージュ的なやつですよね。違うかな?

説明を台詞に頼れない分、感情の表現力をあげる必要があったため、表情には非常に注力しました。

このあたりは制作陣との話し合いで出てきた事ですが、「少人数で非力な生産能力で目立つ作品を作る為には全てに力を入れるのではなく取捨選択が重要になる。目立つ部分、重要な部分にパワーを集中して作ろう。」ということで、それは表情であるという結論になりました。実際キャラのポリゴンからしても全身のポリゴン数の約半分が顔面に集中しています。まばたきや視線も大変重要な部分で、その為の簡単なリグを組んでサッケードなど、Dodgeの分類した眼球運動(というものがあると後に知りました。「眼球運動の分類」でWikipediaを探してみて下さい)を意識した動きをさせていました。

これに首の傾きや瞬きのタイミングを合わせることでかなり生きた感じを出せるようになったと思います。

ケダモノはお面なので表情は手描きですが、適当な感じを出すため、ペンタブはあるのにわざとマウスで描いてました。相当な数描いたと思います。ちなみに設定としては無いですが、CGモデルのケダモノはお面を外して正面から見ると間抜けで可愛い顔をしていますよ。見せられないけど。

当時は参考に出来るキャラクターCGアニメーションがまだトイ・ストーリーぐらいしか無かったので全てが手探りで試行錯誤しながら作っていました。台詞が無いおかげで、言葉の違う国や耳の聞こえない人にも楽しめるという話を後で聞き、なるほどそういえばそうかと納得しました。

残酷表現について

これは増田さんの作品では避けて通れない所があって、ギャグとしてやってるので外せなかったりするのですが、決して積極的に流血させたりしていた訳ではなく、出来る限り抑えて子供向きに配慮していました。抑えた結果があれです。一応なるべく鼻血ですませたり、額から垂れる程度にしてはいます。体が半分になっても流血しませんしモツも出ません。断面もパンみたいな感じです。制作者側としてはポピーでは残酷さは決して売りや目的ではないんです。ギャグの結果そうなるだけなのです。血はなるべくテクスチャーだけにしてリアルさを抑えるようにしていました。

よくトラウマだとか残酷だとかグロいと言われてますが、面白がって褒め言葉のつもりで表現したのがまともに受け止められて一人歩きしてしまってるような気がします。頑張って抑えてるからそこまででは無いんじゃないかなあ。どうでしょうか。

放送禁止について

よく放送禁止と言われてますが、放送禁止ではなく、キッズステーションでの再放送の自粛です。どの話も少なくとも一度は放送されています。キッズステーション以外にもTVK(テレビ神奈川)など地上波でも放送されていてこちらは自粛はされていなかったと思います。

11話と27話ですが、一応どちらも理由は刃物を使うからとなっています(厳密に言うとほとんどの話が放送出来ないと思いますが…)。

11話の音楽が独特なのと声が入っているのは手塚さんがついノリ過ぎてサービスし過ぎたせいです。自分もあの回は流血をサービスし過ぎました。まあコンテ通りに作ったんですけど…。27話の自粛はちょっと不本意です。ラストが悪かったんですかねえ…

声と言えばカエルですが、あれはプロの声優さんに頼んでちゃんとスタジオで収録しています。

ポピーが動き出すまで

自分はフリーターやりながら趣味で絵を描いたりゲーム作ったり山に登ったりしながらふらふらしていた所、全財産の2000円の入った財布を落としてしまい、戻っては来たもののこのままではまずいと思いゲーム会社に就職。その頃、先輩後輩だった自分と増田さん若子さんはタ方の公園で「いつか一緒に何か作ろう」という話をしていました。これが全ての始まり。桃園の誓いならぬ公園の誓い。この話をする為に忙しい真最中の自分を勤務時間中に連れ出した増田さんは後でめっちゃ怒られてました。そりゃそうだ。

ちなみにこの頃自分はナムコミュージアム5のメインホールやワルキューレの部屋やキャラ、ナムコアンソロジー1のレッスルボールのムービーとかを作ってました。この頃、人間のモデリングのコツをつかみました。CGで人間らしい人間を作れる人はこの頃にはまだ少なくノウハウもなかったので、世間に先んじて何かが出来るような予感がありました。その後それぞれ退社。増田さんは無職のまま結婚します。

その後、増田さんがゲーム会社以前に社員だった瑞鷹で当時ハイジのTVアニメのリブートの話(※頓挫したリメイク版アニメはCGアニメでなく手描きのデジタルアニメが予定されており、背景などで一部3DCGを用いることが検討されていた)があり、それに自分が3DCGやデジタル製作のチーフ、増田さんが演出などで参加する予定で自分が先に入社して1年以上かけてデジタル製作の環境を調査して整えていた所、何だかんだあって話は中止になり、自分は東京で、増田さんは実家の熊本で宙ぶらりんの状況になってしまいました。先に吉田さんも同じくハイジの為に呼ばれていたが社内で宙ぶらりん状態に。非常にまずいと思っていましたが、増田さんは自分の計画をねじ込めるチャンスだと大喜び。自分も会社に「せっかく3DCGを作れる環境と人員を揃えたのだから何か作りましょうよ」と説得をするが具体的な話が無いため動けず。しばらくやる事がなくなります。

ちょうどその頃、瑞鷹でCD関係の特許を申請する事になり、その説明書を自分が漫画で描き提出(なぜ?)その実際のCDのサンプルを作る事になりました。熊本の増田家に単身出張して住み込みでやる事に。プログラマーは自分一人。

増田家ではこの少し前に赤ちゃんが生まれていて物凄く可愛かったです。結局半年ほど熊本にいたけど、この間にポピーとケダモノは生まれました。ある日仕事場に行ったら設定画が出来ていました。

見た瞬間に「これはいける!」と思いました。それまで他人のデザインしたキャラで作品を作るのは気が進まないと思っていたけど、見た瞬間そんなのは吹っ飛びました。それだけの力のあるキャラクターデザインでした。自分も世界観の設定画やその他キャラの絵を描き、出来たのが「未来人ポピー」でした。

実は同時期に先に増田さんはこじきの話をやりたいと言っていてそっちの話も進めていましたがこれは瑞鷹内の受けがあまり良くなく、保留にして後に回す事にしました。これが後のステインです

東京に戻った後、未来人ポピーの準備を進めていましたが、かなり作ったところで実際にアニメーションにさせるには背景が重過ぎる事、世界観が落ち着き過ぎて目立たない事から急遽二人のキャラ以外全部変える事になり、なるべく軽く派手にという事で作ったのがサーカスの広場でした。

ポピーは未来人からクラウン(ピエロ)になり、サンプルムービーを作ってみる事になりました。出来たムービーを持って社長が「とりあえず試しにキッズステーションに行ってみるよ」と言って出て行き、数時間後「話決まっちゃったよ」と言って戻ってきました。地獄の始まりでした。

キッズステーションの担当の添田さん(制作大王)は物産会社から出向してきた人で本当なら何年か働いて元の会社に帰るはずが、その間に元の会社が倒産して帰る場所がなくなってしまった可哀想な人です。

ちょうどオリジナルの番組を欲しがっていた添田さんが軽率にポピーの放送を決めてしまったおかげで全てが動き出した。間違いなく恩人です。

しばらくすると添田さんは編成局長を経て社長になっていました。しかし元々他所から出向してきた人で一匹狼。社内の派閥争いの中では厳しい立場にありました。キッズステーション制作アニメの流れを作った添田さんの力を削ぐ為に対立する派閥にスケープゴートとして目を付けられたのがポピーでした。おかげで何度も無理難題を押し付けられる羽目に。

ポピーの手を5本指にしてくれというのもそうで、出来なければ放送はさせないと言われ、自分などは本当に頭に来てしまって、「そんな事を言われながらやる事は無い」と言ったのだけど、社長(制作魔王)に「添田さんは恩人だし出来る限り何とかしたい」と言われ、それもそうだと考え直し、全員で必死に頭を捻った結果出てきたギリギリの妥協策がアレでした。ウルトラCだと思う。

しかしその後もずっと指に切れ目を入れさせられ、自分としては非常に不本意でした。OPを変更する回があったのも実はこれ絡みで、ポピーの手袋を脱がせてちゃんと5本指な所を見せて欲しいと言われて、やってやんよ、って作ったのがOP回です。

確かに厳しい状況や無茶な要求を逆手にとってギャグに昇華して乗り越えた事で面白くなってる部分はありますね。追い詰められてみんなで脳をフル回転させた結果なんだと思いますが若干複雑でもあります。

しかし終わってみれば大変だったけどやりがいのある本当に楽しい仕事でした。今でも忘れられたりせず話題になったりしているのはとても嬉しいです。

増田龍治(Ryuji Masuda) @Ryuji_Masuda

ゲーム会社を辞める時、僕が任されていた小さなチームで一億円の売り上げを出してから辞めた。僕が去った後に残ったスタッフが会社で生きられるように。そのまま無職になり、無職のまま結婚して子供を作り、同時にポピーも作った。挑戦したかったのだ、社会常識破りに。二十代の頃って狂っていたのかも

2014-12-23 01:11:09
村井 昌平 @murai_shohei

当時の事をいろいろと思い出しつつ書いてみました。箇条書きで長文ですがよろしければ。 pic.twitter.com/7DD5SgKoBP

2018-06-20 20:36:13
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村井 昌平 @murai_shohei

大変でしたがいい仕事をさせて頂きました。 今でもファンの方がいるのはとても有難いです。 pic.twitter.com/F7R13dW3xU

2018-06-20 20:36:13
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Yura=san @yuraSan_kappa

モデル作ってアニメーション付けて、更に編集は自分だったら死ぬ

2019-11-24 10:51:28
村井 昌平 @murai_shohei

@yura2501666 自分で編集までやって初めて見えてくる事って結構あるんですよ。

2019-11-24 23:17:18
Yura=san @yuraSan_kappa

@murai_shohei ……!!お返事ありがとうございます! 制作秘話の記事も拝見しましたが、目下CG映像作品を制作している身として胃が痛く…… 山を登り切って見る景色、みたいなかんじでしょうか…あの道を通ればすこし早く着いたんじゃないかとか(すみません、適切な言葉が浮かばなくて…)

2019-11-24 23:50:21
村井 昌平 @murai_shohei

@yura2501666 いやそういうかっこいい感じの事では無くて、編集する所まで行って初めて(もっとここはこうした方が綺麗に繋がったな)とか気付く事が結構あるんですよね。一人だとその辺レスポンス早いのでとても勉強になります。

2019-11-25 00:25:37
Yura=san @yuraSan_kappa

@murai_shohei なるほど!きちんと汲み取れずすみませんでした… 確かに完全分業体制だとそういったところは見え辛いですね🤔

2019-11-25 00:33:41
村井 昌平 @murai_shohei

@yura2501666 そうなんです。だから勉強の為に一通り全部自分でやってみるというのも良いですよ。死にますけど。

2019-11-25 00:50:44
Yura=san @yuraSan_kappa

@murai_shohei ハイリスクハイリターンですね……。ですが興味には抗えないので一度死んでみたいと思います…!

2019-11-25 02:54:23
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