【まもなく法廷?】YouTubeにむらがる「ソ連国歌は俺の曲!君が代も俺の曲!!」と主張する著作権ジャイアン達との闘い【国際裁判?】

いろんな動画が無料で観られて楽しい場所、それがYouTube。しかしそこは、明らかに「公共の曲」かつ「パブリックドメイン」である「国歌」に対しても「それは俺の曲だ」と主張してくる著作権ジャイアン達が群がってくる場所でもありました……。
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バーバラ・アスカでございます。こちらではご無沙汰しております。広くお知らせしたいことがあり、久しぶりにまとめをつくることにしました。

実はわたくし、YouTuberという言葉ができる前からのYouTuber。10年以上前からコツコツとやっております。

最初は私がしゃべる動画主体だったんですが、ここ2年くらいは主に、パブリックドメインになっている軍歌や革命歌をオリジナルアレンジした動画をアップするチャンネルになっています。

リンク YouTube 評論放送 YouTube版 作家・編集者のバーバラ・アスカが主宰するYouTubeチャンネルです。ひとりで、あるいはゲストをお呼びして、森羅万象くだらないものから真面目なことまで様々なことを語ります。どうぞごひいきに。(2016年10月21日記) ジングルはオリジナルの他、こちらのものを使わせていただいております。感謝であります。 http... 17

さて。

私は軍歌や革命歌を愛好しておりますが、それらのほとんどは「パブリックドメイン」、つまり著作権は切れておりまして、誰でも、自由に使って良いものです。

リンク コトバンク パブリック・ドメイン(ぱぶりっくどめいん)とは - コトバンク 日本大百科全書(ニッポニカ) - パブリック・ドメインの用語解説 - 通常は、著作権により保護されていた著作物が、著作権の保護期間を経過して社会の公共財産になり、だれでも自由に利用できるようになったものをいう。「公有」ともいう。有名な事例として、中国唐代の著名な書家顔真卿(がんしんけい)の真蹟(し...

パブリックドメインの曲であれば、もちろん、オリジナルでアレンジしたものをYouTubeにアップしても、誰からも文句を言われない……はずでした。

しかし、アレンジ曲をアップするようになってすぐに、おかしなことが起こり始めました。

「誰でも自由に使って良いはず」のパブリックドメインの曲に対して、YouTubeの著作権警告システムを使って、「それは俺の曲だ」と言ってくる人たちが「多数」現れたのです。

こちら↓が、これまでYouTubeの著作権警告システムを使って、「俺の曲だ」と指摘された主な私のチャンネルの動画です。

ソ連国歌

リンク Wikipedia ソビエト連邦の国歌 ソビエト連邦の国歌(ソビエトれんぽうのこっか)は、1922年のソビエト社会主義共和国連邦成立から1943年までの「インターナショナル」(ロシア・ソビエト連邦社会主義共和国国歌としては1918年から)と、1944年から1991年のソ連崩壊までのソビエト連邦の国歌である「ソビエト連邦国歌」(ロシア語: Государственный гимн СССР)がある。本稿では後者の「ソビエト連邦国歌」について記す。なお、日本では「祖国は我らのために」の通称が使われることがある。 本来は1943年に全く新しい曲と歌詞 4 users 10

インターナショナル

リンク Wikipedia インターナショナル (歌) 「インターナショナル」(フランス語: L'Internationale、ロシア語: Интернационал、英語: The Internationale、中国語: 國際歌、朝鮮語: 인터나쇼날)は、社会主義・共産主義を代表する曲である。ソビエト連邦では十月革命(1917年)から第二次世界大戦(1944年)まで国歌になっていたほか、日本でも労働歌として歌われていた。 「インターナショナル」は19世紀末フランスのパリ・コミューン(1871年)の直後に「L'Internationale」として誕生した。作詞 10 users 17

東ドイツ国歌

リンク Wikipedia 廃墟からの復活 廃墟からの復活(独: Auferstanden aus Ruinen)は、ドイツ民主共和国(東ドイツ)の国歌。ヨハネス・ロベルト・ベッヒャー作詞、ハンス・アイスラー作曲。 詩人であり、東西ドイツ分断後にドイツ民主共和国の文化大臣を務めたベッヒャーにより作詞された。歌詞には、ドイツの統一と第二次世界大戦による荒廃からの復活の願いがこめられている。 当初は公の場で歌唱していたが、1970年代に入りソビエト連邦から「einig Vaterland(アイニヒ・ファーターラント、一つの祖国)」という歌詞が東西分裂の 5 users

軍艦行進曲

リンク Wikipedia 軍艦行進曲 『軍艦行進曲』(ぐんかんこうしんきょく、英語:Warship March)または行進曲「軍艦」は、鳥山啓作詞、瀬戸口藤吉作曲の海軍軍歌「軍艦」に、大伴氏言立、東儀季芳作曲の「海行かば」をトリオに加え行進曲として成立した。一般に「軍艦マーチ」として広く知られ、ミャンマー国軍の公式軍歌としても採用されている。 1893年(明治26年)鳥山啓作詞の「軍艦」(初出からこの曲名、一部文献に此の城とあるも事実無根)に曲を付けて軍歌とし、その後、1897年(明治30年)頃に、准士官相当官の軍楽師だった瀬戸口藤吉が新たに 8 users 2

愛国行進曲

リンク Wikipedia 愛国行進曲 愛国行進曲(あいこくこうしんきょく)は、戦前に広く歌われた日本の国民的愛唱歌である。作詞は森川幸雄、作曲は瀬戸口藤吉。 1937年(昭和12年)8月に閣議決定された国民精神総動員の方針のもと、「国民が永遠に愛唱すべき国民歌」として同年に組織された内閣情報部(のちの情報局)によって歌詞が公募され「美しき明るく勇ましき行進曲風のもの」「内容は日本の真の姿を讃え帝国永遠の生命と理想とを象徴し国民精神作興に資するに足るもの」などの規定が設けられた。国民歌謡で放送。 応募は57,578点にのぼり、その中から鳥取県境 6 users 3

君が代

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