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フランス第三共和制時代における軍改革とその結果

一連のツイートのきっかけや反応に関しては、 .@tetteikaikyou さんの「改革?何それ?おいしいの?―改革によってグダグダになったフランスのケース―」 http://togetter.com/li/149317 により詳しいです。 まとめの中で触れられているドレフュス事件については、以下を参照ください。 続きを読む
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だよもんず @V2ypPq9SqY

ある種の集団ヒステリーというか。第3共和制のフランスそっくりな状況であるな。軍隊が原発に変わっただけの。

2011-06-14 14:17:37
だよもんず @V2ypPq9SqY

軍事分野でフランス第3共和制のグダグダを開設してみるテスト。まあ、前に整備の人がやってたが政治面に目を当てて。

2011-06-14 15:30:45
だよもんず @V2ypPq9SqY

帝政、共和制、大統領、市民、議員名等、好きな人物に入れ替えつつお楽しみくださいw

2011-06-14 15:32:28
だよもんず @V2ypPq9SqY

1870年9月、第二帝政の親玉であったナポレオン三世はセダンで降伏した。第二帝政の終了である。だが戦争は終わらなかった。直ちにパリで共和宣言がだされ、国防政府が樹立された。民衆抵抗が夢想されたが現実には軍の経験者を必要としていた。結果経験を積んだ皇帝の軍隊がそのまま残ることになる

2011-06-14 15:35:00
だよもんず @V2ypPq9SqY

代表的なのは、マクマホン元帥か。。変わらなかったのは政軍関係も同様だった。心ならずも前政府のシステムを採用しなければならなかったのだ。そして新たに成立した政府には決定的な「正当性」を持っていなかったのだ。これがその後の改革に大きな影響をもたらす。

2011-06-14 15:38:27
だよもんず @V2ypPq9SqY

敗戦後もフランス国内では政党政府の座を争って内戦が起きる可能性が高かった。ゆえに軍隊の忠誠心を現政府に集め、少なくとも反乱側にはつかないようにするしかなかった。そのために取られた政策はどの政権のときでも一つだった。大規模な徴兵軍から小規模な職業軍化である。

2011-06-14 15:41:36
だよもんず @V2ypPq9SqY

言い換えれば、社会から孤立した閉鎖的な軍の形成である。前政権の下で育った軍人達の地位を保証しつつ、彼らを一般市民から分離して影響力を削ぐのだ。兵の徴兵基準は厳しくして一般社会からの不穏分子の流入を阻止する。何よりウィーン体制化の状況では大規模な軍隊は必要でない

2011-06-14 15:44:29
だよもんず @V2ypPq9SqY

軍人を徹底して飼い殺しにし、さらにコントロールしやすい凡庸な軍人を昇進させる。 有能で野心のある連中は植民地に送り込んで帰ってこさせない。

2011-06-14 15:46:41
だよもんず @V2ypPq9SqY

権利と義務を市民が得るという共和制の精神から程遠いが1815年からの政府と反政府側も、この方向で物事を進めようとした。共和派は革命騒ぎのたびに軍に痛い目に合わされているし、新興ブルジョワジーも軍隊になど行きたくないし莫大な軍事費を払いたくもない。ゆえに彼らは軍縮に賛同した。

2011-06-14 15:50:02
だよもんず @V2ypPq9SqY

この政策によって軍の威信と社会的評価は下落した。更にフランス軍の給料の低さと昇進機会の乏しさに加え、変化の乏しい単調な駐屯地勤務が軍職を魅力のないものとした。一般社会では軍を侮蔑し軍隊に行くものを「お前、町で飯が食えないから軍隊の飯を食うのか」と嘲笑した。

2011-06-14 15:53:27
だよもんず @V2ypPq9SqY

どこかで聞いたことのあるような状況だが、当たり前のようにその後、軍隊に良い人材が集まらない。初等教育を終えた程度の将校が溢れ、文字すら読めない将校が珍しくない状況になった。おかげで管理業務は杜撰なもの。サンシール士官学校はダンサーを養成していると影口すら叩かれた。

2011-06-14 15:57:47
だよもんず @V2ypPq9SqY

フランスの兵学は停滞どころか衰退の兆候を示していた。軍内部には反知性の雰囲気すらあり「本を書くようなやつは軍人として日の目が見えないようにしてやると公言した将軍すらいた。もっとも本を書くような将校はきわめて少数派だったが。

2011-06-14 16:00:26
だよもんず @V2ypPq9SqY

軍内部には沈滞した空気が流れていた。社会的地位の低さから来る挫折感、自由闊達な議論が将校団の間ですら行えない。先鋭化した政治情勢の中でうかつなことは口にできない。これらのことが将校の消極的、受動的な態度の原因になった

2011-06-14 16:03:50
だよもんず @V2ypPq9SqY

命令を待ち自らの責任では何もしない。するのは上司の判断や作戦要務令にどう書いてあるかだけ。責任を問われぬことに腐心し、服従の美徳を言い訳とする。先例のないことはせずに責任転嫁のうまい官僚的将校が増殖した。そして昇進したのも彼らである。

2011-06-14 16:07:18
だよもんず @V2ypPq9SqY

当然、次の戦争への備えを準備することなどできるはずがない。しかしフランスは勝ってしまった。クリミア戦争にもイタリア統一戦争にも勝利したのだ。だが、その勝利は将校と将軍の働きではなく兵士の犠牲の上に成り立っていた。管理補給業務は不手際だらけ、だが、彼らは慢心した。

2011-06-14 16:10:43
だよもんず @V2ypPq9SqY

次の戦争に備える為の努力をしなかったわけではない。だが、その成果は乏しいものであった。兵力整備でも問題があった。当時のフランスの徴兵制はくじで行われており、極少数の運の悪い人間しか徴兵されることはなかった。徴兵されたとしても多くのものは駐屯地にすら入らず、そのまま予備役になった。

2011-06-14 16:14:37
だよもんず @V2ypPq9SqY

運悪く籤に直撃してしまっても徴兵を逃れる方法があった。「代人制」である。つまり変わりに徴兵に応じるものを準備できれば徴兵されずに済む。というものである。法律自体にも大きな徴兵避けの抜け道が作られていた。つまり、実質的には学も財産もない貧乏人だけが徴兵されることになった。

2011-06-14 16:17:40
だよもんず @V2ypPq9SqY

金持ち、または上級階層の青年たちはほとんど徴兵されなかった。それどころか彼らは徴兵に応じた入営者を馬鹿にすらした。徴兵に応じた貧乏人たちは7年の勤務を要求される。そして、7年も軍隊にいたならばもはや市民生活に戻る道をあきらめて軍隊に再志願するしか道はなくなっていた。

2011-06-14 16:19:46
だよもんず @V2ypPq9SqY

ベトナム戦争でも見た光景だなとか禁句な! 「あの戦いは無駄だ。世界はLove and peace」安全なところにいた餓鬼が、俺ーにそう歌う~。とかも禁句な! http://t.co/FPaJOV7

2011-06-14 16:26:02
だよもんず @V2ypPq9SqY

安全なところに居る人間がそれまでがんばってきて、今もまた危険なところで義務を果たそうとしている連中を馬鹿にする光景は世界のどこにでもあるようです。どこかにあるということは、ここでも発生するということです。

2011-06-14 16:29:04
だよもんず @V2ypPq9SqY

しかし、人口に対していくらなんでも軍隊の数が少ない。ということで政府が軍隊を拡大しようと考えたが、市民からの反発とそもそも軍自体からして「まともに訓練も受けていない予備役がなんの役に立つ」という考えだった。市民は軍が力を持つことも、息子を軍に採られることもいやだった。

2011-06-14 16:32:32
だよもんず @V2ypPq9SqY

当時のフランスには次のような考えが蔓延していたことも一つの原因である。「悪である戦争は排撃しなければならず、世界平和の到来もそう遠い未来ではない」と考える楽観的な平和運動家の力も馬鹿にはできない状況だった。(そもそも植民地には弾圧加えておいて世界平和というのもあれだが

2011-06-14 16:36:06
だよもんず @V2ypPq9SqY

それでもフランス軍は次の戦争に備えるべく動いていた。先の戦でフランスに勝利したドイツに学ぼうとしたのである。

2011-06-14 16:38:52
だよもんず @V2ypPq9SqY

1875年歩兵操典が改定。普仏戦争の経験とドイツ兵学の導入によりフランス軍は火力主義を選んだ。操典は敵火力の下での運動について重大な注意を与えている。1号~7号(1886年)までの防衛計画は防勢に立つことが基本方針だった。だが、敗北から時間がたつにつれ当時を忘れた将校が増え始める

2011-06-14 16:49:25
だよもんず @V2ypPq9SqY

そうなると次におきるのは一つである。「自分のエゴを満足させる方向」に戦史や研究本を解釈し始めるのである。フランス軍にもそれは発生した。

2011-06-14 16:51:04
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コメント

北岡修二:S.KITAOKA @regedry33 2013年6月22日
ドレフェス事件の歴史的影響といえば、何と言ってもこれが発端となってシオニズム運動が勃興したこと。ドレフェス事件とナチスのホロコーストがなければ、そして英仏ロスチャイルドの強烈なイニシアティヴがなければイスラエル国家は存在しえなかった。その意味でドレフェスへの言及は大いに参考になりました。感謝いたします。
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北岡修二:S.KITAOKA @regedry33 2013年6月22日
それから黒海に突き出たクリミア半島のセバストーポリ要塞は、元々はフランスによって建設されたもの。ロシア革命後の内戦もクリミアでの戦いが最終章。この辺りの問題にも改めて興味が湧きました。
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