だよもん先生のフランス講座、たぶんpart2

ふぁぼりが追いつかない時はまとめるにかぎる。あとカテゴリ選択いっつも困る。
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フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

1875年歩兵操典が改定。普仏戦争の経験とドイツ兵学の導入によりフランス軍は火力主義を選んだ。操典は敵火力の下での運動について重大な注意を与えている。1号~7号(1886年)までの防衛計画は防勢に立つことが基本方針だった。だが、敗北から時間がたつにつれ当時を忘れた将校が増え始める

2011-06-14 16:49:25
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

そうなると次におきるのは一つである。「自分のエゴを満足させる方向」に戦史や研究本を解釈し始めるのである。フランス軍にもそれは発生した。

2011-06-14 16:51:04
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

1880年代のフランス軍はドイツ軍もドイツ軍事思想も評価していなかった。 フランスが負けたのは一般徴兵制という制度とそれがもたらす兵数差で負けたと認識した。ドイツ参謀本部は非人間的な官僚組織であり、モルトケは偉大な軍人ではなく、その頂点に居る単なる技術者に過ぎなかった。

2011-06-14 16:53:37
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

だが1880年代後半からその空気が変わった「クラウセヴィッツの発見」とこれに触発されたナポレオン・ルネッサンスの到来である。フランスの軍人達は翻訳されたブルーメの戦略論やゴルツの国民皆兵論によりドイツの軍事思想を伺うことになる。そしてこれらの著作の引用からクラウセヴィッツと出会う

2011-06-14 17:00:37
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

彼らはドイツの勝利の源泉はクラウセヴィッツにあったのだと信じた。戦争論のフランス語訳は1886年。これを読んだ将校たちはクラスセビッツはナポレオン戦争を体系化したと考えた。フランス軍のジュベールはクラウセヴィッツがナポレオン戦争の極意を得、その弟子がモルトケであると考えた。

2011-06-14 17:06:33
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

ジュベールは戦争論をこう解釈した『「敵主力を殲滅する」と言うただ一つの目的にすべてを従属させる必要がある』 このクラウセヴィッツの発見はフランス軍に大きな慰めと励ましを与えた。ドイツの勝利は彼らが優れていたのではなくフランスが閉却していたナポレオンの用兵を彼らが真似だけだったのだ

2011-06-14 17:11:21
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

学ぶべきはドイツ軍ではなく、自国の歴史にこそある。こう考えたフランス軍はナポレオン戦史の研究に熱中した。そして、彼らはナポレオン戦史の解釈としてクラウセヴィッツの理解が不十分で幼稚な場面がある事に気がついた。彼らはクラウセヴィッツに学びながらクラウセヴィッツを批判し始めた。

2011-06-14 17:16:51
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

フランス軍は自分達のドイツ軍事思想の理解に疑問を持とうとはしなかった。そして過去の防勢に立つという時刻の防衛計画を批判し始めた。防御のような兵隊を軟弱にする戦術ではなく、攻勢という国民的伝統に回帰すべきだと考えた。

2011-06-14 17:27:45
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

フランス軍は攻勢に回帰した。操典には「損害に考慮することなく頭を挙げて決定的勝利を得る為に攻撃せよ」と乗せた。そして、都合の良いクラウセヴィッツの解釈と露土戦争の英雄の発言を引用して勝利の源泉は『精神力』にあるとした。

2011-06-14 17:31:35
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

露土戦争戦争では火力でトルコ軍に撃退し続けた経験から火力主義を唱えるロシアの将校もいたが、こちらの意見は引用されなかった。それどころか攻勢の継続を怠ったロシア軍への批判と、火力戦でロシア軍を撃退し続けたトルコ軍を受動的であると批判した。

2011-06-14 17:34:06
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

戦史から教義を学ぶのではなく教義で戦史を判断した。一応は1895年には攻勢と防勢のバランスの取れた教義に改正することができた。さらにはロシアと同盟を結ぶことにも成功し単独でドイツと戦う危機は去ったと考えた。もはや兵力の不足は心配する必要はない。改革案は出されたが次々と先送りされた

2011-06-14 17:37:39
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

とりあえずはここまでにする。 あとはドレフェス事件とその後に続くアンドレによる粛清レベルの改革という更なる悲劇がフランス軍を襲うことになるが、それはまたの機会に。

2011-06-14 17:42:52
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

ドレフェス事件はういきに詳しいのでそっちを見てもらうとして、アンドレの粛清レベルの改革について最後に語っておこう。

2011-06-14 17:44:38
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

ドレフェス事件で軍の不正に目をつけたのは急進勢力はここぞとばかりに軍を批判した。そして民衆を味方につけた彼らは急激に勢力伸ばし、政権にもぐりこむことに成功した。そこで活躍した一人がアンドレである

2011-06-14 17:48:26
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

オポチュニストであった彼は同僚から派閥色の強い人物であるが、首切り判事のような実行力を備えていた。彼の理想は共和国に忠実な軍を作ることだった。彼はこれを人事を操作することによって成功させようとする。

2011-06-14 17:53:21
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

自派に批判的な将校はたとえ参謀総長であろうとも解任し、そこに自派の人間を送り込んだ。また、将校間の間にもスパイ網を張り巡らせ将校を監視した。これらの影響は劇的であった。

2011-06-14 17:55:49
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

理想と違い、現実にはそれらの人事には露骨な私情が介入した。軍人としての使命は忘れられ、嫉妬とエゴイズムが将校たちを支配した。昇進は能力の証明ではなく、将校は尊敬の対象ではなくなった。高級将校は無能の代名詞となり、実務能力は二の次で政治的なコネクションで選任される人物もいた

2011-06-14 17:58:49
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

将校は部下にへつらう様になって行った。だれが政治家へのコネを持っているかもわからない。迂闊に処罰してクレームが陸軍省に伝えられればわが身が危ない。軍人たちは極度の官僚化して怠惰になった。

2011-06-14 18:01:26
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

将校は部下にへつらう様になって行った。だれが政治家へのコネを持っているかもわからない。迂闊に処罰してクレームが陸軍省に伝えられればわが身が危ない。軍人たちは極度の官僚化して怠惰になった。

2011-06-14 18:01:26
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

さらにアンドレは軍人精神を批判し将校の特権を奪うことを考えていた。 具体的には軍服に払われていたもろもろの敬意を廃止することであった。これは、ヨーロッパ一の薄給で知られるフランス軍には致命的な打撃であった。

2011-06-14 18:04:39
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

今も軍の上層部に残っていた優秀な将校たちも居るにはいた。彼らにとって軍職とは金銭ではなく名誉を意味していた。しかし肉体労働者にすら馬鹿にされる給料で、おまけに職業としての敬意は払われない。恩給は低く退役将校の生活は惨めである。

2011-06-14 18:07:40
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

このような状況で軍に残ろうと考える人間などそうは居ない。彼らは軍職を去り、むしろ優秀な人間こそ率先して止めていった。残ったのは外では生活できずやめることすらできない人間と、もはや軍務に興味のない安逸な生活だけが望みの人間だけだった。

2011-06-14 18:10:46
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

以上。まあこの後にもクレマンソーという悲劇が更にフランス軍を襲うわけだがw

2011-06-14 18:13:03
フォースの力に取り込まれただよもん @V2ypPq9SqY

それを立て直そうと植民地帰りたちが無条件攻勢主義や精神論もちこんで立て直し始めた瞬間にWW1という。悲劇。

2011-06-14 18:17:31