
金田善裕(旧名・金田トメ)の追悼コメント集
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pareorogas
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最近まで知らなかったのですが、2020年1月に金田善裕さんがアメリカで急逝したそうです(Facebook参照)。自販機本で活動後に金田さんがJICC出版局で編集した『ワイルド・スタイルで行こう』や『クリームソーダ物語』は、ともにヒップホップとフィフティーズ文化における重要文献となっています pic.twitter.com/nKVRxDFTP0
2020-04-18 18:20:47


1992年には『NEWS&VOICE』という大きいサイズのミニコミを出していました。ワタシが持ってるのは1と2号だけなんですが、それまで金田トメというペンネームを使っていたのが、このミニコミから本名の金田善裕名義を使うようになったとか pic.twitter.com/iGO5W1O9tY
2020-04-18 18:29:10


しかしワタシのようなインターネッターには金田さんが90年代~00年代頭に編んだ一連の書籍の影響が強いです。zine文化や60年代カウンターカルチャーと初期ネットを結びつける視線はこうした本や雑誌の連載から得たような気がします。(俗物図鑑の本が出てきたので一緒に) pic.twitter.com/zSx57AL1F9
2020-04-18 18:40:43

懐かしいの出てきた。編集は竹熊さん? photozou.jp/photo/show/397…
2014-10-13 22:36:44
@ayadayWreath もともと『俗物図鑑』という映画自体が自主映画に近い作品なんですよ。映画館でかかったかも分からない。それの特集ムックを書店で売ったのだから、訳が分かりません。僕は図版集めとインタビューを担当しました。
2014-10-14 11:15:50
「コクリコ坂から」って作品自体には興味ないんだが、原作の佐山哲郎が群雄社で編集長をやってたひとだと知り、吃驚。家にあった「俗物図鑑の本」の奥付を見たら、編集人として金田トメと一緒に名前が載っていた。後に住職になったというのも凄くて、生き様として興味深い。
2011-08-07 02:02:37
金田さんは1970年代末、大学時代に「温泉団」というブルースバンドに在籍しており、これはYMO関連で知られる藤井丈司さん、ボ・ガンボスの岡地曙裕さんが在籍したバンドです。コンテスト記念盤『East West ’79』にオーティス・レディングのカバー曲で参加。金田さんは訳詞担当。 pic.twitter.com/GHpl5bCUMD
2020-04-19 00:00:56

@wtbw 『100万ヒットホームページを作った人々』の土屋さんのインタビューは何度も読みましたよ、寂しいですね…… pic.twitter.com/oujY0McRMA
2020-04-18 18:54:14

@blogdexjp うわぁ……マジですか。ありがたい… そしてなつかしい……アドレスがaol……忘れてたけど、これが一番最初のアドレスだったんだった。。。そんな初期なのか……ううううー
2020-04-18 18:58:47
金田善裕さん亡くなってたのか。。。「ワイルドスタイルで行こう」といえばAKLOの曲で先生役のKダブのコッタさんが小道具として使うやつ ここに並んでる本ガチの教科書感あって面白いんだよな youtu.be/TnJMBcQFNME pic.twitter.com/bsslh37FoR
2020-04-18 19:50:42


金田善裕さんは、駆け出しの頃何故か目をかけてくれて大変お世話になった恩人なのに知らなかった。改めて感謝しかありません。業界そのものからサッサと逃げるし連絡先も定期的に変えて全部投げ出すあたしに深いことも聞かず、編集愛や提案ばかり語ってくださった。本当に本当にありがとうございます。
2020-04-19 11:47:47
金田トメさんRIP。宝島辞めた後もSPA!で書いてもらってた。アスキーのサブカル雑誌『CAPE X』とか『DIGITAL BOY』の主要執筆者で、デッドヘッズ→ネットカルチャーを渡り歩いたジョブス世代。町山さん云々以前に、トメさんや管付さん増渕さんらがいたサブカル時代の宝島編集部を誰かまとめてほしい。
2020-04-19 01:53:15
「物書きの金田です」という書き出しで馴染みがあった金田トメ善裕 さんがSFで1月にお亡くなりになっていたという訃報。J-HeadsというML当時からの知り合いで、数年前にヨヨコーでばったり会ったのが最後になった。あまり交流はなかったけれど、一時じゃがたらのKeyを務めていたらしい。R.I.P.
2020-03-05 20:08:04