しかし、深芳野様のどこか退廃的でも可憐さを残し、弱くはあっても醜くはならないギリギリの気品。そこのところはやっぱりキャスティングの良さですねえ。南果歩さん、なるほど…。 #麒麟がくる
2020-04-20 00:37:50@385_mnkd とても分かります。彼女の存在感や佇まいにどうしようもなく惹かれる自分がいました 深芳野の纏う空気がとても好きでした
2020-04-20 00:54:18@tokihito あまり賢い・強い・健全という感じがしない人ですが、にも関わらず、触れなば落ちん脆さと哀れさを含んだ美女に仕上がっているのが見事でした。それでこその深芳野でしたでしょう。彼女がいると画面の空気が変わるんですよね。素敵でした。
2020-04-20 01:08:12斎藤道三(利政)が発給した書状を少しずつ纏めている。とりあえず天文二十年頃まで纏めているが、天文十八年以前の利政書状は土岐氏の奉行人としての性格が強く見える/年次比定が難しい史料が多いという印象。史料数自体が少ないので後斎藤氏の研究は骨が折れそうというのがよく分かる。
2020-04-19 22:53:57土岐氏が享禄四〜五年に関与していた真桑・筵田の用水争論問題について、天文十八年?に道三が本巣郡真桑の名主百姓中に用水の使用許可を通達している。「自然下々申事於在之者以此折紙可相断候也」と内容自体が強気のように見えるが、美濃国の権勢が頼芸→道三へと移る一過程として見てよいのか。
2020-04-19 23:35:37道三文書の中で在地支配に関係する史料はかなり貴重ではないかと思う。しかし、六人の奉行を駆使して在地を直接支配しようとする義龍時代と比べるとどうしても道三は一人よがりな姿勢が見受けられる。道三は土岐氏から権勢を剥奪した段階においても美濃国人衆を上手くコントロール出来なかったのか。
2020-04-20 00:06:15道三の在地支配に関して、真偽不明ではあるが『中嶋両以記文』には「八代村・土居村ハ山城殿御代ニ岩崎より井水取、田出来、然ニ付両村立由」と道三が用水を引かせた事によって成立した村が存在したという話も伝わる。伝承ではあるが道三の在地支配を示す話題が残っているのは貴重だろう。
2020-04-20 00:54:46@D28PWUN6TZFOHpi 石川論文は真桑・筵田の用水相論に関する詳細な研究成果ですよね。相論への道三の関与は木下著書で少し触れられていました。 『中嶋両以記文』は、松田亮『斎藤道三文書之研究』と『鷺山市誌』を参考にしています。
2020-04-20 12:36:55道三の知行宛行状は真偽不明の物を含めた三点が残っている。何れも書止文言が「恐々謹言」「恐惶謹言」とかなり丁寧な表記となっている。道三の丁重な姿勢もしくはそれほど強大ではない美濃国での立場を示すのか。 発給年の判別は困難だが、「道三」の初見が天文十八年なのでこの前後に該当するのか。
2020-04-20 21:16:45大河ドラマ『麒麟がくる』では織田信長が活躍していますが、そんな信長を城から捉え直したのが、千田嘉博『信長の城』岩波新書 。これを読めば大河ドラマが10倍面白くなるとか、ならないとか(個人の感想です)。版元にかわって、著者が宣伝しております。 pic.twitter.com/Wv4Hc34QxA
2020-04-19 21:01:42