(2020/06/19に中断)日本語で学ぶアメリカ史 第七章 パート1 (教材:David M. Kennedy and Lizabeth Cohen, "American Pageant'' 16th ed.)

注:本プロジェクトは2020年6月19日に凍結しました。以下はそれ以前の文章です。 "The American Pageant"第16版という、アメリカの高校生が大学レベルのアメリカ史を学ぶのに使われる教科書を用いて、日本語でアメリカ史の概説を発信している、「日本語で学ぶアメリカ史」のツイートをパート単位でまとめています。 独立革命前史からスタートするため、1763年以前を扱う1-6章は現在割愛しており、第七章から始めました。
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●American Pageant, 16th ed. 117-134頁 第7章「革命への道:1763-1775」 パート1

2020-04-23 22:27:36
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・序 1763年、七年戦争に勝利したイギリスは北米の広大な領土を手にしました。しかし、一万もの軍隊をアメリカに駐屯させるのは非常に金がかかりました。そこでイギリスはアメリカ植民地人にその負荷を担わせる方針に転換。このことがアメリカ人というアイデンティティを生み、革命の遠因となります。

2020-04-23 22:27:49
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もっとも、独立戦争は不可避ではありませんでした。むしろ入植以来、植民地の本国の経済・軍事・文化の結び付きは強まる一方だったのです。また、革命家達は「イギリス人の権利」を主張するに留まり、イギリスからの分離独立を唱えたのはかなり後になってからでした。

2020-04-23 22:27:50
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しかし、経済を巡る争いから始まった一連の論争は植民地人と本国人の政治的原理に関する相入れない断絶を明らかにしてしまうのでした。 ・革命の深源 18世紀半ばまでにアメリカ植民地人は二つの観念を生み出します。一つは後世の歴史家が言う「共和主義」でした。

2020-04-23 22:27:50
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古代ギリシア・ローマを範とするこの思想は全市民がすすんで私利私欲を共通善に従わせる社会を公正とみなしました。市民の質、すなわち無私の精神、自足、勇敢さ、市政参加により、共和主義社会の安定性や権威の強さは決まることになります。この定義から、共和主義は貴族制と君主制を否定しました。

2020-04-23 22:27:50
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二つ目の観念は「急進派ホイッグ」というイギリスの政治評論家から生まれました。これは議会の選出代議員よりも君主の恣意的権力の方が自由の脅威とする立場でした。急進派ホイッグは大臣達の叙任権(patronage)や賄賂を腐敗だと非難し、市民にはこの腐敗に注意せよ、

2020-04-23 22:27:51
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闘争の末勝ち取った自由を剥ぎ取らんとする陰謀を常に警戒せよと説きました。急進派ホイッグをよく読んでいた植民地人は共和主義思想も併せて、自己の権利に対する脅威に敏感になっていたのです。  植民地の生活も重要です。領主がおらず、財産所有と政治参加が比較的容易だったこと。

2020-04-23 22:27:51
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植民地人は本国の官憲に邪魔されず自前でやってきたこと。こうした生活に慣れていた植民地人が本国から厳しい統制を通告されて衝撃を受けたのは当然だったでしょう。 ・重商主義と植民地の不満 アメリカ植民地のうちイギリス政府が作ったのはジョージアだけでした。

2020-04-23 22:27:52
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にも関わらず、政府は「重商主義」を唱えて植民地支配を正当化しました。重商主義者は富こそ力であり、金銀が国庫にどれだけあるかでひいては軍事、政治の力も決まると考えました。ここでは輸出を増やし輸入を減らすことが目指されますが、植民地は原材料を輸入せずとも得る手段として、

2020-04-23 22:27:52
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また製品の輸出先として機能し、有益でした。  イギリスは植民地人を大なり小なり小作人扱いしていました。タバコ、砂糖、帆など本国が必要とする製品を供給し、羊毛製衣類やビーヴァー帽は作らない。イギリスからだけ工業製品を購入する。自給自足だの独自の政府だのとんでもない、という具合です。

2020-04-23 22:27:53
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時折、議会は重商主義体制を制御する法案を制定しました。典型例が1650年航海法です。オランダ船のアメリカへの輸送事業を邪魔するため、この法律はアメリカに出入りする商船をイギリス(及びアメリカ)船に限定しました。その後も、アメリカ向けのヨーロッパ製品はまずイギリスを通す法案ができ、

2020-04-23 22:27:53
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ここで関税が取られイギリス人は中抜きができました。他にも、アメリカ商人は「列挙された」商品、とりわけタバコをイギリスだけに販売せよ、他国の方が高く売れる場合も例外でないとする法律もできました。  植民地では通貨不足も発生しました。植民地人は本国に売るよりも多く買っており、

2020-04-23 22:27:53
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差分を硬貨で補ったからです。西領・仏領西インド諸島との違法貿易で得た現金があっても不十分でした。日常的な支払ではバターや釘、羽毛などさえ使われました。  植民地人は紙幣の発行で対応しましたがまもなく価値が下落し、いよいよ通貨問題が深刻化します。イギリス商人や債権者に押され、

2020-04-23 22:27:54
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イギリス議会は植民地の立法府が紙幣を発行したり破産法を制定したりするのを禁じました。アメリカではイギリスが自国の商業利害のため自分達が犠牲にされていると不満が生まれてきました。  王室にも植民地議会の立法を無効化する権限がありました。8563個の立法のうち469個が無効化されました。

2020-04-23 22:27:54
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1割にも満たない実例数ではありますが、植民地人はこの権限自体に憤ったのでした。 ・重商主義のメリットとデメリット こう見るとイギリス重商主義は自分勝手で抑圧的に思われますが、実のところ1763年まで航海諸法が耐えがたい負担になることはありませんでした。厳しく実施されなかったからです。

2020-04-23 22:27:54
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アメリカ商人は規制の抜け道を見つけ、ジョン・ハンコックのように密輸で財をなす者も出ました。  重商主義は恩恵もありました。イギリス政府は本国の競合勢力による反対にも関わらず、船の部品を製造した植民地人に寛大な報酬を与えました。ヴァジニアのタバコ産業はイギリス市場を独占し、

2020-04-23 22:27:55
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本国の製造者を一掃しました。また、世界有数の海軍を誇るイギリス軍に守ってもらえる、それも一銭たりとも負担せずにーそんな恩恵もあったのです。  それでも重商主義は植民地人にとって負担でした。企業精神は奪い取られ、本国仲介業者や債権者への依存状態も生まれました。

2020-04-23 22:27:55
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そもそも重商主義は屈辱的に思われました。アメリカは永遠に経済的な成人になることを許されないからです。つまり、イギリスという親はアメリカという子が大人になるのを認められなかったのでした。 ・印紙法騒動 七年戦争の勝利でイギリスは世界屈指の巨大な帝国になりましたが、

2020-04-23 22:27:55
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負債も1億4千万ポンドと凄まじく、その半分近くがアメリカ植民地の防衛に費やされました。それがイギリス政府にアメリカ植民地との関係を再編させました。  1763年、ジョージ・グレンヴィル首相は航海諸法の厳格な実施を海軍に命じ、植民地人の怒りを買いました。

2020-04-23 22:27:56
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翌年にはいわゆる「砂糖法」が制定され、王室のため植民地に課税する法律を議会が初めて通したことになりました。とりわけ西インド諸島から輸入した外国産砂糖への関税上昇が注目されます。植民地人の激しい抗議を受けて関税率は下げられ、一時不満は収まりました。ところが1765年、

2020-04-23 22:27:56
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「宿営法」の制定で不満が再燃します。特定の植民地にイギリス駐在軍への食料と宿営地を供するよう命じたからです。  そして同年、最も嫌われた「印紙法」が制定されます。新設した軍隊を賄うのが目的でした。同法は印紙、つまり紙への印章の捺印を命じました。この印章は納税済という意味です。

2020-04-23 22:27:56
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同法は商業文書や法律文書-ゲーム用カード、パンフレット、新聞、公文書、積荷目録、結婚証明書-に加え、およそ50品目にわたる商品の販売書類に印章を捺印するよう規定していました。  グレンヴィルは印紙法を合理的で正当と考えていました。イギリスではすでになじみ深い税目で、

2020-04-23 22:27:57
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アメリカ植民地人にも自身の防衛費を払うよう頼んでいるだけだったからです。実際、イギリスでは既に二世代に渡ってアメリカよりも重い印紙税を耐え忍んでいました。  それでもアメリカ人には宿営法も印紙法もグレンヴィルによる攻撃と映りました。ただ金を取られるだけでなく、

2020-04-23 22:27:57
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アメリカで当然視されてきた、本国から離れていることで得られた自由を攻撃しているようにも見えたのです。こうして、植民地議会の中には宿営法に従わないところや、要求量に到底満たない供給しか行わないところも現れました。

2020-04-23 22:27:57
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グレンヴィルの立法は植民地人のイギリス人としての基本的権利を侵害しているとみなされました。砂糖法も印紙法も違反者を「海事裁判所」で裁くと規定し、ここでは陪審が認められないことから非常に嫌われていました。無罪を立証できない限り有罪とされる裁判で、立証責任は被告人側にありました。

2020-04-23 22:27:58