2020年4月25日

(2020/06/19に中断)日本語で学ぶアメリカ史 第七章 パート3 (教材:David M. Kennedy and Lizabeth Cohen, "American Pageant'' 16th ed.)

注:本プロジェクトは2020年6月19日に凍結しました。
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日本語で学ぶアメリカ史 + 高校英語 @USHistoryJapan

・イギリス帝国の強さと弱点(7-3-1) アメリカ植民地人は無謀にもイギリス帝国に戦いを挑みました。人口を見ると、イギリス本国が750万人に対し、アメリカ植民地は250万人。資金と海軍力は圧倒的にイギリスが優位でした。  イギリス軍は約5万人の職業軍人がおり、 独立戦争時のイギリス軍絵画、1909 pic.twitter.com/54Kp6m4pfC

2020-04-25 13:01:38
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アメリカには数だけの素人同然な民兵がいました。また、ジョージ3世は独自に外国の傭兵を雇うことができました。約3万人のドイツ人傭兵、通称ヘッセ人が投入されたのです。イギリスはアメリカの忠誠派5万人も数に入れ、多数のインディアンもあてにしていました。後者はあまり信頼できないものの、

2020-04-25 13:01:39
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植民地を広く脅かす存在でした。ある士官に言わせれば「熟練の羊飼い」では手に負えないような問題はこの戦争で起きないだろうとのことでした。  しかし、イギリス軍は見た目ほど強くありませんでした。アイルランドはイギリスの火薬庫だったので、ここを疎かにはできませんでした。

2020-04-25 13:01:39
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フランスは七年戦争の仕返しを狙っていました。ウィリアム・ピットがいた時代と異なり、内閣は無能でした。国王は頑なになっていました。  イギリス本国人の多くは同胞殺しを躊躇しました。首相のノース卿がトーリー派だったので、ホイッグ派は公然とアメリカ民兵の勝利を喜びました。

2020-04-25 13:01:40
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ただし最初だけですが。また、ホイッグ派の多くはアメリカの戦いを自由の戦いとみなしました。国王が勝てば本国も暴君統治になるかもしれない。こうした懸念から、少数派ではありましたが、イギリス本国でもアメリカを応援する人々がいました。アメリカ植民地人も、

2020-04-25 13:01:41
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抵抗を続けてホイッグ派が政権を握れば有利な条件で終戦できると見込んでいました。  アメリカ駐在軍は不利な条件で延々と戦わざるを得ませんでした。将校は二流で、兵士は全隊として有能なものの酷い扱いを受けていました。800箇所も鞭打ちの痕が残っていた事例もありました。食料補給も杜撰でした。

2020-04-25 13:01:41
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七年戦争の時にフランス軍から奪ったビスケットが支給され、これを大砲の弾を落として柔らかくするようなこともありました。  勝利条件も異なりました。イギリス軍はアメリカ植民地人を屈服させること、植民地人は1763年以前の状態に戻ること。また、本国から3千マイルも離れていることも問題でした。

2020-04-25 13:01:42
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本国で発された命令が数ヶ月後に届いた頃にはよく情勢が変わっていました。  アメリカは言うまでもなく広大です。また、点としての都市がありませんでした。イギリス軍はどんな規模の街も攻略しましたが、羽枕を殴るボクサーのように手応えがありませんでした。この間に植民地人は時間を稼ぎました。

2020-04-25 13:01:42
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●The American Pageant, 16th ed. 117-134頁 第7章「革命への道:1763-1775」 パート3 これを忘れていました…

2020-04-25 13:04:14
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・アメリカの強みと弱み(7-3-2) アメリカ革命軍は優秀な指導者に恵まれていました。ジョージ・ワシントンは言うに及ばず。ベンジャミン・フランクリンは一流の外交官でした。公然の革命支援はフランスが最初でした。多くは失業中だった武官がヨーロッパから次々と流れてきました。 ワシントン pic.twitter.com/ChNPKqk92X

2020-04-25 13:15:02
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中でも若きフランス貴族のラファイエット侯爵は有名です。彼は退屈を逃れ、名誉と自由を重んじて渡米し、19歳で植民地軍の少将になりました。これは多分に実家の影響力と政治的コネの産物でしたが、彼の従軍は革命軍にとって貴重でした。  他にもアメリカに有利な点がありました。 ラファイエット pic.twitter.com/upt0B9rzw3

2020-04-25 13:15:04
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植民地人は防衛戦を戦っていました。食料は基本自給できました。大義名分もあったので士気は高くありました。ペルシア戦争やオランダ独立戦争など、もっと厳しい戦いは既に先例がありました。  しかし、統一性は絶無でした。13植民地自体がバラバラ勝手に動く足ばかりのムカデの如き有り様でした。

2020-04-25 13:15:05
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大陸会議ですら論争が絶えず、戦争が進むにつれ弱体化しました。各植民地は1781年に連合規約を結ぶ前からバラバラに戦っていたのです。  嫉妬心があちこちで表出しました。各植民地は大陸会議が弱々しい指揮をとろうとするのさえ憤慨しました。軍事指導者の選出でも地域間対立が燃え上がりました。

2020-04-25 13:15:06
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他のアメリカ植民地から来た者よりイギリス本国の士官を好む植民地まであったほどです。  経済的苦境も不可避でした。硬貨はほぼ尽きていました。大陸会議は反発必至の課税を避け、「大陸」紙幣を大量に印刷しました。しかし、まもなく「大陸紙幣1枚にも満たない」という表現が流行るほど、

2020-04-25 13:23:18
日本語で学ぶアメリカ史 + 高校英語 @USHistoryJapan

その価値が暴落しました。ある理髪屋は自店舗全体に大陸紙幣を貼り付けたそうです。また、各植民地で独自の紙幣が発行され、更なる混乱がもたらされました。  通貨のインフレで物価が跳ね上がりました。前線で戦う兵士の家族が特に打撃を受け、多勢の家長の首が回らなくなりました。 大陸紙幣1/3ドル pic.twitter.com/wjAVmYuO09

2020-04-25 13:24:08
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一方、債務者はほぼ無価値な紙幣で軽々と借金を返済しました。時に銃口を背後にちらつかせながら。

2020-04-25 13:24:43
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・数少ない英雄達(7-3-3) 軍事的補給は極めて乏しいものでした。多くの家庭や街に銃はありましたが、それでもインディアン、フランス、スペインと戦った際にはイギリス軍頼みでした。イギリス軍の物資がなくなると、今度は防衛側のコストが跳ね上がりました。

2020-04-25 13:26:00
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火薬、大砲などを見つけることはもはや叶いませんでした。フランスとの同盟は軍事的供給も目的の一つでした。  他にも欠乏が問題になりました。1777-1778年の冬、ペンシルヴァニアの「ヴァリーフォージ」では革命軍が食料のないまま三日間通しで凍えながら進軍しました。 ヴァリーフォージ pic.twitter.com/jAlzG3WRBf

2020-04-25 13:26:10
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南部では作戦中に空腹で気絶する者もいました。また、農業社会だったので工業製品も概して不足しており、とりわけ衣類と靴が足りませんでした。愛国派の兵士はしばしば血染めの雪に覆われました。先のヴァリーフォージでは、2800人の兵士が裸足かほぼ裸でした。羊毛の衣類が切実に必要とされました。

2020-04-25 13:26:11
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軍服はバラバラで、どれもボロボロでした。士官の中には行軍中に羊毛のベッドカバーに身を包んでいる者もいました。  アメリカの民兵は数こそ多いものの、信頼性に欠けました。健康なアメリカ植民地人男性は恐らく数十万人で、彼らは初歩的な訓練を受けました。

2020-04-25 13:26:12
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しかし、職業軍人たるイギリス軍が進軍してくるのを前に立ち続けることはできませんでした。ワシントン曰く、彼らは「自分の影からも逃げ去る」だろうとのことでした。天然痘が流行したのも打撃となりました。  女性は革命で活躍しました。多くは農場や事業を代理で行っていました。

2020-04-25 13:26:13
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「非戦闘従軍者」になる女性も多く、料理や裁縫をして代金や食料を得ていました。マサチューセッツでは男装して17カ月間従軍した者もいました。  数千人いた正規兵は厳しい訓練を受けました。中でもドイツ人男爵フォン=シュトイベンは軍隊の組織化の天才でした。 シュトイベンの訓練風景 pic.twitter.com/wQyYh6sqiL

2020-04-25 13:26:16
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渡米時には一言も英語を話せませんでしたが、それでもすぐ銃剣が牛肉を焼くためのものではないと叩き込みました。こうして彼らはイギリス軍の精鋭以上の実力を身につけました。  黒人も革命に命を捧げました。多くの植民地では当初黒人の従軍を禁じていましたが、 革命軍黒人兵(左) pic.twitter.com/o6ueT38sPG

2020-04-25 13:26:18
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戦争の終了間際までに5千人もの黒人が参戦しました。最も多く輩出したのは自由黒人の多い北部地域でした。  黒人はトレントンやサラトガなど重要な戦いに身を投じました。プリンス・リップルのように英雄となった者もいれば、料理人、案内人、諜報員、運転手、道路建設人として活躍する者もいました。

2020-04-25 13:26:19
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イギリス軍についた黒人もいました。1775年11月、国王に仕えるヴァジニア総督のダンモア卿はイギリス軍に従軍した全てのヴァジニアの奴隷を自由黒人にすると宣言しました。このことはただちに広まり、ヴァジニアとメリーランドは警備を厳しくしたものの、 ダンモア卿 pic.twitter.com/rYf26a8Svc

2020-04-25 13:26:21
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