差別とはいかなることか、あるいは正義の暴力について。

差別とは一般にいかなることなのか、それを考えてみました。差別とは「偏見」(認知カテゴリーの固定化)と「虐め」(他者の劣位・従属)の複合体であり、また、それは「差別は悪だ」という固定観念とは裏腹に、「攻撃性に歯止めがかからない正義である」という暫定的な結論に達しました。
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馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
世の中にはいろいろな差別があるけれど、一般的に差別とはどういうことなのか、ちょっと考えてみました。差別のメタ理論ですね。さしあたり、僕は差別においては、二つの特徴があると考えました。理論的用語と日常用語の二つの言葉をまぜこぜにして話したいと思います。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
差別の特徴 ①他者を固定化された認知カテゴリーで把握すること。②他者を自分よりも劣位だとみなし、それゆえ自分や自分と対等のものに対しては許さない形において、その相手に対する暴力的行為(教化も含む)を正当化すること。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
わかりやすく言い直せばこういうこと。 ①相手に対する決めつけ。「おまえは女性だから頭が悪い」「京大生だから頭が固いに違いない」「朝鮮人だから卑屈だ」「おまえは男だから女を見下してるに違いない」。もちろん、京大生で頭固い人はいるだろうし、女性を見下している男もいる。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
このリストはどこまでも長くできる。「おまえはフェミニストだから男を憎んでるんだろ」とか、「おまえが加害者に決まってるんだから」とか。ところで、一般的に言えば、属性とその人の特徴は、直接の因果関係はないし、ある程度の相関関係はあるかもしれないけど(女性の方がIQが平均して高いとか)
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
百歩譲っても、例外はいくらでもある。要するに、どんな属性の人でも、人それぞれだということ。ところが、そのような色眼鏡で相手に見られると、自分が一人の人間として接されることがなくなる。なにを言っても「加害者が言うことは信用できない」とか言われて、耳を塞がれてしまう。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
大切なことは、これが認知的カテゴリーだということだ。つまり、「あいつは売春婦だから汚い」とか思っているのは、誰でもなく、自分であるということ。偏見というのは確かに社会的現象だけれど、それを担っているのは一人一人の人間であって、取り払うのはその人個人でしかありえない。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
つまり、偏見は、自分の認知枠組みでしかないものを、客観的事実とか「世間の常識」とか共同主観的カテゴリーであると誤って考えることから生まれ、かつその信念によって強固になる。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
ともあれ、「偏見」だけで差別と言えるかどうかは疑問の余地がある。たとえば、「彼は東大教授だから彼が言うことは全部正しいんだ」というのは、もちろん偏見であって、相手を見下すのと同じぐらい有害だけれど、それはふつう差別とは言わない。差別は、基本的には、相手を自分より劣位に置くから。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
そこで②の論点にうつるわけだけれど、やはり、そこでの問題の本質は非対称性ではないかと思うわけです。つまり、相手がこれこれだから自分より劣っている。さらに、だから彼は攻撃されて当然だ、ということ。逆に言えば、自分はそういう属性をもっていないから、そのように扱われるのは不当であると。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
「相手はーだから、攻撃されて当然だ」というのは、よく聞く言葉ですよね。そう、イジメを正当化する論理です。じゃあ、差別とはイジメのことなのか?「あいつは空気を読めないから叩かれて当然だ」というのは、イジメだけど、それを「差別」と言えるかどうかは微妙です。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
というのは、「空気が読めない」というのは、むしろ相手の性格や行動の特徴であって、女性とか部落民とかいう相手の属性ではないから。(もちろん、僕はここでイジメを正当化してる訳じゃないです)。それは普通、差別とは言わない。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
じゃあ、差別って、どういうことなのだろうか。僕の考えはこうです。つまり「偏見」×「イジメ」=「差別」なんだと。認知カテゴリーに固着することは偏見ですが、それだけでは差別とは言えない。相手を従属させ非対称に扱うことはイジメですが、それも差別ではない。その両者の複合体が差別だと。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
もっと簡単に言えば、偏見と虐めの二つがが同時に満たされることが「差別」とみなす必要十分条件だろう、という感じですね。まあ、そう「差別」を定義しておけば、割と実態に即しているだろうし、差別というものがどういうものかを考えるときには便利なんじゃないかと思うわけです。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
ともあれ、差別のひどいところは、自分が相手にふるう暴力の責任を、相手の属性へと責任転嫁するところにあります。つまり、たとえば「あいつは売春婦だからレイプされて当然だ」というように。それは、相手からしたら、まったく謂われなき暴力です。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
僕は、たとえその人がどのような属性であっても、あるいはなにをした人であっても、やはり一人の人間として、尊重して、配慮される権利があると考えています。これは理屈ではなく、僕の信念です。もし、それに根拠が必要なら、暴力をふるわれる人、一人一人に魂があるからだ、としか言いようがない。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
もちろん、他人に魂があるかどうかなんて、確かめようがありません。そして、他者の魂とは何か、という問題を哲学的に真剣に語るのは、実は、めちゃくちゃ難しいことです。なので、ここでは省略します。ただ言えることは、そのような信念によって自分が相手にふるう暴力や差別を抑制できるということ。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
差別は、差別された他人の中に憎悪を産みます。その憎悪自体は、謂われなきものではありません。ともあれ、その憎悪が、憎悪した人への攻撃を産み、場合によっては、その相手と同じカテゴリーの人への差別さえ招きます。たとえば、労働者に虐められたから、労働者を全部侮蔑するようになったりとか。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
一人一人は人間として扱われる権利がある、あるいは、一人一人には魂があるという信念は、そのような憎悪の拡大再生産をできるだけ小さくするためには、有効なことだと思っています。私たちは、自分がふるう暴力と差別を小さくしていくことによって、社会の中の暴力を減らすことに貢献できるのです。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
そうすることによって、たぶん、自分が被る暴力も、最小化できるかもしれない。もちろん、ぜんぜん当てにはできないことは、僕が身をもって体験しているけれども。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
世の中には、一般に認知されていない差別がけっこうあるものだな、と思います。たとえば子供差別とか、売春婦差別とか、高学歴差別とか。人の潜在意識に根付いている差別はあまり表面化しないということもあるでしょうし、また、単に数が少ないものもあるでしょうが。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
さて、ちょっと論点をずらしたいと思います。社会学の主流の理論の多くは、社会規範や社会の共通認識によって個人の行動が決定される、そして、その行動によって社会が生まれると考えています。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
社会学の中に、社会構築主義と言われる流派というか潮流があります。それは、いろんな考えや理論があって一言では言えないのですが、たとえば現実は、社会的に構築され、あるいは個人は社会的に規定されていると発想します。そのとき、彼らが言う「社会」とは実は、言語的カテゴリーのことです。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
つまり、社会構築主義の信奉者は、たとえば「男性」という社会的カテゴリーによって、その人は構築され、決定されると考えるわけです。だから、その人に僕がなにを言っても、「あんた男だから女を支配したいんでしょ」と、頭から決めつけられるわけです。これでは会話は成り立ちません。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist
僕は、ある人が自分の認知カテゴリーに固執し、相手を一人の人間として見ようとしないことが「偏見」であると言いました。社会学は、とりわけ社会構築主義は、そのカテゴリーは個人の認知ではなく、社会的に共有された、それゆえ動かしがたいものであると考えています。
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コメント

🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月16日
上記のような「差別」の定義って拡大し過ぎて発散していってしまうような気がする。わざわざ差別という言葉で語らなくても、別の言い方が出来るような気がするし、差別の概念を拡大しすぎない方が議論をしやすいんじゃないかと思うんだけどなあ。 とりあえず、社会問題としての「差別」について扱うなら、以下のリンクの定義が今まで聞いたことある中では一番いいなと思いました。 http://macska.org/article/183
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月16日
ああでも、『差別』の定義を上記のブログのように限定した場合、『個人もしくは一部の集団に限定された偏見に基づき、その偏見を正当化した上で振るう暴力』のことをなんて言ったらいいでしょうね。何かいい言葉があれば/作れればいいんだけど。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月17日
どうでしょう。僕の考えでは、差別というものを社会構造上の問題だとすることには、いくつか問題点があると思います。まず、それは、言説レベルで「社会的差別」だと問題視されているものだけが差別と呼ばれるに値するとみなされかねないということ。逆に、僕は通常、問題視されていない差別を問題として俎上にあげるために、差別のメタ理論を提示しているわけです。 それと、「社会構造」という概念が、なにを指しているのかが不明瞭だということ。たとえば、法の問題なのか、経済的な不平等のことなのか。それとも、単に多数がやったら「差別」だ
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
いえコレも差別(続 RT @ishtarist: /「空気が読めない」というのは、むしろ相手の性格や行動の特徴であって、女性とか部落民とかいう相手の属性ではないから。(もちろん、僕はここでイジメを正当化してる訳じゃないです)。それは普通、差別とは言わない。
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
@ishtarist 能力も属性名が無かっただけ。今は発達障害アスペルガーという属性が知られてきたようですが、それこそレッテル、名前のない属性と認識されて無い差別は多々あると思います。
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
@ishtarist 性同一障害も制度化の為に作られたのかな。ほぼ全ての運動体がポジティブファシストのネクラ差別を認識せず、生の明るさ称賛をしてる。母性称賛と等しく悪質なのに、名前のない差別は認識されにくいしそれ自体が可視化されてない分深刻かと。
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
正当性は無い。あるのは差別の不当性のみ RT @ishtarist: 昨日の差別に関するツイートの重要な補足。差別は悪だと言われる。しかし、「偏見」と「虐め」の複合体であるとするならば、それはむしろ、「正義」の名の下で行われる。つまり、相手が「悪」であり、それゆえ善である私たちより劣っていて、それゆえ私たちは彼らを罰する資格があると。
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
@ishtarist 差別は不当。それは自明。被害者や支援者は正当なのか?落ち度は無かったか?あればドッチもドッチで自業自得?いえ、正当性など無いんです、最初から。あるのは差別加害者の不当性のみ。被害者の不当性追及は二時被害の危惧も。
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
反差別に正当性を主張する者は全くその通り RT @ishtarist: おそらく人は、自分が行う差別を「正義」と呼び、他人が自分たちに対してふるう差別を「悪」だと呼ぶ、それだけにすぎないのかもしれない。
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
RT @ishtarist: 「自分たち正義の敵であるとみなせば、相手にどんな攻撃をしてもよい。それは相手のせいなのだから。」僕の考えでは、これを差別と言うのです。
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
穏便な抗議でさえ暴力性は不可避。正当防衛も含め暴力を一律に否定出来ない RT @ishtarist: /こういう形式化はどこまで妥当でしょうか。すなわち、「差別とは、その暴力性を抑制されない正義のことである。」この命題が妥当だとすれば、どのような人も、差別を行うことがあり得るということになるでしょう。私も含めて。
ちゃん@ポエトリーキャット @chang__air 2011年6月19日
あ、しまった。本文読みながらレス付けて、コメント欄の上から三つを流し読みしてしまってました。ココこそ本題「問題視されてない差別を俎上にあげる」と「社会構造の実体」ですね?簡潔に表現するのは難しい…。前からさんざん言ってるけど、言及したのもボロボロだし(汗
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
『差別』は社会構造の問題(選挙権、婚姻など、法律によって定められた各種の権利の違い、刑罰の重さの違い、経済格差など、明文化できる違いがあること)だと思ってましたし(個人の『差別的態度』は別の問題です)、今も基本的にはそうだと思ってますが、 HuChangsaさんの『名前のない差別は認識されにくいしそれ自体が可視化されてない分深刻かと。』という指摘には、気付かされるものがありました。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
一応名前が作られたけど、まだまだ社会制度では無視されてるカテゴリーに属すとみなされている人(例えば男女以外の性の人)とか、まだ名前が作られてないカテゴリーに属すとみなされるであろう人(発達障害の概念がない時代の、発達障害の当事者のような人間や、ある地域の人たちが”人間”とみなされなかった時代の、その地域の人たち)への『差別』は見えない分、本当に根深いものがあると思います。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
このような、そもそも見えない/見えなくさせられている『差別』については、マジョリティ側にいる人たちが、相手の存在を認めなかったり(例えば、世の中には男と女しかいないと言って、そうでない人を存在しないことにしたり、男女以外の項目を作らないことで無自覚に制度から排除したりする)、 マイノリティに属すとみなされる人が制度によって剥奪されている権利の問題に目を向けずに『普通』に生活を続けることで、誰に何の悪意はなくとも、マイノリティ側になる人間は制度から排除され続けることになります。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
こういう状態の時に、マジョリティ側になった人たち自身が、自分の無自覚さや排除性を自覚せずに、差別をなくすことが可能なのか非常に疑問です。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
また、例えば世の中には○○性愛者しか存在せず、それが正しいあり方で、△△愛者は異常で許しがたい存在であり、死刑にしないと社会が間違った方向に進むと(ほぼ信仰の域で)心から信じきっていて、その考えをとても大事にしていて、△△愛者が存在することが堪え難い苦痛である人にとっては、「△△愛者には人権がある」という主張は、その人にとっては暴力性を持つでしょう。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
自分の信じる規範から逸脱した他者の存在を許しがたく苦痛に思う人がいた時点で、暴力性を持たずに、抗議をすることは出来ないだろうと思っています。 なのでHuChangsaさんの、【穏便な抗議でさえ暴力性は不可避。正当防衛も含め暴力を一律に否定出来ない】という意見はもっともだなと思いました(自分とは全く違う理屈だから勝手に同じにしないでほしい、という場合はすみません・・・)。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
一応念のため書いておきますが、マジョリティとマイノリティは二分できるものではなく、この人はある面ではマジョリティで、別の面ではマイノリティだ、というのが基本だと思ってます。 それから、『あなたは□□だから××が分からない』(例えば男性)ということを最初から決めつけることは非常に失礼だと思ってます。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
それには①相手が自分を本当に『男性』と思っているか分からないのに決めつけること(MTFやMTXの場合は暴力的。もしくはその他の理由で、『男性』に違和感・嫌悪感を持つ人かもしれない)、②自分のいう『男性』の定義が相手を無視している可能性があること(FTMの可能性)、③そもそも『男性』であっても何らかの可能性で××をよく分かっている可能性があるのに、最初から一方的に否定していること。 が問題としてあります。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月19日
ですが、相手が自分を□□であると認識し、それにまつわる規範を内面化することで誰かを排除しているのであれば、相手のカテゴリー□□を指摘して批判するのはアリなんじゃないかと今の所は思っています。 それは相手が自ら引き受けたアイデンティティを尊重した上で、相手が乗っている規範の問題点を指摘するために有効なんじゃないかと思っているからです。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月20日
自分の理解として、その人に全く悪意や攻撃性がなくとも『差別』の構造があることは感じます。それは自分の認識があまりにも自然に思えすぎて、相手の存在に気付かないことです。誰かが何かを言ったとしても、相手の主張を冗談と受け止め、本気だと思えないことです。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月20日
個人個人の関係で何の悪意もなく、むしろ尊重しようとしてくれた人でも、そういうことはありました。このようなタイプの『差別』は相手の性格とかの問題ではなく、もはや『構造』の問題としか思えなかったので、個人の偏見や攻撃性の正当化という考え方は、自分には馴染めませんでした。以上が、自分が個人的に『差別』について考えたことです。
🐣啄木鳥パフェ🐣 @Woodpecker_1234 2011年6月20日
書き方が偉そうになってしまったかもしれませんが、ishtaristさんの考えを否定して説得したい訳ではなく、このような考えもあることを話してみたかったのと、ここでのやりとりを通して、自分の差別に対する考えが深化させられればと思いました(また一方的な言い方になってたら、すみません・・・)。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
ちゃんささんには、すでに個別にお返事したのですが、こっちに投稿されていることに気づいていなかったので、あとでそのお返事は再掲します。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
ちゃんささん。そうですね、確かに「KY」というのは差別的に働いている可能性が非常に高いですよね。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
「正当性は無い。あるのは差別の不当性のみ。」そうですね、非常に重要な論点だと思います。差別に対抗する反差別でさえ、やはりその自らの暴力からどうしても逃れられない。だからこそ、自分の暴力は抑制的に使用していきたい。そういうことじゃないかと思います。その点は、over the rainbowさんにも、ちゃんささんにも、完全に同意します。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
「被害者の不当性追及は二時被害の危惧も。」そうなんですよね・・・本当に難しいことです。だからこそ、第三者は、自分の正義感を消費するために、安易に被害感情に乗るのは慎んで欲しいって思いますし、それが僕が一番言いたいことでもあります。。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
overtherainbowさん。言いかたに関しては気にしないでくださいね^^僕もたいがい偉そうに聞こえるらしいので(笑)
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
そう、おっしゃるように、ある人がある他者の存在を許し難く思っている以上、その人を擁護することは、それ自体暴力であることを避けられない。自分が暴力を行うことを全否定したら、現に行われている暴力を見過ごしにして自分は死ぬしかなくなる。でもそれは責任を取ることではない、と思います。結局、どうやって暴力を最小化するために、自らを正統化することなく、自分が暴力を限定的に使用するか、ということを心がけていくしかない。たぶん、哀しみとともに。おそろしく厳しい道ですが。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
ちなみに、暴力の最小化のために暴力を引き受けることについては、デリダのレヴィナス批判「暴力と形而上学」(『エクリチュールと差異』所収)の非常に重要な論点です。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
その前段については全面的に同意するとして、「相手が自分を□□であると認識し、それにまつわる規範を内面化することで誰かを排除しているのであれば、相手のカテゴリー□□を指摘して批判するのはアリなんじゃないかと今の所は思っています。」そうですね、具体的な例がちょっと思い浮かばないのですが、それが有効である可能性を、僕も否定はしないです。諸刃の剣だとも思いますし、できれば個人的には使いたくないところですが。。。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
「『差別』は相手の性格とかの問題ではなく、もはや『構造』の問題としか思えなかったので」そうですね、その構造とは、認知構造なのか、それとも法などの社会制度の問題なのか、両方の場合があるでしょうけれど、前者の場合、それに気づいてもらうためにどうするのか、それは相当に大変な問題だと思います。
馬の眼🐴@技能実習制度 廃絶運動なう @ishtarist 2011年6月20日
ともあれ、@HuhChangSaさん、@overtherainbowさん、問題意識を共有してもらえた上で、こうやって対話できることは、僕にとってはとても嬉しいです。ありがとうございます。
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