橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に対する批判

『ふしぎなキリスト教』に対するtwitter上の批判を集めました。
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金田一輝(俳詩人) @kanedaitsuki

#hushigichri 橋爪大三郎氏は「正統」教義は「多数決」で決定されると言う。もちろん表面的事実としては間違いないが、ここには信仰の感覚というべきものへの視点が一切欠けている。

2011-06-23 20:22:14

だいぶ以前にまとめたものではありますが、この『橋爪大三郎×大澤真幸『ふしぎなキリスト教』(講談社現代新書)に対する批判』は今なお読まれていますから、まとめた者の責任を果たすために、この書き込みをしておきたいと思います。
まず、キリスト新聞2011年10月22日2面に掲載された橋爪大三郎氏のインタビュー記事を引用しておきましょう。


――インターネット上では、事実誤認という声もあるが。
橋爪:この本に事実が書いてあると思うのが間違いです。
――では、どういうものとして捉えてほしいのですか。
橋爪:漢字に楷書・行書・草書があるでしょ。この本は言わば草書体なんです。草書体の字に向かって、画数が違うとか点が省略されているとか言ってもしょうがない。そういうものなんだから。じゃあ、草書体はいい加減か?私はこの本はこの本で実に精密にできていると思う。数学みたいに精密なものなの。ただその表現が漫才みたいなの。/飲み屋で酔っ払って話している二人組みたいじゃないかって言っている人がいた。そういうふうに仕上げてあります。だからそう楽しんでくれていいんだけど、でも言っていることは、よそに書いていないことで、しかも精密なことが書いてある。/論文にしたければ、どの1ページから、論文が何本も書けます。そういうふうに思う人は、クロウトのひと、もの書きの人です。そういう人には概して評判がよろしい。


このインタビューに対して以下の点を指摘し、本まとめを終えたいと思います。

・「事実が書いてあると思うのが間違い」である『ふしぎなキリスト教』を読むことがキリスト教の理解に寄与するとは全く思えません。

・『ふしぎなキリスト教』が草書体であると主張するのは構いませんが、書いてある字そのもの或は文法を間違えたら意味がありません。『ふしぎなキリスト教』は字或は文法を間違えていると、少なくとも私は批判したいのです。このまとめで引用させて頂いた方々やアマゾンで否定的なレビューhttp://www.amazon.co.jp/product-reviews/4062881004/ref=cm_cr_pr_hist_1?ie=UTF8&showViewpoints=0&filterBy=addOneStar
を書かれた方々もそのように考えられていると思うことは、私の勝手な思い込みに過ぎないのでしょうか。

・「精密」と書かれていますが、事実誤認がある本を「精密」とはどうして言えるのでしょうか。

・『ふしぎなキリスト教』は「クロウトのひと、もの書きの人」「そういう人には概して評判がよろしい」とのことですが、要するに本書を否定的に評価する人は素人だから無視して宜しいと言うことでしょうか。なお、キリスト新聞2011年10月15日2面で橋爪氏は批判者を「やたらと批判しないと気がすまない人」と表現されています。批判者をこのように否定的に表現するのは研究者としてどうかと思います。

私は研究者としては3流以下であることを自覚していますが(だから身分も未だ非常勤講師)、しかしそれでもやはり新約聖書学の「クロウト」としての自負/責任から言わせて頂ければ、『ふしぎなキリスト教』はキリスト教を理解したい方に 全 く お勧めしません。

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