Mickey RomanceとBIG BEAT

2
@mickey_romance

昔久留米にビッグビートというレコード屋がありました。うらぶれたビルの2階。怪しい雰囲気。タバコの匂い。ボクは中学2年生。友達のオヤジのレコードを売って金に換えようという魂胆で。ドアを開けるとそこには怪しいロンゲでオタク風情な店主が…。

2011-06-17 10:27:28
@mickey_romance

中学生が入ってはいけない雰囲気バリバリでドアを開けても「いらっしゃいませ」の言葉もなく聴いたこともないロックともわからない音楽とタバコのニオイで充満していました。「レコードを売りに来たんですけど」この言葉が精一杯、後はソワソワのしっぱなし。これがいわゆる輸入盤屋の初体験です。

2011-06-17 10:34:25
@mickey_romance

その後、高校入学式の日に予約しておいたサンハウスオリジナル盤再発3枚を取りに町のレコード屋に行ったところ店員さんに「こういう音楽が好きだったらそこのビッグビートっていう店に行ってみたら」と言われ恐る恐る2度目の入店。ここから僕とロックの本格的な付き合いが始まる。

2011-06-17 10:40:03
@mickey_romance

そういえば昔「貸レコード屋」なるものがありましたね。久留米にもチェーン店含め結構ありましたが、「33(サーティースリー)」というとんでもなくすごい貸レコード屋がありました。ブートまで置いているという…。まあその話は後日…脱線してしまいました。

2011-06-17 10:44:53
@mickey_romance

中学生の頃はめんたいロック、スターリンその他もろもろのちょっと有名パンクどころ、洋楽はピストルズ、クラッシュそして台頭してきたハードコアパンクをちょびっと聴いていた。これが高校生になってからアノ店に通いだし劇的にマニアックになっていくのでしたw。

2011-06-17 10:52:25
@mickey_romance

中学の終わり頃から「DOLL」を読み出して「こういうレコードって何処に売っているのだろう?」って思ってた矢先、あったんですよ、ビッグビートに!しかもたんまりと。ここから音楽への欲求は加速していく、それと同時に中学生の時に買っていたギターが解禁されもう爆発するしかなかったのです。

2011-06-17 10:59:01
@mickey_romance

高校生当時のボクの興味はもっぱらハードコア。毎週のように通い色々聴かせてもらっていたのです(今は視聴機というものがありますが昔はほぼ全てのレコードが視聴できました)。当然高校生なので月に買えるレコードはせいぜい1~2枚だったから。この視聴がボクの音楽を拡げていったのです。

2011-06-17 11:07:41
@mickey_romance

高校生の頃バイトちょこちょこしながらレコードを買い、友達(メンバー)動員してパンク聴き漁ってた。といってもほとんど廃盤で全然聴けなかったんだけど。この頃ビッグビートでパブロックやら60sビートを聴かせてもらってた。もう知らない音楽ばっかりで頭パニックw。

2011-06-17 12:43:26
@mickey_romance

高校を卒業して天神に引っ越したんでビッグビートはとんと行かなくなった。それと同時にあんまり音楽聴かなくなったし、バンドもなくなったんで音楽するのも辞めた。20代前半はまともに音楽聴かなかった。飲んでばっかり。あと仕事。つまんなかった。

2011-06-17 12:46:31
@mickey_romance

20代後半に家業を継ぐことになり久留米へ。この頃バンド(R&Bモッドっぽい日本語歌詞女性ボーカル)も再開しまた音楽三昧。再びビッグビートの地を訪れ、店主、バイト、客入り乱れてのエブリデイ飲み会。ほとんど毎日通っておりました。

2011-06-17 12:59:24
@mickey_romance

告白するとこの20代後半までTEENGENERATEやらREGISTRATORSやらネオガレージやら所謂パンク・ガレージは1つも知らなかったw。慌てて貪るように聴いた。それと同時にまたパンク熱発病。いっぱい出ていた再発レコードを聴き漁る。黒人音楽置き去りになるw。バンド解散w。

2011-06-17 13:03:17
@mickey_romance

独りになった私は30代から宅録の道へ。WEEZERなどの影響でパワーポップ色濃いロックへ傾倒。それと同時に60sポップを聴き漁る、これはビッグビート店主古川氏のモロ影響でこの後結成されるTCに色濃く反映されることとなる。この頃TCの土台となる曲の大半は作られた。

2011-06-17 13:12:17
@mickey_romance

途中1回ガールズパンクバンドを結成(私がドラム)したがあまりの演奏力のなさに脱退(私がつくっといて脱退w)。

2011-06-17 13:14:10
@mickey_romance

私のデモを録音するためにバンドが必要になったため、友人のバンド(PISTOLと名乗ってた)にお願いしてバックの演奏をやってもらう。ところがこのメンバーが大変私の曲を気に入り、なんと!私が加入して4人編成になり私の曲を演奏することになりバンド名も改名w。

2011-06-17 13:20:35
@mickey_romance

作曲についてちょっと。以前日本語で作ってた曲をビッグビート古川氏に聴かせたところ、もうホントにけなされた。もうケチョンケチョン。正直落ち込んだ。それと同時にこのオヤジに絶対イイ曲だと言わせてやると決意。曲作りの根本からやり直し。これが古川氏が俺の師匠たる所以です。

2011-06-17 13:26:46
@mickey_romance

本当に毎日のように行って毎日のように飲んだ。レコードもいっぱい買った。月5万円は買ってたんじゃないだろうか。SHADOWSとVENTURESはどっちがカッコイイかみたいなくだらないことでケンカしたりしたw。30代半ばまでは超青春だったw。

2011-06-17 15:35:17
@mickey_romance

TEENAGE CONFIDEDNTIALを結成したのが32歳。半年後アルバムリリース。やっとその日がやってきた。出来立てのアルバムを持ってビッグビートへ。とうとうやったのだ俺!古川氏は聴き終えて一言「素晴らしい!」と。やっと一人前だと認められた気がした。嬉しかった。

2011-06-17 15:47:06
@mickey_romance

それからCDが結構売れ、僕は天狗になって偉そうなことばかり言っていた(に違いない)。しかし楽しい時間はそんなに長くは続かなかった(永遠に続くものと思っていた)。忙しくてビッグビートに暫く顔を出していない間に古川氏のカラダは蝕まれていたのだ。結構な人がそんなこと知る由もなかった。

2011-06-17 16:13:11
@mickey_romance

バンドも順調にいきツアーが組まれ、恋愛だの何だのとプライベートをやり過ごしている時間にも古川氏は入退院を繰り返していたらしい。このことも私は知る由もなかった。忙しさにかまけてビッグビートへの足が遠のいた時だった。

2011-06-17 16:27:02
@mickey_romance

最後の1週間くらいは入院していることを知らされていたがお見舞いはやめてくれとのことだった。突然訃報は届いた。やるせなかった。やりきれなかった。だいぶ長い間ご無沙汰だったからなおさらだった。毎日酒を酌み交わした夜を思い出さずにはいられなかった。

2011-06-17 16:30:13
@mickey_romance

お葬式の最後の曲は生前から呪文のように言っていた(死んだら流してくれと)santo&johnnyのsleepwalk。なんだか心地よかった。しかし若すぎた。もっと音楽でケンカしたかった。僕はランブレッタをカッ飛ばした!さらば青春の光のように。

2011-06-17 16:37:02
@mickey_romance

その後CDが海外でも評判になりドイツのレーベル「SCREAMING APPLE RECORDS」から発売されることとなり僕はこう記した(持ってる方は見てみてください)。 http://p.twipple.jp/g5Fe4

2011-06-17 16:52:41
拡大
@mickey_romance

そして1年が過ぎ僕は結婚した。そして披露宴に恩師を呼んだ。一番カッコイイ僕を見てもらうために。 http://p.twipple.jp/bvMZ2

2011-06-17 16:55:44
拡大
@mickey_romance

本当に感謝しています。今でもずっとありがとうと思っています。ビッグビートの話はこれで終わりです。読んでくれた方ありがとう。TLに表示されてウザかった人ゴメンナサイ。

2011-06-17 16:58:10