【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」】

横山光輝「三国志」を一話ずつ解説してみようというコーナー。第273話「傅士仁と糜芳」の巻。 ※解説はbotさんの個人的見解です。 ※今回の話は、大判・横山光輝「三国志」第15巻に収録されています。
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横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」01】 第273話です。傅士仁(ふしじん)と糜芳(びほう)がメインのお話。 荊州城内を落ち着かせた呂蒙のもとに、陸遜がやってきます。戦勝をお祝いする口上を述べる陸遜に対し、そなたの知恵のおかげだと返す呂蒙。

2020-05-11 13:48:04
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」02】 しかし、荊州は広い。公安地方にはまだ傅士仁がいて、南郡には糜芳の一軍が健在。これをどうにかしないことには荊州全土を手に入れたとはいえぬ、と呂蒙が言えば、はい、と同意する陸遜。

2020-05-11 13:49:48
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」03】 呂蒙は、それを討つ良計はないかと陸遜に諮ります。さようでございまするな、と陸遜はアイデアは持っていたようですが、ここで虞翻(ぐほん)が口出しをします。合戦せずとも降せる方法があると。陸遜はここは黙って見守ることに。

2020-05-11 13:51:35
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」04】 虞翻は、傅士仁とは幼少からの友達だと言います。傅士仁は昔は呉のエリアに住んでたんでしょうか。 必ずそれがしの説く利害に彼は耳を貸し、きっと城を開くでございましょう、と言う虞翻に対し、呂蒙は面白いとして、言って説いてみよと許可します。

2020-05-11 13:56:27
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」05】 その頃、公安の傅士仁は荊州落城を知り、急いで守りを固めていました。だが心の中は戦々恐々です。そこに五百騎の呉軍が現れたとの報告。早くもと言ったところですが、数が少ないと感じた傅士仁。見ると、先頭にいるのは幼なじみの虞翻です。

2020-05-11 13:58:50
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」06】 使者として来たという虞翻にたいし、いかに親友といえども今は敵、と入城は拒む傅士仁。ならば、と手紙を読めと、矢文を傅士仁に送る糜芳。糜芳の手紙には、荊州城を守っていた潘濬(はんしゅん)も魏の于禁も罪を許されて呉に仕えたとあります。

2020-05-11 14:01:36
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」07】 捕らわれていた于禁ですが、呉に救い出された形になります。また、あっけなく落城した責任は潘濬にありますが、こちらも呉に寝返ったということでしょう。関羽が聞いたら激怒しそうな内容です。

2020-05-11 14:03:26
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」08】 部下をさとし、呉に忠誠を誓うならば、呉の旧臣と分けへだてなく、今まで通り公安の守将たることを許す、との手紙。むむむ、と傅士仁。虞翻は、呉の三軍が攻め寄せればこのような城はひともみだ、いたずらに血を流して自滅することはあるまいと説得。

2020-05-11 14:25:06
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」09】 たとえ傅士仁が城を守り通しても、荊州本城はもう呉軍の手に落ちています。関羽が帰ってきたらその罪は問われると言います。傅士仁は、確かに、ここを守り通しても罪と功が棒引きになるくらいのものだ、と考えます。

2020-05-11 14:29:52
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」10】 親友のお前を死なせたくない、という虞翻の言葉に、ついに観念する傅士仁。わかった、と城門を開き虞翻を入城させます。虞翻は早速、自分とともに呉候に会われるがよい、と言い、傅士仁を伴って荊州城へ向かいます。

2020-05-11 14:32:16
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」11】 荊州城にはすでに孫権が着いていました。傍らに呂蒙が控える中、傅士仁は孫権の前で忠誠を誓います。ところで、そちは南郡の糜芳とは親交があるだろうと尋ねる孫権。傅士仁は、今まで味方だったので、と答えます。

2020-05-11 14:34:41
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」12】 では、友情をもって糜芳を説くことはお前の義務だ、もし、糜芳を説いてここに連れてくれば、糜芳を厚く用い、お前にはさらに恩賞を加えるが、と孫権に言われた傅士仁。顔色を変えますが、忠誠を誓ったばかりで断れません。わかりました、と答えます。

2020-05-11 14:36:42
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」13】 傅士仁の苦しみを……、と背中で表現。孫権は、これで傅士仁も懸命に糜芳を説くだろうとほくそ笑みます。呂蒙は、それこそ活かした人の使い方でございまする、と言います。うまくいけば犠牲を出すことなく荊州全体を手に入れることが出来ますね。

2020-05-11 14:38:49
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」14】 糜芳は傅士仁に首尾を尋ねます。困ったことになった、と傅士仁。孫権が糜芳を説き伏せてここに連れてこいというのは難題だと言います。玄徳が旗揚げした頃からの宿将である糜芳がそう簡単に降るわけはないと。

2020-05-11 14:41:23
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」15】 虞翻は、たしかに糜芳は玄徳の宿将だが、彼の一族はもともと湖南の豪将で大金持ちで、毎日退屈な生活を送っていたところに玄徳という風雲児が現れ興味をもたれてくっついただけ、と言います。

2020-05-11 14:42:57
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」16】 名も命もいらぬ、という人間なら口説きにくいが、根が商人であるならば、利害は明瞭に判断できるはず、と虞翻。煮え切らない表情の傅士仁に、しっかりせい、自分の浮沈の別れ目じゃないか、と背中を押す虞翻。

2020-05-11 14:47:43
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」17】 自分からも孫権に南郡を威圧するように申し上げるから、がんばって口説けという虞翻の言葉に、傅士仁はやってみようと答えます。傅士仁は、南郡を向かいます。傅士仁 の裏切りを知らない糜芳は快く迎え入れます。

2020-05-11 14:49:23
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」18】 荊州城が落ちたことを嘆く糜芳。ところで、と傅士仁は自分がすでに呉に降っていることを告白します。自分とて忠義を知らぬ訳ではないが、荊州が落ちては万事休す。いたずらに将兵を死なせ、百姓に苦しみをかけてはならぬと考え抜いた末の結論だと。

2020-05-11 14:51:11
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」19】 そして、ともに呉の孫権の前にいかないかと誘います。しかし、さすがに糜芳は、多年厚恩を受けた漢中王・玄徳をこの期になって裏切ると思うのか、と激昂します。予想通りの反応に口を濁す傅士仁。そこに関羽からの急使が来たとの報告が。

2020-05-11 14:53:36
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」20】 ひとまず議論は打ち切り、急使の内容を確認しにいく糜芳。使者は、樊川地方の大洪水により、食糧の欠乏は言語に絶し、全軍飢えとの戦いになっていると。南郡と公安地方から支給食糧10万石を調達し、関羽の陣まで輸送しろという命令です。

2020-05-11 14:55:33
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」21】 もし、一日遅れれば杖刑40、2日ならば杖刑80、3日遅れれば打首にするとの言葉。どうも関羽は部下に対して厳罰主義で臨むことが多いようです。 糜芳はとても十万石という量は調達できないと、関羽の要求に答えるのは困難と考えます。

2020-05-11 14:58:47
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」22】 しかも、荊州が落ちた今、大量の物資を運ぶ手段がありません。意を決した傅士仁は、関羽の使者をいきなり斬り捨てます。なんとしたこと!と驚く糜芳に対し、我々の命を守るためだ、と傅士仁。

2020-05-11 15:00:11
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」23】 関羽は無理難題を言って、荊州が落ちた責任を自分たちの怠慢と玄徳に報告して、責任を逃れるためだ、という傅士仁。食料調達が遅れても斬られ、ここを死守しても責任は問われる。とすでに詰んだ状態であると主張します。

2020-05-11 15:01:41
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」24】 そこに呉の大軍が押し寄せてきたという報告が。虞翻の工作が功を奏したのでしょう。城前に呉の大軍が広がっているを見て、これでも食糧10万石が調達できるか、と傅士仁。むむっ、と糜芳。3日遅れは打首、もう考える余地はないとの言葉に再度むむっ。

2020-05-11 15:04:11
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【横山光輝「三国志」講座273「傅士仁と糜芳」25】 なぜ生きることを歓(よろこ)ばぬ、と力説する傅士仁の言葉に、糜芳はとうとうわかった、呉に降ろうと観念します。こうして、糜芳も城門を開いて呉に降るのです。糜芳の降伏を受け入れたのは呂蒙でした。

2020-05-11 15:06:05