いつごろから伊達を「いだて」と読まなくなったのだろう?

江戸時代初期頃はまだ「いだて」と呼んでいたようだが、既に畿内では「い」の音が抜けた「だて」と読むようになっていたという。 伊達氏は元々福島県の伊達町(陸奥国伊達郡)の出自でこの伊達という名前もその地に着いた伊佐氏が源頼朝から土地を貰った時に付けられたものらしい。 元々あったこの伊達という地名も兵庫県の姫路の射楯兵主神社(いたてひょうすじんじゃ)の人間が福島に移動したときに付けられたもので、その射楯もまた龍良(たてら)という龍蛇神を語源にしているという。 つまり、独眼竜政宗は遠からずもそのルーツを明らかにしているのであった🐉🌙
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六次元 中西正矢 @rokujigen

姫路の因達(いたて)神山にホアカリ、因達里にもイソタケルが居ました。射楯(いたて)兵主神社の祭神もイソタケルです。「い」は発語、「たて」は龍良(たてら)山から龍蛇神の龍です。一宮の伊和大神は蛇神の三輪大神(蛇神大物主=大国主)のことです。 pic.twitter.com/dbmqvMjdRU

2020-05-03 08:57:23
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ラテン語さん 1/7『世界はラテン語でできている』発売 @latina_sama

天正遣欧少年使節がローマに行った際、グレゴリウス13世は使節たちにローマ市民権を与えました。そのラテン語の文章を見ると、伊達政宗は当時「いだてまさむね」と呼ばれていたことが分かります。 pic.twitter.com/OcNzDpP4TE

2020-05-03 19:05:01
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しまちましProj. @cheenuts

伊達は「いだて」だったとな?確かに漢字の読み方として、はるかにまとも。なんで「い」を落としたんだろう?全国の伊達さんたち。

2020-05-03 19:07:31
しまちましProj. @cheenuts

「いだてまさむね」の後のREGEは、regimeとかの系統で、「支配」みたいな感じだというのはわかる。『薔薇の名前』にラテン語も含む、多言語ごちゃ混ぜに話す人がいたのを思い出した。 twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 19:25:42
kazist7 @kazist7

伊達政宗は当時「いだてまさむね」と呼ばれていたのか。知らなんだ。「い」音の脱落なんだな。「いやだ」→「やだ」、「している」→「してる」もそうだとウィキペディア「言語変化」にある。

2020-05-03 19:26:08
ハイド @TheMineSpoiler

天正少年使節が出発したのは伊達政宗が14歳の時なので、逆にどんな内容の記載なのかが気になるところ。 twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 19:27:10
Tatsuji Ozaki @ijustat2

へえ、伊達政宗は、当時 IDATE MASAMVNE だったんだ。 twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 19:28:19
bonum nocte @NocteBonum

明治維新前までは「いだて」だったようですね。遣欧使節を出したときのローマ法皇への書簡↓も、「いだて」にしていますね。 twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 19:30:48
安積 @ttnk1915asaka

いだて から だて に変わったのはいつなんだろう? 江戸時代なのかな かな表記で残ってる文献ないのだろうか…… twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 19:37:20
甲戌宗維 @koujutusoi

伊達政宗に言及しているなら、天正ではなく、慶長の遣欧使節では?IDATE MASAMUNEの上にPAVULUM QVINTVMとありますが、これはパウルス5世(在1605-1621)のことでしょうし、時期に合致します。上方では、既に伊達の発音は「だて」となっていたことも傍証として挙げられます。 twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 19:37:50
moriarty @moriart74968761

MASAMVNE ですね U は後からできた文字で最初は V だった というはなしをフォントデザイナーさんの本で読みました ブルガリ さんは歴史が古いので U を使わないのだとか twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 20:08:32
SK@言語/音楽/着せ替えetc.固形物 @k_she2002

@latina_sama 伊達屋と書いて「いたちや」と読む店があります。初見でまず読んでもらえない。

2020-05-03 21:14:18
LingLang@言語学好き @linglanglong

「伊達」が元々は「だて」ではなく「いだて」だったことは漢字表記から分かりますが、伊達政宗の時代にもまだ「いだて」だったとは知りませんでした。 恐らく本人の発音は [iⁿdäte̞ mäsämɯne̞] (インダテ マサムネ) だったのでしょうね。 twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 21:16:24
LingLang@言語学好き @linglanglong

なお、本人の発音に関しては以下のような仮定を置いています。 ・入り渡り鼻音は東北では現代でも残っているので政宗にもあったはず ・ウの母音の円唇性は当時から東日本では弱かったはず ・イ・ウの中舌性やエの狭さは江戸時代以降に発達した特徴で、当時の東北ではまだ顕著ではなかったはず

2020-05-03 21:23:37
リョウテン @r_oxi25

昔、伊達政宗を"いたち まさむね"と間違えるCMがあったな、と twitter.com/linglanglong/s…

2020-05-03 21:24:47
まんりき王朝@C103日曜日東ヘ-55b @manriki_ocho

天正遣欧使節に伊達政宗は一ミリも関与してないという問題が……(まだ青年)。慶長遣欧使節の間違いでは twitter.com/latina_sama/st…

2020-05-03 21:31:34
LingLang@言語学好き @linglanglong

濁音の前の狭母音(イ・ウ)が脱落する現象は類例が結構あって、濁音始まりの和語が出現する主な要因にもなっています。 伊達 いだて>だて 出羽 いでは>いでわ>でわ 出る いづ>いでる>でる 出す いだす>だす 出来る いでくる>できる 何処 いづこ>いどこ>どこ 抱く いだく>だく 薔薇 いばら>ばら

2020-05-03 21:33:26