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天文16年(1547年)11月、土岐一族が籠城する「大桑城」を「美濃の蝮」斎藤道三は攻めた。斎藤一族による美濃国簒奪の最終局面と言える。 pic.twitter.com/npO1uYiWRb
2020-04-30 19:49:21四国堀跡。美濃国守護土岐頼芸が大桑城下に造ったとされる堀跡。土岐氏は斎藤道三との戦いに備えて大桑城下全体を堀や土塁で守る「惣構」を構築していた。 pic.twitter.com/dKzJ6uX3tf
2020-04-30 20:03:39大桑城への防波堤「四国堀」近辺で斎藤軍と土岐軍による激戦が展開された。この激戦によって大桑城下街は灰塵に帰した、という、、 pic.twitter.com/lDTAiztenR
2020-04-30 20:09:09十五社神社。岐阜県山県市に鎮座する神社。この神社は斎藤道三が大桑城を攻めた際の城攻めの火がこの神社にまで延焼し社殿は焼失したという、、 pic.twitter.com/kWKjtHtAgz
2020-04-30 20:15:14土岐頼芸は石清水八幡宮を勧請合祀し十五社神社を「十五社大権現」と改称し本殿を改築したという。「十五社神社」はどうやら土岐氏ゆかりの神社であるようだ、、 pic.twitter.com/DyLBtOgT48
2020-04-30 20:26:15本殿内陣用狛犬。十五社神社にある基底部に「天文九庚子年」「奉土岐氏神」と刻まれている狛犬。この狛犬はガラスケ―スに納められているようだ。 pic.twitter.com/fIdwHXoDrv
2020-04-30 20:35:48天文9年土岐一族に十五社神社に奉納された狛犬は7年後に発生した「大桑大乱」による戦禍を社殿と共に受けたと考えられるが奇跡的に残ったようだ。その為現存している。 pic.twitter.com/0Uivuqf4hI
2020-04-30 20:42:10土岐氏による恩恵を受けた「十五社神社」は「大桑大乱」による戦禍によって狛犬を残して灰塵に帰した。この神社は土岐氏と共に一度滅亡したのだ、、 pic.twitter.com/5TgULfYCLT
2020-04-30 20:47:32大桑城跡。岐阜県山県市にある「古城山」と呼ばれる山に築城された山城跡。この城郭は「大桑大乱」の舞台地であり土岐氏滅亡の地。 pic.twitter.com/Kio5kvuMWA
2020-04-30 20:59:06大桑城「馬慣らし場」付近の掘切には石垣らしき石が散乱している、、転落石だろうか。。 pic.twitter.com/Y9FDae7fUa
2020-04-30 21:59:16伝「馬場」。大桑城の「馬場」があったとされる広大な曲輪。馬ならし場があったと考えられているようだが、、、 pic.twitter.com/xbuYdBzDGJ
2020-04-30 22:05:58どうやら伝「馬場」は司馬遼太郎の「国取り物語」ゆかりの地であるようだ。斉藤道三を主人公とした「国取り物語」の前編は大桑城を舞台に話が進んでいく。 pic.twitter.com/SN1ljv7htK
2020-04-30 22:09:35石垣跡。大桑城には石垣が数多く点在している、写真の石垣もそのうちのひとつ。 pic.twitter.com/khLoTSdLzf
2020-04-30 22:40:30大桑城の竪堀は落ちるとどこまでも落ちていくような気分にさせてくれる程に長く急峻であるように感じる。 pic.twitter.com/o5gNOyX1yV
2020-04-30 22:35:58大桑城の石垣らしきモノが崩れているのがわかる、、あちこちで石垣が見られるこの城郭はかなり立派な石垣造りの山城だったのだろうか、、 pic.twitter.com/lvHRQVxCil
2020-04-30 22:47:40斉藤道三の配下が青波村の餅屋の老婆から大桑城の攻略方法を聞きだすことに成功する。餅屋の老婆曰く「ふもとから城の下へ向かって草木を刈り取り、枯れた枝で火道を作ればよい。」 pic.twitter.com/Wq12QDhok6
2020-04-30 23:33:51餅屋の老婆の提案を実行した斉藤軍は大桑城を火攻めにすることに成功する。火は燃え広がり土岐一族が籠城する大桑城は炎に包まれる。 pic.twitter.com/AHScdn7vrY
2020-04-30 23:36:43伝「台所」。大桑城の古地図に「台所」と書かれた曲輪。「台所」という名前の通り籠城の為、食物を調理する場であったのだろう、、 pic.twitter.com/RqMGOKwC6g
2020-04-30 23:47:08