戦後初の衆院選では女性議員は8.4%を占めこれを更新したのは2005年だった 〜 女性議員の増加を阻んできたもの
奥山陽子さんより面白い図表。戦後の初の衆議院選挙では女性の議員比率が非常に高かった。しかし、直後に急落し、2005年までその記録は破られなかった。直後の選挙では女性の候補者は増えているのに当選議員比率は急落している。因果関係は不明だがこの間に大選挙区制から中選挙区制になっている。 pic.twitter.com/IPw35wqrjX
2020-05-16 22:50:34この話、日本の女性議員比率の低さを非難する文脈で聞いたことなかったんだけど、めちゃくちゃ大事な話じゃない?なんでこんなことになったのか?まず大選挙区制から中選挙区制への移行で理論的に説明できる話なのか?そうだとしたら、これは女性議員比率を下げるための制度変更だったのか?
2020-05-16 22:52:14@mixingale 最初の選挙の時は、一人1票じゃなかったはず。 2票あるうち片方を女性にする人が少なくなかったとか。
2020-05-16 22:52:51@high_octane2960 そうみたいですね。それで理論的に説明できる話なのか気になります。
2020-05-16 22:53:17これ、当時の投票データを使って人々の選好を識別して、かりに第二回選挙でも大選挙区制のままだったら女性議員比率がどうなっていたかを定量化してみると面白いのではないか?
2020-05-16 22:54:55このデータはしっかり受け止める必要がある。候補者だけ増やしてもダメで女性議員の当選比率を高める必要がある。 twitter.com/mixingale/stat…
2020-05-16 23:15:49経済学者ではない人が経済学者にならずに経済とかその周辺を研究する手もある。その逆を経済学者がやっているように。 twitter.com/mixingale/stat…
2020-05-17 07:44:32経済学周辺、おもしろい研究テーマありすぎて困ってるのでみんなどしどし経済学者になってほしい。人手が足りない。
2020-05-16 23:00:32少なくとも当時の資料でそのように書かれたものは読んだことないですね twitter.com/mixingale/stat…
2020-05-17 07:48:17@000fukumoto なるほど… 第92回帝国議会 衆議院本会議議事録に例えば、原彪(日本社会党)の 「…幣原國務大臣にいたしましても、委員會における質疑應答の中に、決して私はこの選擧法において、今囘の改正によつて、 1/n
2020-05-17 08:44:51@000fukumoto 婦人代議士の進出を阻止しようと考えているものではありませんというような意味の御答辯があつたのでありますが、…」(1947/03/30)などの発言が記録されており、 2/n
2020-05-17 08:45:23@000fukumoto 事前に、 選挙法改正で婦人代議士の進出が阻まれるのではないか?という意見そのものははあったようで 興味深いなと。 (それがメインの争点であったかどうかや、単なるチープトークであったかどうかは別ですし、検証の余地がありますが・・・) 3/3
2020-05-17 08:47:12@mixingale @yoko_okuyama_jp 近いトピックでChapter書いてるので、元論文読みたい!僕は、制度の事知らなかったので、自身と対立候補の人口学的特徴の組み合わせで説明しようとしてるのだけど・・・。
2020-05-17 10:15:25可能なら、近年の選挙が小選挙区じゃなくて中選挙区、大選挙区だったらどういう結果になっていたのか、与野党の得票数との比較ももちろん含めて、最終的に女性議員数への影響があったのか検証してもらいたい。すごく興味深い。 twitter.com/mixingale/stat…
2020-05-17 10:58:12@yoko_okuyama_jp @000fukumoto ちなみに標準的な理解ではこの大選挙区制から中選挙区制への移行はどういう目的のためになされたものということになっているんでしょうか?
2020-05-17 11:14:17@mixingale @yoko_okuyama_jp @000fukumoto 昔ちょっと読んだことがある戦後自治史の資料にアクセスできたので少し見てみました。ひとつの座談会だし直接答えになってるわけではないですが,46年の選挙制度については内務省の影響が強かったという認識みたいですね。まず内務省は比例にしたいけど時期尚早,と考えていたようで(1/n)
2020-05-17 12:41:36@mixingale @yoko_okuyama_jp @000fukumoto そのステップとして制限連記を提案して導入したということです。実際に制限連記を言ったのは坂千秋のようで,彼が比例への方向性にも意欲的だったようですが,46年の選挙の直後に公職追放されることになります。他方で政治家の側からするとこの制限連記は不評だったみたいで(2/n)
2020-05-17 12:43:13@mixingale @yoko_okuyama_jp @000fukumoto 座談会の中では坂千秋が「一人一票の原則を主張する」という斎藤隆夫や勝田永吉(たぶん)から批判されるという話が出てきます。両者は軍部に反対してた当時のリベラルな議員ですね。勝田はすぐ亡くなりますが,斎藤は片山政権で入閣するなど一定の影響力もあるようです。(3/n)
2020-05-17 12:46:49@mixingale @yoko_okuyama_jp @000fukumoto 坂の話については,堀切善次郎とか小林与三次も,まあ坂が強く主張してて…みたいなノリで,制限連記自体はそんな大きな問題じゃないと見ているような感じです。その辺を考え合わせると,まあ解釈ですが,坂というスポンサーがいなくなり,比例も難しい中で議員の意向で変わったのかなあと。(4/5)
2020-05-17 12:49:48@mixingale @yoko_okuyama_jp @000fukumoto 女性については,参政権付与がやはり大きな問題で,それでも堀切なんかは2・3人しか当選しないだろうと思ってたら30人以上来た,という印象のようで,それが制限連記の効果なのではないか,という認識のようなものもあったみたいです(これも解釈ですが)(5/5)
2020-05-17 12:51:43大選挙区制下では一人で3名を連記できたりしたところでは、昔から支持する候補系、女性、共産党を一人の有権者が投票したというような話をどこかで読んだ記憶があるけど、これも検証はされてなかったんじゃないかな。
2020-05-17 12:54:10@mixingale @yoko_okuyama_jp @000fukumoto 先にこっち調べた方が良かったかもしれませんが,1975年に水崎先生が(さすが!)この選挙について書かれた論文があります。基本的には同じ線の理解だと思いますが,最後を見ると自由党・進歩党が官僚批判込みで中選挙区制に向かわせたという理解ですね。repository.lib.gifu-u.ac.jp/bitstream/20.5…
2020-05-17 13:08:33@sunaharay @yoko_okuyama_jp @000fukumoto そうすると、比例制の前座としての制限連記制を押す勢力が後退した結果として中選挙区制が導入されることになったというのが制度変更の主な原因で、そのとき制限連記制が女性の議員比率を高める効果があったことは認識されていたかもしれないがその意義は特に考慮されなかった、という感じですかね。
2020-05-17 13:09:35@mixingale @yoko_okuyama_jp @000fukumoto 水崎先生の論文と座談会をざっと読んだ僕の印象ではそんな感じです。まあ減ることは十分に予想可能だったと思いますが。
2020-05-17 13:12:04終戦直後の衆院選挙制度変更(×2)と参議院の全国区導入とその後の変更と比例制導入,非拘束名簿式の導入についてはきちんとリサーチが必要だと思っているのだけどなかなか手が回らない。政治史として研究する人も出てきそうだ。
2020-05-17 13:20:23