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おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか?

80年代論『「おたく」の精神史』を周辺の話を掘り下げて考察 「おたく」とは何か?昔のツイートも遡って考えます(Togetter編集部)/大塚英志の1980年代論『「おたく」の精神史』では『漫画ブリッコ』周辺の作り手について一切触れられてませんでした。そこでインターネット上の書き込みをもとに大塚英志以外の視点から見た『漫画ブリッコ』周辺を再検証することにしました。ただし、ここにある書き込みが事実であるとも限りませんので、その点はご了承ください。
中森明夫 竹熊健太郎 オタク マンガ 1980年代 おたく 漫画ブリッコ 漫画史 大塚英志 岡崎京子
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”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証

(『漫画ブリッコ』は)白夜書房から出ていたロリコンマンガ誌。元ふゅーじょんぷろだくとの編集長だった緒方氏(引用者注:緒方源次郎=小形克宏)と大塚某(引用者注:大塚英志)の2人の編集による本で、女性系作家も多数採用した。後に中森明夫が「おたく」について書き、それが「おたく」の語源となった。人脈的には緒方氏系が多く、大塚某の比重はそんなに大きくないように見える。

阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 p.68

〄虫塚"KERA"虫蔵〠 @pareorogas
白夜書房(現在のコアマガジン)が発行していた美少女まんが誌『漫画ブリッコ』。当時、白夜の漫画誌は『コミックセルフ』等しかなく当初は三流劇画の再録誌として出発するが、路線転換で表紙が南伸坊から谷口敬~あぽに変更になり、悶々、白倉由美、西秋ぐりんらが引き継ぐ。終刊号表紙は森野うさぎ。 pic.twitter.com/rSl7t1jXSE
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ふわたん @carrot_lapaix
ほしい… オリジナルTシャツはどんなデザインだったのか。 藤原先生のカニバリズムカーニバルが気になって仕方ない… 先生には、漫画審査してもらったことがある。RT
加野瀬未友 @kanose
エロはアングラに潜れ話で、大塚英志氏が、もともとエロは警察との追いかけっこなんだから、ブリッコの表紙を少女漫画風にして、目につかないようにしたってのを自慢話にしていたのを思い出したんだけど、これ今だと「一見子供向けのように見えてよくない」と言われるよなー
渋井哲也 @shibutetu
森川嘉一郎(明治大学)「そもそも少女漫画的な絵柄での性描写はいつから?『漫画ブリッコ』。82年〜83年、表紙の絵柄が変わっている。同人誌で描かれているものがかわった。同人誌『シベール』で描いていた作家が、メディア芸術祭で大賞受賞。プロになった後自由な表現を求めて同人誌へ」
稀見理都@「エロマンガ表現史」12刷、発売中! @kimirito
ついでなので、久しぶりにこちらも上げておきます。「漫画ブリッコ」全リスト。最初の6号までが、エロ劇画再録誌。その後美少女路線変更。1983年6月号に「おたく」という言葉を最初に商業史で扱ったコラムを掲載。休刊2ヶ月後「漫画ホットミルク」が後継誌として創刊。 pic.twitter.com/FVkMe08lrq
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後藤寿庵 @juangotoh
んー、ブリッコの表紙はなにしろ当初南伸坊先生だし、谷口敬先生を採用してやっと「ロリコン誌」になって、かがみあきら先生の表紙でもう「エロは脇役」になっちゃった。
後藤寿庵 @juangotoh
漫画ブリッコについては、あぽことかがみあきら先生が一番人気、そしてメビウス的なクール作画の藤原カムイ先生。とんがった女性の代表の岡崎京子先生。ほんと頭のいい連中がいて奇跡のバランスを保ってたのよ。かがみ先生が亡くなって大塚編集長が手を引く時期に僕がデビューしたんだけど、
後藤寿庵 @juangotoh
あえて言うけど、「漫画ブリッコ」って奇跡のような本でさ、あの才能が集まってたから僕も行ったのよ。そりゃ岡崎京子や藤原カムイやかがみあきらにはかなわないよ。あれらを見て漫画家諦めるのも普通だよ。でもあそこに行きたいって思ったから僕も行ったんだよ。
リンク www.burikko.net 1 user 2 漫画ブリッコとは? | 漫画ブリッコの世界 80年代を駆け抜けた伝説の美少女コミック雑誌「漫画ブリッコ」とは何か、簡単に解説
リンク Wikipedia 2 users 漫画ブリッコ 『漫画ブリッコ』(まんがブリッコ)は、白夜書房が発行していた成人向け漫画雑誌。『レモンピープル』と並ぶロリコン漫画誌の草分けであると同時にコアマガジン発行の漫画雑誌の源流にあたる。また誌上で「おたく」という言葉を生み出し、サブカルチャー雑誌として多くの才能を生み出したことでも知られる。 当初は三流劇画誌として1982年11月に創刊され、1983年5月号から大塚英志と小形克宏を編集長に迎えた「美少女コミック誌」としてリニューアルされた。 セルフ出版発行・日正堂発売で、1982年11月に創刊された(後に白夜書
リンク Wikipedia シベール (同人誌) 『シベール』は、吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建らがコミックマーケットで販売していた日本初のロリコン漫画同人誌。1979年4月に創刊され、1980年4月頃までに廃刊した。 同誌はコミックマーケットにおける「ロリコンブーム」の起点となり、日本初の商業ロリコン誌『レモンピープル』を始めとする美少女コミック誌の成立にも深く関わることになった。また同誌の潮流は『くりいむレモン』などの美少女アニメの展開および美少女ゲームの発展にもつながり、現在の二次元美少女(二次ロリ)文化すべての原点とみなされている。 『シベール

僕の知る限り、大塚さんという人はロリ属性はほぼ皆無ですからね。じゃあ、なんでロリコン雑誌なんか作っているのかと聞いたら、「そのほうが売れるから」という答えが返ってきたのをよく覚えてますね。当時、本人は梶原一騎が大好きだと言ってた。

「ブリッコ」をニューウェーヴ・コミックの末尾だという指摘は正しい。彼がブリッコを作っていた83~84年は、「マンガ奇想天外」のようなニューウェーヴ系がほぼ絶滅しかかっていた時期で、要するに大塚さんや藤原カムイ、あと俺を含めて「列車に乗り遅れた」わけですよ。

そういう中で、雑誌を売りつつ好きなことをやろうとしたら、当時売れ筋だったロリコン物を前面に押し出すしかなかったわけで。大塚さんが当時さかんに編集後記で「不毛」と韜晦していたのは、そういう背景があったからだと思う。その意味では、正直な人ですよ。

だから、ロリコンではなく「美少女誌」なんだと彼は強調していたわけだし、他のロリ系雑誌が扱わなかった岡崎京子や桜沢エリカを積極的に扱っていたわけ。あと彼の「趣味」の部分で、古い劇画系の絵である飯田耕一郎のオカルト物をしつこく連載していたり。たぶん人気は全然なかったと思うんだけど、これが後に原作者となるときのベースになっているんですね。

それから「ブリッコ」に関しては、彼の「相棒」だった小形克宏の功績を無視することはできないんだけど、小形に関しても、大塚さんはまるで最初からいなかったかのように無視している。でも岡崎京子や桜沢エリカを見いだしたのは小形だし、中森明夫を連れてきたのも彼。なんだかんだでブリッコ作家の半分以上は小形人脈なんだけどね。

投稿: たけくま | 2005/03/16 08:28

あおくろ @BlueBlack_Blau
@pareorogas これ恣意的なものが有るのでしょうか? あるいは大塚の記憶が曖昧なので意図的に書かない,あるいは失念しているからなのでしょうか?
〄虫塚"KERA"虫蔵〠 @pareorogas
@BlueBlack_Blau 「語る価値がない」と判断したからでしょうかね。記憶が曖昧なことはないと思いますが、大塚某は自分の手掛けた当時の雑誌を殆ど手放してるのもあり、過去のこと…特に私的な人間関係に絡む部分はあまり振り返りたくないのでしょう。でも、それだと不自然なんですよ。大塚史観は取り扱い注意ですね。
あおくろ @BlueBlack_Blau
@pareorogas 今までの書籍を見るかぎり,完全に忘れてるのではなく「うろ覚え」と「情報の錯誤」と「裏付けが取れない」ことからお茶を濁したり,意図的に無かったことにしている可能性が高いと思います。勿論思い出したくない過去も有るでしょうが。その辺り大塚某にインタビューしてみたいです。
あおくろ @BlueBlack_Blau
@pareorogas もう一点,大塚某が過去自分が手掛けた雑誌含めて資料も少ない(評論家なのに資料魔どころか集めもしない),記憶に頼ってる事から,本人も思い出せない関与した雑誌が多数出てくる可能性が有ります。 私自身会社でやったテーマも殆ど忘れているので,関わってる者からすればそんなものだと思います。
〄虫塚"KERA"虫蔵〠 @pareorogas
@BlueBlack_Blau 当事者として認識不足を露呈するのは避けたい一心からの黙殺というわけですかね。でも過去の人物取材を怠ってるというより、どう考えても避けてるとしか思えないんですよね。そもそも割と細かい記述はあるのに元相棒のおぐゎた氏に一言も言及しないのもいくら記憶に頼ってるとはいえ不自然すぎます。
〄虫塚"KERA"虫蔵〠 @pareorogas
@BlueBlack_Blau 「元『ふゅーじょんぷろだくと』の緒方氏と『リュウ』の大塚某が合流して企画をもちこみ両者の人脈を合わせて『漫画ブリッコ』という雑誌になった」という、せいぜい数行で済む説明すらオミットするのは個人的に記憶が曖昧とか以前の問題だと思うのですよね。上記の説明から緒方氏が抹消されているので
竹熊健太郎《地球人》 @kentaro666
小形は80年代初頭、大学在学中から「ふゅーじょんぷろだくと」で編集者を始め、大塚英志氏と出会って、二人で企画をセルフ出版(白夜書房)に持ち込んで「漫画ブリッコ」を普通のアダルト誌から「美少女漫画誌」に改造し、藤原カムイ、岡崎京子、みやすのんきなどを載せて同誌を成功に導きました。
竹熊健太郎《地球人》 @kentaro666
小形とは32年の付き合いになりますが、また一緒に仕事をするとは思いませんでした。彼は近年、奥さんの青木光恵さんと電子雑誌「スマホでみつえちゃん」を始めるなど、電子出版に意欲的に挑戦しています。マヴォが集めた新人作家のポテンシャルを高く評価していただき、一緒にやることになりました。
リンク Wikipedia 4 users 小形克宏 小形 克宏(おがた かつひろ 1959年 - )は、東京都のフリーライター、元編集者。妻は漫画家の青木光恵。旧名は緒方 源次郎(おがた げんじろう)。 『ぱふ』『ふゅーじょんぷろだくと』編集部を経て群雄社出版で仕事をするかたわら、1983年から大塚英志と共に『漫画ブリッコ』(白夜書房)の編集に「おぐゎた」名義で携わる。その後はフリー編集者として本名の小形克宏名義で数々の漫画関係書の編集を行い、夏目房之介の漫画評論活動のブレイン的役割を果たした。現在は文字コードについての研究・執筆を行っている。
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コメント

まあちゃん02 @eK0SV72lWxlYb8L 2020年5月21日
40代初めのおたくとして興味深いまとめ。実際に漫画ブリッコもシベールも読んだ事が無いので小形克宏氏の存在を初めて知る。Wikiで調べると漫画家の青木光恵氏の夫とあり2度ビックリ!今や「おたく=ネトウヨ」みたいに言われているけど80〜90年代のおたくは左派寄りで昭和から平成に代わる時「月刊アウト」では投稿葉書で「平成?兵制の間違いじゃない?」なんて掲載されてて当時小学生の自分には印象に残っている。中森氏も大塚氏も今でも左派だがその作品を読んで育った自分は何故か安倍自民党を支持するネトウヨになった。
魔宵蛾(休眠中 @mayoiga 2020年5月21日
休刊の少し前、ローティーンの分際で作家目当てで1~2冊を買った。SF系マイナー少年誌とアニメ誌(徳間系に限らず)の流れだったが、同じく作家でこっそり買ったLPも少年誌とアニメ誌でロリコン物(かつては「美少女」とかの意味合いだった)が持て囃されたころに出てきた作家を起用していて、オタク系サブカル+美少女という組み合わせが受け入れられる時代の始まりだったかと思う。
毛海王⋈ @masu_ooyama 2020年5月22日
就職のため引っ越すときにほぼ揃ってたブリッコ全部処分してしまったのを何十年も後悔し続けてる。
べにかわむき @lVXrA2f37kbVBzi 2020年5月22日
91年『週刊SPA!』の影響はちょっと遅くねえ?宮崎の後だろ?