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おたくの語源―”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証―岡崎京子・桜沢エリカ・白倉由美は誰かデビューさせたか?

大塚英志の80年代論『「おたく」の精神史』について周辺の話を掘り下げて考察。「おたく」とは何か?昔のツイートも遡って考えます(Togetter編集部)/大塚英志の1980年代論『「おたく」の精神史』では『漫画ブリッコ』周辺の作り手について一切触れられてませんでした。そこでインターネット上の書き込みをもとに大塚英志以外の視点から見た『漫画ブリッコ』周辺を再検証することにしました。ただし、ここにある書き込みが事実であるとも限りませんので、その点はご了承ください。
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虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

【漫画ブリッコ創刊まで】 始まりは交換広告を届けにきた大塚某に、ふゅーじょんぷろだくとの小形克宏が声をかけ「ぼくらのまんが誌」を作ろうとしたことだ。企画を売り込みやすくするため、デザイナーの長谷川哲治も加わっている。大塚某は言及しないが、ブリッコは3人1組のチームで始まったのだ。 pic.twitter.com/3y2cDbEnmc

2024-02-18 22:49:45
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虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

漫画ブリッコは、まず小形氏の人脈をフィールドとして進められ、大塚某が企画を主導するようになった。小形氏は84年までに降板、85年に大塚某が自己都合で降板するも、デザイナーの長谷川氏は一貫してブリッコにかかわったとされている。長谷川氏とコンタクトを取りたくて長年仕事をした鈴木一之氏に…

2024-02-18 22:57:04
虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

長谷川氏の近況を尋ねたが、最近は音信不通でよく分からないと昨年に聞いた。がっかりしてあきらめていたんだが、2017年に人間社文庫から出た『エ〇本水滸伝―極私的エロメディア懐古録』のあとがきに、長谷川氏の名前があった。かれは2017年時点でバリバリ現役のデザイナーとして活動していたのだ。 pic.twitter.com/b1T9Fzklzl

2024-02-18 23:01:39
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虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

ブリッコは「おたく」の語源として散々引用されてきたが、雑誌自体が現場レベルでどのように成立したのかについては誰も注目してこなかった。せいぜい大塚某の自伝が参考にされるぐらいだが、あの本は小形氏の存在すら抹消してるので、あまり参考にならない。長谷川氏もまた抹消された制作者の一人だ。 twitter.com/pareorogas/sta…

2024-02-18 23:06:12
虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

pareorogas.booth.pm/items/5169140 小形克宏氏のロングインタビューは、拙編著『川本耕次に花束を』にて読むことが出来ます。学術研究員ですらない在野の人間がここまでのインタビューをとれたのは自分ごとながら、よくやったと思います。

2024-02-18 23:31:16
リンク pareorogas.booth.pm 【増補改訂版】川本耕次に花束を - 迷路'24/虫塚虫蔵 - BOOTH You can have this as a coffee table item next to your figurines and other anime goods, and when a guest points to it and asks 'what's that?', you can tell them that's a tribute book about the man who sown the seeds for hentai that led to your collection o

”非”大塚英志史観の『漫画ブリッコ』再検証

(『漫画ブリッコ』は)白夜書房から出ていたロリコンマンガ誌。元ふゅーじょんぷろだくとの編集長だった緒方氏(引用者注:緒方源次郎=小形克宏)と大塚某(引用者注:大塚英志)の2人の編集による本で、女性系作家も多数採用した。後に中森明夫が「おたく」について書き、それが「おたく」の語源となった。人脈的には緒方氏系が多く、大塚某の比重はそんなに大きくないように見える。

阿島俊『漫画同人誌エトセトラ'82〜'98 状況論とレビューで読むおたく史』久保書店 2004年9月 p.68

虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

白夜書房(現在のコアマガジン)が発行していた美少女まんが誌『漫画ブリッコ』。当時、白夜の漫画誌は『コミックセルフ』等しかなく当初は三流劇画の再録誌として出発するが、路線転換で表紙が南伸坊から谷口敬~あぽに変更になり、悶々、白倉由美、西秋ぐりんらが引き継ぐ。終刊号表紙は森野うさぎ。 pic.twitter.com/rSl7t1jXSE

2020-05-21 02:54:59
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ふわたん @carrot_lapaix

ほしい… オリジナルTシャツはどんなデザインだったのか。 藤原先生のカニバリズムカーニバルが気になって仕方ない… 先生には、漫画審査してもらったことがある。RT

2020-05-22 02:51:24
加野瀬未友 @kanose

エロはアングラに潜れ話で、大塚英志氏が、もともとエロは警察との追いかけっこなんだから、ブリッコの表紙を少女漫画風にして、目につかないようにしたってのを自慢話にしていたのを思い出したんだけど、これ今だと「一見子供向けのように見えてよくない」と言われるよなー

2009-05-16 12:36:32
渋井哲也 @shibutetu

森川嘉一郎(明治大学)「そもそも少女漫画的な絵柄での性描写はいつから?『漫画ブリッコ』。82年〜83年、表紙の絵柄が変わっている。同人誌で描かれているものがかわった。同人誌『シベール』で描いていた作家が、メディア芸術祭で大賞受賞。プロになった後自由な表現を求めて同人誌へ」

2013-06-13 17:47:43
稀見理都 @kimirito

ついでなので、久しぶりにこちらも上げておきます。「漫画ブリッコ」全リスト。最初の6号までが、エロ劇画再録誌。その後美少女路線変更。1983年6月号に「おたく」という言葉を最初に商業史で扱ったコラムを掲載。休刊2ヶ月後「漫画ホットミルク」が後継誌として創刊。 pic.twitter.com/FVkMe08lrq

2017-08-10 07:47:46
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後藤寿庵 @juangotoh

んー、ブリッコの表紙はなにしろ当初南伸坊先生だし、谷口敬先生を採用してやっと「ロリコン誌」になって、かがみあきら先生の表紙でもう「エロは脇役」になっちゃった。

2013-04-01 19:05:37
後藤寿庵 @juangotoh

漫画ブリッコについては、あぽことかがみあきら先生が一番人気、そしてメビウス的なクール作画の藤原カムイ先生。とんがった女性の代表の岡崎京子先生。ほんと頭のいい連中がいて奇跡のバランスを保ってたのよ。かがみ先生が亡くなって大塚編集長が手を引く時期に僕がデビューしたんだけど、

2014-09-24 17:00:28
後藤寿庵 @juangotoh

あえて言うけど、「漫画ブリッコ」って奇跡のような本でさ、あの才能が集まってたから僕も行ったのよ。そりゃ岡崎京子や藤原カムイやかがみあきらにはかなわないよ。あれらを見て漫画家諦めるのも普通だよ。でもあそこに行きたいって思ったから僕も行ったんだよ。

2014-02-16 03:19:47
リンク www.burikko.net 漫画ブリッコとは? | 漫画ブリッコの世界 80年代を駆け抜けた伝説の美少女コミック雑誌「漫画ブリッコ」とは何か、簡単に解説 1 user 2
リンク Wikipedia 漫画ブリッコ 『漫画ブリッコ』(まんがブリッコ)は、白夜書房が発行していた成人向け漫画雑誌。『レモンピープル』と並ぶロリコン漫画誌の草分けであると同時にコアマガジン発行の漫画雑誌の源流にあたる。また誌上で「おたく」という言葉を生み出し、サブカルチャー雑誌として多くの才能を生み出したことでも知られる。 当初は三流劇画誌として1982年11月に創刊され、1983年5月号から大塚英志と小形克宏を編集長に迎えた「美少女コミック誌」としてリニューアルされた。 セルフ出版発行・日正堂発売で、1982年11月に創刊された(後に白夜書 2 users
リンク Wikipedia シベール (同人誌) 『シベール』は、吾妻ひでお、沖由佳雄、蛭児神建らがコミックマーケットで販売していた日本初のロリコン漫画同人誌。1979年4月に創刊され、1980年4月頃までに廃刊した。 同誌はコミックマーケットにおける「ロリコンブーム」の起点となり、日本初の商業ロリコン誌『レモンピープル』を始めとする美少女コミック誌の成立にも深く関わることになった。また同誌の潮流は『くりいむレモン』などの美少女アニメの展開および美少女ゲームの発展にもつながり、現在の二次元美少女(二次ロリ)文化すべての原点とみなされている。 『シベール

僕の知る限り、大塚さんという人はロリ属性はほぼ皆無ですからね。じゃあ、なんでロリコン雑誌なんか作っているのかと聞いたら、「そのほうが売れるから」という答えが返ってきたのをよく覚えてますね。当時、本人は梶原一騎が大好きだと言ってた。

「ブリッコ」をニューウェーヴ・コミックの末尾だという指摘は正しい。彼がブリッコを作っていた83~84年は、「マンガ奇想天外」のようなニューウェーヴ系がほぼ絶滅しかかっていた時期で、要するに大塚さんや藤原カムイ、あと俺を含めて「列車に乗り遅れた」わけですよ。

そういう中で、雑誌を売りつつ好きなことをやろうとしたら、当時売れ筋だったロリコン物を前面に押し出すしかなかったわけで。大塚さんが当時さかんに編集後記で「不毛」と韜晦していたのは、そういう背景があったからだと思う。その意味では、正直な人ですよ。

だから、ロリコンではなく「美少女誌」なんだと彼は強調していたわけだし、他のロリ系雑誌が扱わなかった岡崎京子や桜沢エリカを積極的に扱っていたわけ。あと彼の「趣味」の部分で、古い劇画系の絵である飯田耕一郎のオカルト物をしつこく連載していたり。たぶん人気は全然なかったと思うんだけど、これが後に原作者となるときのベースになっているんですね。

それから「ブリッコ」に関しては、彼の「相棒」だった小形克宏の功績を無視することはできないんだけど、小形に関しても、大塚さんはまるで最初からいなかったかのように無視している。でも岡崎京子や桜沢エリカを見いだしたのは小形だし、中森明夫を連れてきたのも彼。なんだかんだでブリッコ作家の半分以上は小形人脈なんだけどね。

投稿: たけくま | 2005/03/16 08:28

あおくろ @BlueBlack_Blau

@pareorogas これ恣意的なものが有るのでしょうか? あるいは大塚の記憶が曖昧なので意図的に書かない,あるいは失念しているからなのでしょうか?

2020-05-20 20:17:49
虫塚虫蔵@迷路'24 @pareorogas

@BlueBlack_Blau 「語る価値がない」と判断したからでしょうかね。記憶が曖昧なことはないと思いますが、大塚某は自分の手掛けた当時の雑誌を殆ど手放してるのもあり、過去のこと…特に私的な人間関係に絡む部分はあまり振り返りたくないのでしょう。でも、それだと不自然なんですよ。大塚史観は取り扱い注意ですね。

2020-05-20 20:27:58
あおくろ @BlueBlack_Blau

@pareorogas 今までの書籍を見るかぎり,完全に忘れてるのではなく「うろ覚え」と「情報の錯誤」と「裏付けが取れない」ことからお茶を濁したり,意図的に無かったことにしている可能性が高いと思います。勿論思い出したくない過去も有るでしょうが。その辺り大塚某にインタビューしてみたいです。

2020-05-20 23:36:01
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