「1Q84」3部読み終えました。僕は以前はかなりこの小説に否定的だったのですが、「神話が考える」を書いているうちに肯定派に転向したので(笑)これはこれでいいんじゃないでしょうか。はっきり言って冗長にすぎますが。
2010-04-18 20:19:17つまり前は「村上春樹による自己解説本」という感じが嫌だったのですが、考えてみれば、村上春樹のやっていることは長いあいだ理解されなかったのだから、このへんで長大な「トリセツ」を自分で書くのはけっこうではないか、と。これを一冊読めば、村上春樹のやっていることはだいたい把握できる。
2010-04-18 20:21:02基本的に僕が「神話」と呼んでいるのは、事前拘束&差異化の原理みたいな話です。つまり、一定の事前確率の下で、あとはリゾーム的にさまざまな事象が生起するということ。したがって、たんなる「カオス」ではありません。構造主義の立場に立つ以上、それは当然です。
2010-04-19 00:50:01ポイントは「事前拘束」にあります。アブナー・グライフが問題にしているような意味で、歴史というのは制度性=拘束性をもたらすものであり、その拘束性のなかでパフォーマンスの精度を高めていくことはできても、最初の初期設定に問題があれば必要多様度(アシュビー)は確保されません。
2010-04-19 00:52:36たとえば、最近のゲームはそのような事前拘束問題に敏感です。「うみねこのなく頃に」では、その事前拘束=出発点に干渉することによって、事後の事象の確率を操作するというゲームです。
2010-04-19 00:54:45「神話が考える」第五章で記したように、現実性と可能性のあいだの絶対的な差異がなくなれば、次に焦点となるのは、必然性や整合性の問題です。つまり、どういうふうに情報を組み立てれば、あるタイプの事象を残存させられるかという問題です。
2010-04-19 00:56:18ゲーム時代の文芸というのは、その領域にアクセスしなければならないと僕は考えます。つまり、ある条件においてはこれこれの事象が実現する。そこに別のパラメータが加われば、別の事象も整合的に走るようになる。事前拘束のやり方を漸進的に変化させ、出力結果を変えていくことが重要です。
2010-04-19 00:59:03村上春樹の「1Q84」は、あまりにも図式的すぎる嫌いはあるけれども、そのような「初期条件の変更」にこだわりがあります。ある両親から生まれ、あるトラウマを植え付けられた主人公が、別のパラメータを喚起することによって、初期条件に干渉する話です。
2010-04-19 01:02:07あるいは経済にしてもゲームのようなものなので、刻一刻と条件が変更されていくにもかかわらず、古いパターン認識にひとびとが固執するために、経済が弾けるリスクが増大するわけです。エラリアンの「市場の変相」は新しいパラメータがいかにリーマンショックをもたらしたかを解説しています。
2010-04-19 01:06:20よって、タレブあたりはデカルト的確実性よりもモンテーニュ的不確実性を評価します。事前拘束のあり方が変われば、市場のパターン認識のあり方も変容せざるを得ないためです。そのような偶然の変化に敏感であれ、というのがモンテーニュ的な態度です。
2010-04-19 01:08:15そもそもパターン認識にしたところで、その性能は特徴抽出をどう設計するかによって大きく異なると言われます。僕はボードリヤールを転用した「ハイパーリアルな神話」と言いましたが、もちろん、その神話もタダで立ち上がってくるわけではなく、特徴抽出の設計次第で出力される「現実」は変わります。
2010-04-19 01:17:47だらだらと長くなりましたが、非常に簡単に言えば、今日の世界は「人間は徹頭徹尾拘束されている」という生態学的(ハイデガー的)問題と、「その最低限の拘束のなかで、人間はきわめて自由に振る舞える」という美学的(ニーチェ的)問題が二重写しになっていると言わば言える。
2010-04-19 01:21:07いずれにせよ「事前拘束&差異化の原理」の二重性が重要なんで、僕は「カオス」とはあまり言わないのだ…というだけのことだったのだけど、何か自由連想で書き散らしてしまった。
2010-04-19 01:25:231Q84はあれだけ長いのに、ストーリーの設計は最後まで見え透いているので、どうもいろいろ書きたくなってしまうのでした。この不全感は何なのか・・・
2010-04-19 01:27:42