パスカル「パンセ・葦」について

氏家先生によるパスカル「パンセ・葦」についてのツイート
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氏家法雄 @ujikenorio

学生さんからパスカルの有名な「人間は考える葦である」とはどういう意味なのかという質問があったので、少しだけ雑感。一般的には、①無限な宇宙に比較すると人間は葦のようにか弱いが、②それを知っている・自覚する人間は「考える葦」として偉大であるとの意味になります。

2011-06-21 14:58:57
氏家法雄 @ujikenorio

いわゆる人間の「かんがえるちから」に人間の人間らしさを見出したパスカルの洞察といってしまえばそれまでですが(パスカルの場合最終的には、その原理はジャンセニストの立場から基督教信仰へと収斂しますが)、言い古されたネタですが葦で比喩したことは注意すべき。

2011-06-21 14:59:08
氏家法雄 @ujikenorio

湖畔に生える葦は、涼を送る微風にゆらぐ心許ない存在であり、強風の前ではそれこそ抵抗することすら不可能。それに対して森林の様々な大木は微風はおろか、強風にもゆらぐことなくその勇姿を示す。しかしながら強風が続くと大木とは「折れ」てしまうこともある。ただ葦は「折れ」てしまわない。

2011-06-21 14:59:20
氏家法雄 @ujikenorio

自らの存在を自覚する葦は、風が吹くとそれに身をまかせる。一見すると逆境に屈服した姿のように見えるけれども、一旦風や荒が収まると、葦は徐々に身を起こし、再び元の姿に戻ってゆく……。これが人間への比喩とされている点です。

2011-06-21 14:59:33
氏家法雄 @ujikenorio

この葦のように人間は、自然や運命の暴威に対し無力。だからそれに従順に従い、そして暴威をくぐり抜けて、また元のように、みずから立ち上がることができる……。その柔軟性の根拠は人間の場合どこに存在するのでしょうか……。パスカルは「考えることができる」ことに見出した。

2011-06-21 14:59:40
氏家法雄 @ujikenorio

たしかにこのことが知識主義的知性偏重への端緒を切り開くことになったことは否定できないけれども、知識にせよ知性にせよ、本来的には、人間をより柔軟なものたらしめるものとして存在していることだけは確かなんだろうと思います。

2011-06-21 14:59:48
氏家法雄 @ujikenorio

ついでなので、「パンセ」の原文も紹介します。 L'homme n'est qu'un roseau,le plus faible de la nature;mais c'est un roseau pensant.

2011-06-21 15:00:28
氏家法雄 @ujikenorio

ついでに前後の邦訳も。

2011-06-21 15:01:41
氏家法雄 @ujikenorio

パンセ・葦①「人間はひとくきの葦にすぎない。自然のなかで最も弱いものである。だが、それは考える葦である。彼をおしつぶすために、宇宙全体が武装するには及ばない。蒸気や一適の水でも彼を殺すのに十分である。だが、たとい宇宙が彼をおしつぶしても、人間は彼を殺すよりも尊いだろう」。

2011-06-21 15:01:56
氏家法雄 @ujikenorio

パンセ・葦②なぜなら、彼は自分が死ぬことと、宇宙の自分に対する優勢とを知っているからである。宇宙は何も知らない。だから、われわれの尊厳のすべては、考えることのなかにある。われわれはそこから立ち上がらなければならないのであって、われわれが満たすことのできない空間や時間からではない。

2011-06-21 15:02:15
氏家法雄 @ujikenorio

パンセ・葦③「だから、よく考えることを努めよう。ここに道徳の原理がある」。①~③、出典、パスカル(前田陽一、由木康訳)「パンセ」『世界の名著 24 パスカル』中央公論社、1967年、562頁。

2011-06-21 15:02:25
氏家法雄 @ujikenorio

考えること・知性・知識といったものが、その人をして柔軟たらしめることができるかどうかで大きな違いには多分なるでしょうね。

2011-06-21 15:02:59