注目される、速水融著『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』…100年前に45万人の死者を出した”スペイン風邪”を主題にした国内唯一の書籍

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八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

忘れられたパンデミック(中)日本人の4割感染 2度の襲来、村は全滅 :日本経済新聞 nikkei.com/article/DGKKZO… > "スペイン・インフルエンザ"の感染防止のため、マスクを着用した女子学生=ゲッティイメージズ pic.twitter.com/zsHRUt5VEP

2020-05-26 18:35:26
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八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

忘れられたパンデミック(中)日本人の4割感染 2度の襲来、村は全滅 :日本経済新聞 nikkei.com/article/DGKKZO… > 内務省の記録では全流行期間の総感染者約2380万人、死者約38万9000人、死亡率1.63%とされている。速水融氏はこれを過小とみて、死者は約45万3000人と試算している。

2020-05-26 18:36:47
リンク 日本経済新聞 電子版 忘れられたパンデミック(中)日本人の4割感染 「流行性感冒と診断され、直ちに御仮床にお就きになり、以後十五日の御床払まで安静に過ごされる」1918年11月3日の昭和天皇実録の記述だ。"スペイン・インフルエンザ"は「流行性感冒」といわれ、皇太子だ 91
八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> 関東大震災の5倍近くの死者をもたらしながら、「スペイン風邪」と称され、被害の実態も十分把握されないまま忘却された 日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争の通販/速水 融 - 紙の本:honto本の通販ストア honto.jp/netstore/pd-bo…

2020-05-26 18:23:15
八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ   ー 人類とウイルスの第一次世界戦争』  ◆発売日:2006年2月  ◆著 者:速水 融著     ◆出版社:藤原書店  ◆価 格:4,620円 (税込) pic.twitter.com/ATAMXkzlYk

2020-05-26 18:42:16
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八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> 速水融さんは、日本に歴史人口学を導入され、江戸時代の宗門改帳から一般庶民の生き様を追求し、家族の歴史を通して近世日本の社会経済史の実像を浮き彫りにされました。 日本を襲ったスペイン・インフルエンザ――人類とウイルスの第一次世界戦争 fujiwara-shoten-store.jp/SHOP/978489434…

2020-05-26 18:25:19
八百屋長兵衛🍡OSAKA @rook0081

> 日本では…研究がほとんど行われていない中、速水先生は当時の公的統計や記録だけでなく、新聞記事も集め、当時の様子を克明に描き出しました。推計の結果、日本では45万人もの死者が出たことを明らかにしました 再注目を集める『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ』 reitaku-u.ac.jp/2020/05/01/742…

2020-05-26 18:29:01

再注目を集める『日本を襲ったスペイン・インフルエンザー人類とウイルスの第一次世界戦争』

私たちは歴史から学べるだろうか:名誉教授 速水融先生と麗澤アーカイブズ| 教育・研究|麗澤大学
https://www.reitaku-u.ac.jp/2020/05/01/74234

本学名誉教授 故・速水 融先生の著書『日本を襲ったスペイン・インフルエンザ 人類とウイルスの第一次世界戦争』が、いま再び注目を集めています。

 スペイン・インフルエンザとは、日本の大正時代(1918-20)に世界的に流行した感染症(パンデミック)です。速水先生は、「過去において、インフルエンザの流行は何回か見られたが、世界中を巻き込み、甚大な被害をもたらしたのはスペイン・インフルエンザ(1918-20)であった」とし、「第一次世界大戦の死者は約一千万人と言われているが、実にその四倍(約四千万人)の人命を奪った」ことに言及しました。そして「これは二十世紀最悪の人的被害であり、記録のあるかぎり、人類の歴史始まって以来最大のものである」と著しています。 

 日本ではスペイン・インフルエンザに関する研究がほとんど行われていない中、速水先生は当時の公的統計や記録だけでなく、新聞記事も集め、当時の様子を克明に描き出しました。推計の結果、日本では45万人もの死者が出たことを明らかにしました。しかし、当時政府は、「手を洗え、うがいをせよ、人ごみに出るな」といった、呼吸器病流行に際しての注意を喚起しただけだったと述べています。

 速水先生は「しかし、これらのことは、今でもわれわれがなし得る唯一の対策であることに変わりはない」とし、「いまやジェット機時代であり、昔は何日もかかって遠くからやってきたウイルスは、ほとんど同時的に世界中に広がる」と警鐘をならされています。第三波まであったという当時のスペイン・インフルエンザの教訓は、現在私たちが戦っている新型コロナウイルスを考える上でも、非常に参考になると思われます。

(以下略)

忘れられたパンデミック(中)日本人の4割感染 2度の襲来、村は全滅 :日本経済新聞

https://www.nikkei.com/article/DGKKZO58103260V10C20A4CR8000/

2020/4/16付
日本経済新聞 朝刊

「流行性感冒と診断され、直ちに御仮床にお就きになり、以後十五日の御床払まで安静に過ごされる」

1918年11月3日の昭和天皇実録の記述だ。"スペイン・インフルエンザ"は「流行性感冒」といわれ、皇太子だった17歳の昭和天皇も患った。皇室では感染した竹田宮恒久王が19年4月に肺炎で死去している。

"スペイン・インフルエンザ"の感染防止のため、マスクを着用した女子学生=ゲッティイメージズ提供

欧米の大流行から4カ月ほどたった18年10月ごろから日本でも本格的な流行が始まった。国内では2度の感染爆発を迎えることになるが、「前流行」と呼ばれる時期だ。

22年刊行の内務省衛生局編「流行性感冒」は「交通頻繁なる都市に発し之(これ)より放射状に其(そ)の周囲村落を侵襲するを常とせり」と記述している。"スペイン風邪"を主題にした国内唯一の書籍、速水融「日本を襲ったスペイン・インフルエンザ」によると、感染はほぼ3週間で全国に広がったという。

新聞はさかんに「流行性感冒猖獗(しょうけつ=猛威)」と報じ、東京では「各病院は満杯となり、新たな『入院は皆お断り』の始末であった」(前掲書)。死者の急増で各地の火葬場は大混乱となった。

同書によると、医療体制の整っていない地方はとくに悲惨で、患者の半数以上は治療を受けられない村(青森県北津軽郡)や人口約1000人中970人が感染して70人が死亡、「一村全滅」(福井県の山間部)と報じられた地域もあった。

医療従事者の感染も深刻で、「医者という医者がほとんど風邪で寝こんでしまって動きができず、まだ壮年の医者が相次いで亡くなった」(熊本県「新宇土市史」)。海外と同様、若年壮年層の犠牲者が多かった。

著名人では評論家の島村抱月が感染で亡くなり、女優の松井須磨子が後追い自殺する悲劇が起きた。前流行は翌19年の夏前には収束した。内務省の記録では患者は約2117万人、死者は25万7000人。当時の国民の4割が感染し、死亡率は1.22%だった。

そして同年秋から「後流行」がやってくる。毎年12月1日は徴兵された新兵の入営日で、そこから感染が爆発的に広がる。「この軍隊における罹患(りかん)こそ、本格的な『後流行』の点火剤となった」(「日本を襲った――」)

密閉・密集・密接環境の軍隊は感染の温床で、20年1月の新聞は陸軍の内外の患者約2万6000人、死者約1300人、死亡率5.2%と伝えている。海軍でも前流行期に軍艦「矢矧(やはぎ)」で乗員469人中306人が感染、48人が死亡する惨事があった。

後流行は20年夏に収束。患者は約241万人、死者は約12万8000人だった。感染が前流行の1割に激減したのは多くの人が免疫を獲得したためといわれている。一方、死亡率は5.29%と4倍以上に跳ね上がった。

内務省の記録では全流行期間の総感染者約2380万人、死者約38万9000人、死亡率1.63%とされている。速水融氏はこれを過小とみて、死者は約45万3000人と試算している。

(編集委員 井上亮)

日本を襲ったスペイン・インフルエンザ――人類とウイルスの第一次世界戦争|藤原書店

http://www.fujiwara-shoten-store.jp/SHOP/9784894345027.html

(抜粋)

速水融
四六上製480ページ
ISBN-13:9784894345027
刊行日:2006/2


約100年前に、世界で第一次大戦の戦死者の約4倍もの死者、国内でも関東大震災の5倍に近い死者をもたらしながら、「スペイン風邪」と呼ばれ、その正確な被害も把握されずに忘却された史上最悪の“新型インフルエンザ”。
その全世界への伝播の過程と、日本の被害の実像を歴史人口学の大家が明かす

目次

序章 “忘れられた”史上最悪のインフルエンザ

第1章 スペイン・インフルエンザとウイルス

なぜ「スペイン・インフルエンザ」か?
インフルエンザ・ウイルスの構造と特徴
新型インフルエンザ発生のメカニズム
ウイルス発見をめぐるドラマ
ワクチンも「タミフル」も万能ではない

第2章 インフルエンザ発生

――1918(大正7)年春 ―夏

3月 アメリカ
記録に残る最初の患者/第一次世界大戦の戦況とインフルエンザの発生/
無視された「春の先触れ」
4月―7月 日本
台湾巡業中の力士の罹患/ウイルスはどこから来たか?/軍隊での罹患者の増大
5月―6月 スペイン
800万人が罹患/「スペイン・インフルエンザ」という名称の誕生
7月―8月 西部戦線
西部戦線の異状/『京城日日新聞』のスクープ/両軍の動きを鈍らせたインフルエンザ/
軍隊から市民への感染拡大
「先触れ」は何だったのか?
アメリカ西部の兵営を起点に拡散/予防接種的な役割を演じる/三週間で世界中に

第3章 変異した新型ウイルスの襲来

――1918(大正7)年8月末以後

アメリカ
港町で変異したウイルス/欧州派兵とウイルス/ディベンズ基地で猛威をふるったウイルス/
米軍戦没者の八割はインフルエンザによる病死か?/当時の状況を描写した詩文/文学に記された
インフルエンザと体制への憎悪/アメリカ国内での感染の拡がり/流行は1918年に限らない/
少なめに算出された死亡者数/パニックに陥ったアメリカ社会/戦勝気分に酔うその足元で/
貧富の違いによる被害の違い
イギリス
最大の被害をもたらした第二波は6週間でイングランド全土に/突出した壮年層の死亡者数/
3つの流行拡大のパターン
フランス
アメリカ軍、フランス軍、イギリス軍の順に感染拡大/「アポリネール症候群」
補遺

第4章 前流行

――大正7(1918)年秋 ―大正8(1919)年春

本格的流行始まる
前流行と後流行/従来の記録よりも多い実際の死亡者数/スペイン・インフルエンザ・ウイルスは
いつ日本に襲来したか?/軍隊・学校が流行の起点に/三週間のうちに全国に拡大
九州地方
初期の報道――「ブタ・コレラ」、海外の状況/罹患者の急増/死者の急増/
都市から周辺部への感染拡大
中国・四国地方
10月末以降、死亡記事が急増/「予防心得」、氷の欠乏、医療体制の不備、新兵の罹患/
比較的軽かった中国地方での被害?
近畿地方
被害の大きかった京都・大阪・神戸/地域によって異なる流行の再発
中部地方
大都市より中小都市・郡部で蔓延/11月に入り、死者増加/後になるほど悪性を発揮/被害が
大きかったのは製糸業地帯/「鶏の流行感冒」/人口1,000名中、970名罹患、70名死亡の村も/
生命保険加入推進のチャンス
関東地方
新聞は意図的に報じなかった?/初発以来数十万人が罹患/インフルエンザと鶏卵の不足記録
に残された五味淵医師の奮闘/前年秋を乗り切った人々が罹患/東京府・東京市の対応/
報道にみる被害の実態
北海道・奥羽地方
他地方より遅れた初発、その後の状況の悪化/鉄道が伝染経路に/郡部で長引く流行/被害が
比較的軽かったと言われる北海道/一村全滅の例も
小括

第5章 後流行

――大正8(1919)年暮 ―大正9(1920)年春

後流行は別種のインフルエンザか?
前流行と後流行の症状の違い/前流行と後流行の間の状況
九州地方
後流行の初発/「予防の手なし」
中国・四国地方
罹患者の二割が死亡/地獄絵を見るような10日間/軍隊内での流行
近畿地方
最大の死亡者を出した地域/年が改まり、死者がさらに増大
中部地方
抗体をもたない初年兵に多い罹患/2月に死者増大のピーク/郡部で猛威をふるう
関東地方
初めは軍隊から/地獄の3週間/一割強の死者/鉱山町での大きな被害
北海道・奥羽地方
軍隊が流行の発生源/秋田県で最小、福島県で最大の被害/交通の要衝地での感染拡大/
北海道での惨状
小括

第6章 統計の語るインフルエンザの猖獗

国内の罹患者数と死亡者数
低く見積もられた『流行性感冒』における患者数と死亡者数/超過死亡(excessdeath)による試算
全国の状況
死亡者数の合計/月別の死亡者数/死亡率の男女差/年齢別死亡率
地方ごとの状況
地方ごとの月別インフルエンザ死亡率/都市のインフルエンザ死亡率/府県別インフルエ
ンザ死亡者数/府県別インフルエンザ死亡率

第7章 インフルエンザと軍隊

「矢矧」事件
最高級の資料/上陸許可後に直ちに罹患/緩慢な病勢進行と急速な感染拡大/すでに罹患し
ていた「明石」の乗組員/マニラ到着直後の安堵/死者続出の惨状/階級による差/症状に
関する克明な記録/同じように襲われた他の軍艦・商船/「矢矧」の帰還/ピーク後も未感
染者に活動場所を見出すウイルス
海外におけるインフルエンザと軍隊
地中海派遣艦隊を襲ったインフルエンザ/シベリア出兵とインフルエンザ
国内におけるインフルエンザと軍隊
陸軍病院の状況/各師団の死亡者数/海軍病院の状況/新聞報道
小括

第8章 国内における流行の諸相

神奈川県
豊富な資料/流行の時期/流行の初発/死者の増大//いったん終息、その後再発/後流行
の猛威/与謝野晶子が感じた「死の恐怖」/2つの貴重な統計/僻地で高い罹患率/都市部と
農村部の違い/郡部で罹患者死亡率の高かった後流行/前流行と後流行の相関関係/1920年
1月における死者の激増
三井物産
『社報』も語る死者の増大/社員家族を襲った悲劇
三菱各社
流行期に上昇している社員の死亡者数/鉱山など生産現場に多い犠牲者
東京市電気局
罹患者の多かった「春の先触れ」
大角力協会
「角力風邪」/「先触れ」で免疫を得た力士
慶應義塾大学
民間における青年・壮年層の被害の実態
帝国学士院
罹患と外出忌避による欠席者の増加
文芸界
犠牲者/文学作品
日記にみる流行
原敬日記/秋田雨雀日記/善治日誌

第9章 外地における流行

樺太
漁期に流行/最も高い対人口死亡率/先住民にも多くの死者
朝鮮
内地と同時に流行/死亡率の高い後流行/行政は何をしたのか?/免疫現象の確認/
統計資料の問題/朝鮮での前流行の犠牲者は約13万人/朝鮮での死者の累計は約23万人/
三・一運動とスペイン・インフルエンザ
関東州
本地人により大きな被害/関東州でも死亡率の高かった後流行
台湾
台湾中に拡がり先住民も罹患/台湾でも軍隊を起点に流行/本地人と内地人(日本人)の間
の被害の差/死者は多いが、短期間で過ぎ去った流行/先住民の被害
小括

終章 総括・対策・教訓

総括
内地45・3万人、外地28・7万人、合計74万人の死者/日本内地の総人口は減少せず/
流行終息後の第一次「ベビーブーム」/なぜ忘却されたか?
対策
人々はインフルエンザにどう対したか?/謎だった病原体
教訓

あとがき

資料1 五味淵伊次郎の見聞記
資料2 軍艦「矢矧」の日誌

新聞一覧
図表一覧