自分が言ってる側のときは『批判』で言われてる側のときは『誹謗中傷』と認識をする人が実は多いのではないか説
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「誹謗中傷と批判は違う!」って力強く言っている人を結構見かけるけど、言ってる側は「批判している」と認識していて、言われた側は「誹謗中傷されている」と認識しているケースが多い気はする。自分ごとになるとその辺を適切に見分ける能力がある人の方が少ないのではないか?
2020-05-25 04:58:09実際その区別は難しい
誹謗中傷と批判を区別するという取り組みは多くの人にとって難しすぎるから、あんまそこの区分は気にしになくてもいいんじゃないかと思ってしまう。少なくとも、ぼくは自分が何かを言われたときに「馬鹿な事言いやがって」と思いはすれど、それを誹謗中傷と批判に区分するのは難しいよ。
2020-05-25 05:01:24質が低く具体性がなく怒りのお気持ちだけが伝わってくる批判のことを「誹謗中傷」と世間では呼んでいるのかな?ぐらいの曖昧な感覚しかぼくは持っていない。
2020-05-25 05:02:40「私が他人に向けて何かを言ってやるときには適切な『批判』であって、きちんと伝えるべきものである。他人が私に対して何かを言ってくるときには不適切な『誹謗中傷』であって、言ってくるべきではない」みたいな使われ方をしていることがほとんどである。
2020-05-25 05:21:59具体的な区別の条件は存在するのか
人格攻撃はしたほうが負けなのでは
「人格攻撃はだめ」みたいなのもよく見かけるのだけど、ぶっちゃけ、無根拠な人格攻撃って発言者の底の浅さを露呈させるだけで、破壊力が非常に低くないですか?ぼくは自分が人格攻撃されてもあまり気にならないんだよな。
2020-05-25 06:15:28逆に相手にそういう人格攻撃をさせたら、こちらの勝ちという感覚の方が強い。相手はきちんと筋を通して会話することができなくなったということだから。
2020-05-25 06:18:37公なら批判で私なら誹謗中傷はおかしくないか
「批判」と「誹謗中傷」の区別のポイントは対象の違いに過ぎず、内容についての違いはないのならば、言葉を使い分けずに「政府への批判(誹謗中傷)」と「個人への批判(誹謗中傷)」と述べる方がわかりやすいのではないか。
2020-05-25 06:29:20やはり「批判」と「誹謗中傷」は別概念であり違うものだと主張するのであれば、内容に関する違いを含んでいると考える方が自然ではないだろうか?
2020-05-25 06:30:35それに個人に向けて何かネガティブ評価をくだすようなことを言うのは自動的に全て「誹謗中傷」扱いになってしまい、「批判」は存在しないとなると、我々が日ごろ使っている言葉遣いとはかなり乖離したものになってしまう。
2020-05-25 06:33:02差別と区別の違いに似てる
まず「批判」はやってもいいことで、「誹謗中傷」はやってはいけないこと、っていう意味付けをありにするか、なしにするかなんだよね。「差別」と「区別」の話に似ている。
2020-05-25 07:28:08ある人たちは物事の扱いに違いをつけることについてやってはいけないことを「差別」と呼び、やってもいいことを「区別」と呼ぶ。別の人たちはやってはいけないことを「悪い差別」と呼び、やってはいいことを「いい差別」と呼ぶ。どっちで呼んでもいいんだけど。
2020-05-25 07:29:56個人的には能力差別などは「いい差別」、性差別などは「悪い差別」と表現するほうがわかりやすい気はするんだけど、嫌がる人は多い。能力で扱いを変えるのは差別ではない!と。
2020-05-25 07:31:42言葉の定義は大事
なんにしてもこの辺の言葉の定義をきちっと考えていかないと、ぼんやりした話のまま終わっちゃうんだよね。「批判」と「誹謗中傷」も多分そう。良し悪しの価値判断をこの単語の定義に含めるか否か。
2020-05-25 07:35:18とりあえず、現在問題になっているのが、何が言ってもいいことで、何が言ってはいけないことなのかの区別なのであれば、「批判」「誹謗中傷」という言葉は脇に置いておいて、とにかく、言ってもいいことのリストと言ってはいけないことのリストを作ってみるというのは手である。
2020-05-25 07:37:55「相手が傷つく」を全面に押し出すのはどうなのか
たとえば「相手が傷つくことを言ってはいけない」だとしたら、正当な批判とされることだって言ってはいけないことに含まれる可能性は十分あるしね。それは困るとなれば、今度は正当な批判とされる条件をずらずらと並べてみることになる。
2020-05-25 07:40:22