「秘境駅」と呼ばれる大和田駅と最寄りの有人集落である水窪町の塩沢集落に行ってみた(静岡県北西部)

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R774@まとめ屋 @kendou774

スレッドにします。 『秘境駅』と呼ばれる小和田駅。その存在は以前から知られ、ネット上には多くの情報が載っている。ただ、過疎化が進むこの地域の状況は、日々刻々と変化している。地域の現状はどうなっているのか。小和田駅から、一番近い有人集落である水窪町の『塩沢集落』に行ってみた。 pic.twitter.com/7gVw1YAqE2

2020-05-31 16:23:56
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静岡県北西部に位置する水窪町。山々に囲まれた町並みには『このような山奥にこれほどの規模の街があるのか』と驚かされる。しかし、全国各地で進む人口減少はこの地域も例外ではなく、最盛期には1万人いた人口が2000人までに減っている。これから向かう塩沢集落は、水窪町の中でも最奥部にあたる。 pic.twitter.com/1Zlvod3jvt

2020-05-31 16:26:23
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水窪町(現・浜松市)の中心部、及び多くの集落は水窪川、またはその支流沿いにある。一方で、塩沢集落含む一部の集落は天竜川沿いにある。両川の間には山々が連なり、同じ町内と言えども移動には時間がかかる。水窪中心部から塩沢へは、天竜川林道と呼ばれる山道を約20km、車で40分も走る必要がある。 pic.twitter.com/1dNhuKBnWq

2020-05-31 16:27:40
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『塩沢集落』 眼下を流れる天竜川から続く急斜面に、いくつかの家屋と茶畑が張り付いている。典型的な山岳集落の光景だ。それにしても、よくぞこんな山中に集落を築いたものだと思わずにはいられない。集落内は天竜川林道を挟んで上方と下方に家屋が点在している。まずは集落上方へ向かう。 pic.twitter.com/SoAKtFwcTD

2020-05-31 16:29:21
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集落上方の各戸は、日当たりを求めて南向け斜面に位置し、地理院地図にはない車道が通じている。各家屋には人の営みが見られ、茶畑も綺麗に手入れされている。そのうちの一軒で、お爺さんにお話を伺った。それによると、塩沢は現住5人という。集落内の車を見る限りでは、その殆どが高齢者のようだ。 pic.twitter.com/RroJACl8hM

2020-05-31 16:30:50
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『白山神社』 集落の最上部には神社がある。古びているが、まだまだ現役だ。塩沢集落がいつ拓かれたのかは、明確には分かっていない。水窪町史に『天文五年(1536年)に塩沢地蔵堂が開かれた』、『江戸時代には5戸を数えた』とあることから、少なくとも500年以上前から集落があったと考えられる。 pic.twitter.com/aCWVL7c1Xr

2020-05-31 16:32:15
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続いて集落下方へ向かう。下方には数軒の家屋が点在する。その中でも人の営みがありそうな一軒家を目指す。車道はないので、標識に従い山道を下っていく。薄暗い森の中には、廃屋、石垣等が見える。最盛期の塩沢集落は17戸を数えた。木々に覆われたこの場所には、耕作地が広がっていたのだろう。 pic.twitter.com/QeJCOHkZMj

2020-05-31 16:34:28
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塩沢集落から道なりに進めば小和田駅に辿り着くが、途中で何本も山道が分かれる。一軒家へは、そのうちの1本に入る。車道の少ない地域だが、山道はあらゆる方向に張り巡らされているのだ。一軒家への山道を通る人は極少のようで、踏み跡は薄く、荒れている。数百メートル進むと一軒家が見えてきた。 pic.twitter.com/1Q7uCvs0Fy

2020-05-31 16:36:07
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『塩沢の一軒家』 航空写真で見える一軒家。周囲は切り開かれ、茶畑が広がる。眼下には天竜川が流れ、頭上には天空の集落が見える。しかし、人気はなく、茶畑にも整然さが無い。そして何より、お墓が倒されている。ここに住人が戻ってくることはないようだ。そう、集落下方に住む人はもういないのだ。 pic.twitter.com/DrxO2yvwan

2020-05-31 16:37:21
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今度は、小和田駅へ向かう。密な等高線を下る山道は急だが、コンクリ舗装された部分もあり、歩きにくいことはない(ただし、虫、熊対策は必要)。急斜面を下りきると、吊橋が現れた。綺麗に塗装された美しい吊橋だ。標識にある通り、浜松市管理ということは、この山道は浜松市道なのだろうか。 pic.twitter.com/STtSeTTUG1

2020-05-31 16:39:18
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『小和田集落』 道沿いの家屋には、まだ生活の残り香がした。現在、小和田に住む人はいない。数年前までMさんご夫妻が住んでおられたが、既に移転されている。電車でやってくる郵便配達は過去のものとなり、天竜川対岸の県道1号線まで通じていた荷物運搬用の索道もいつの間にか無くなっていた。 pic.twitter.com/67qWrhOrfK

2020-05-31 16:40:45
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『小和田駅』 駅前には天竜川が悠々と流れている。車で来れない秘境駅だが、以前は車道が存在していた。門谷方面には林道門谷線があり、戦中に開設され、S.42年には改良も行われた。また、高瀬橋方面にも二輪、三輪が通れる道があった。現在は両方面とも廃道化し、車は勿論、徒歩でも通行できない。 pic.twitter.com/5CzuZh4JDt

2020-05-31 16:41:59
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画像にある通り、かつて小和田駅近隣にはいくつかの集落があった。特に、対岸の佐太集落は30、40軒もの規模を誇った。何軒もの旅館があり、駅の下にはお店もあった。水運で栄えたこの地域は、鉄道の開通により全盛期を迎えた。しかし、ダムによる水没、林業の衰退により、一気に人が消えていった。 pic.twitter.com/GvHOGSB2PI

2020-05-31 16:43:24
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帰路、1時間かけて車を置いてきた塩沢集落へ戻る。登り一辺倒の山道は楽ではなかった。塩沢の子供達は、毎日この山道を通って小和田駅から電車通学した。また、塩沢に道路ができる前、集落の人たちは小和田駅を利用した。今でこそ定期利用する人のいない秘境駅だが、往時は地域の拠点だったのだ。 pic.twitter.com/E0NXtQEx9S

2020-05-31 16:44:47
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帰宅後、塩沢集落について調べてみた。しかし、文献だけでは限界があり、 関係者に直接お聞きすることにした。後日、門谷区(塩沢集落)の区長であるOさん宅を訪ねた。ちょうどご夫妻が在宅で、この地域の現状、そして過去のことについて、お話を聞かせていただいた。お聞きした内容は画像に纏める。 pic.twitter.com/zOmZ5nbs1R

2020-05-31 16:47:53
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話の最後に奥さんはこう仰った。『住めば都で、いいところじゃないけど、今となっては何処へも行きたくない』、『ただね、運転のできるうちはいいけど、私もお父さんも。運転ができなくなったら住めないんじゃないかな』……ご夫妻にお礼を言って、塩沢集落を後にした。山には鹿の鳴き声が響いていた。 pic.twitter.com/V3zyPboxho

2020-05-31 16:51:49
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