差別は言語の中で起きているのだろうか?あるいは差別用語なるものはそもそも存在するのだろうか?:言葉狩りをめぐる問題について。

たびたび論争になる差別用語は禁止すべきかどうか?という問題。しかし、実はこの問題自体が偽問題である。なぜなら、そもそも差別用語なるものが存在しないからだ。言葉の意味は言葉自身に内在的に、ア・プリオリに決定されているということはあり得ないので。だから差別用語というもの自体があり得なくて、どんな言葉でも差別的な文脈意図を込めて発話するばそういう意味として機能するし、”差別用語”といわれている用語も、そうでない文脈や意図で使えば、そうではない意味で機能する。ストークリー・カーマイケルがあえてブラックパワーという用語を肯定的に使用したのは、その一例を示しているといえる。だから、そもそも存在しないものを禁止すべきかどうかといわれても藁人形論法としか言えない。
政治 言葉狩り 自主規制 差別用語 マスコミ 差別
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瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
まあ結局は言葉は記号でそれ自体には意味がないという事実に立ち返ってみれば差別用語なるものが存在しないということはわかる。意味は付加されるもので、しかもその付加された意味をどうとるかは結局話者依存だから、Xは差別用語ということ自体に意味はない。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
意味は文脈無視して決定しえないので。同じ言葉で話者や状況が違えば意味もことなるだから差別用語とかいう定義自体がナンセンス。どんな言葉を使ってもいい、ただし話し相手を傷つけなければ、それだけのこと。
椎路ちひろ @ChihiroShiiji
.@yutakioka 裏返すと相手を効率よく落ち込ませる高性能な悪口を言うためには相手の精神的な弱点をよく知る必要があるという…。結局やさしくするにも苦しめるにも相手をよく知ることが必要。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
言葉の使い方や差別用語云々いう人はその努力をしたくない人かと思ってしまいます。RT @ChihiroShiiji 裏返すと相手を効率よく落ち込ませる高性能な悪口を言うためには相手の精神的な弱点をよく知る必要があるという…。結局やさしくするにも苦しめるにも相手をよく知ることが必要。
ありーちぇ🎌 @ALC_V
差別語が使えなくなると、差別語じゃなかった語を差別的に使うようになるだけ。@yutakioka: 自分が対話する相手にとって何を言ったら傷つくか、何を言ったら傷つかないかを判断すればいいということ。用語が差別的かどうかじゃなくて。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
RT @ynabe39: 「その言葉を言われたくない人には言わない」ということは「差別用語」を定めなくてもいくらでもできる。「デブな人にわざわざデブとはいわない」ことと「デブは差別用語である」ということとはまったく別なことだ。ああこれは乙武氏も書いていたか。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
RT @ynabe39: 「俺はその言葉で呼ばれたくない,俺をその言葉で呼ぶな」という要求は常に正当であり配慮しなければならない。また「私は彼をその言葉によって呼びたくない」と考えるのも常に正当だ。しかし「あなたが誰かをその言葉で呼ぶことはいけない」と第三者がいうことの正当性はどこにあるのか。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
RT @hashikure_mono: @h_ototake『 いま障害者と差別は』風なNHKの番組のゲストで脳性麻痺の友人と出演。始めからどんな差別を受けましたか?というような質問ばかり。収録も終盤、たまりかねた友人は「本当は差別なんか感じません。感じるのは無関心だけです。」と言ったら、空気が凍りつきオンエアーなし。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
RT @h_ototake: 僕も、差別は感じたことないなあ。鈍感なだけか(笑)。さて、六本木ヒルズでの講演会も、ぶじ終了。いまから、渋谷へ!
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
たしかに、障害者差別の問題って当事者じゃない人ほど、当事者はきっとこう感じるはずだ、と思い込んで当事者の気持ちを代弁しているつもりになっている人って多いなあと感じることがある。でもそれが空回りしててむしろ当事者の方が戸惑っている可能性にはなぜ気が付かないのか疑問。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
しかも、場合によっては、障害者を擁護する正義の味方として、当事者の気持ちを置き去りにしたまま誤った攻撃を一般の人に行っている人もいるから困る、障害者の気持ちを代弁するつもりでいるのならば実際に頼まれた場合はするべきだけど、そうじゃない場合は逆に当事者を困惑させるかもしれない。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
RT @h_ototake: 7.障害者だって、一律じゃない。言葉に無頓着な人もいれば、傷つきやすい人もいる。差別用語って、そんな当たりまえの前提を無視した決めごとのような気がして、僕は好きじゃない。一人ひとり、目の前の相手を見て、感じて、言葉を選ぼうよ。そんなの、相手が健常者だって、障害者だって、同じだよ。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
だから、迂闊に障害者の気持ちを代弁しているなんて考えない方がいいと思う、実際に代弁できているかどうかなんてわからないし、ましてやそれを大義名分に見当違いな攻撃をしてしまっては、むしろ当事者の気持ちを踏みにじってることになり有害。障害者は誰しも差別されてるとかいう思い込みは偏見。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
しかも、そもそも、「私は障害者の為に声を上げてあげているんです、それで障害者の方の幸せに寄与できるんです」って明らかにパターナリズムだし、ましてやそんないいことを進んで行う「慈悲深い私」に陶酔しちゃってる人もいるから困っちゃう。個人にとって何が幸せかは個人にしかわからない。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
RT @kazutomi: 面倒なので絡まないけど、「差別用語」をまず定義してから話をしてみたらどうかなと思う。きっと「聞いて不快な言葉」あたりに落ち着くだろう。ならば言葉を出すことはすべて差別になりうる。「差別用語」を使う他人を非難することは自家撞着になるよ。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
RT @kazutomi: という論理を理解しない人がそういうことをするんだろうけど。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
RT @kazutomi: そういう人に限って自分の正しさを疑わなかったり。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
@kazutomi 私も先生の考えに同意です。だから言葉なら何でも差別用語と定義できる可能性があるわけで、差別用語といいう意味がなくなりますよね。単純に人を傷つける可能性がある言葉を使うのは止めようといえばいいと思います。そうしたら”差別用語”を使わない差別を批判できますから。
ありーちぇ🎌 @ALC_V
それで楽になると分かると当事者側も利用するようになる場合もあって複雑。 @yutakioka: たしかに、障害者差別の問題って当事者じゃない人ほど、当事者はきっとこう感じるはずだ、と思い込んで当事者の気持ちを代弁しているつもりになっている人って多いなあと感じることがある
kazutomi @kazutomi
@yutakioka 「とある用語を使うことは差別」というだらしない考え方が蔓延しているように思います。そしてこの問題ではいつも、言葉とは何か、と考えさせられます。難しいですね。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
ええ、そうですよね~。その場合どうするのかまで議論しなければ議論が手落ちになってしまいますよね。RT @ALC_V それで楽になると分かると当事者側も利用するようになる場合もあって複雑。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
はい、その背景には言葉は意味をア・プリオリに有しているという言霊信仰があるのだと思います。RT @kazutomi 「とある用語を使うことは差別」というだらしない考え方が蔓延しているように思います。そしてこの問題ではいつも、言葉とは何か、と考えさせられます。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
@kazutomi 本来言葉は記号なので、それ自体に意味はなく、その言葉を使用する当事者同士の感情的なやり取りや文脈がそこに現れるという形で初めて意味を持つのですが、そういうことは忘れられていますよね。だから同じ言葉でも使う人や状況によって異なるのですがそれは忘れられていますよね
ありーちぇ🎌 @ALC_V
@yutakioka いちいちことあるごとに「障碍者の気持ちを勝手に捏造して決めつけるな!」と言ってるより、「はいはいそうですね。だから優しくいろいろ手伝ってね」と言うほうが、明らかにコスパはよいですから。いろんな意味で。
瀧岡 優 (Yu Takioka) @ytakioka
ですよね。それがパターナリズムだとしても。RT @ALC_V いちいちことあるごとに「障碍者の気持ちを勝手に捏造して決めつけるな!」と言ってるより、「はいはいそうですね。だから優しくいろいろ手伝ってね」と言うほうが、明らかにコスパはよいですから。いろんな意味で。
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コメント

きゃっつ(Kats)⊿6/9乃木坂スペイベ @grayengineer 2011年6月24日
いろいろもやもやしていたことがスッキリした気がした。あと、本筋と関係ないけど日本人がつい外国語の学習の過程で「単語の意味を覚える」ということにこだわって文脈を読めないという問題に直面する原因もなんとなくわかった気がする
地下猫 @tikani_nemuru_M 2011年6月24日
空理空論に思える>@yutakioka。たとえば「エタ」を差別と無関係にどうやって実際に使うのか、用例を示してもらいたい。
地下猫 @tikani_nemuru_M 2011年6月24日
ソシュールの言語理論において、記号そのものに意味が無いというのはよいのだが、いったん生じた差異にいろいろな意識や経緯、社会構造がいわば「刻印」されていくことが考えられていない。これじゃダメだ。
早寝らくがき(‘ω‘(◜◡◝😗 >ヮ@)'_') @_rakugaki 2011年6月24日
エタノールの略称に使えばいいんじゃないですかね。
たられば @tarareba722 2011年6月24日
ソシュール論で言うところの「ラング」の話。言葉の意味は「辞書」にも依るし、「文脈」にも依る。「差別用語禁止って、辞書的な理解に依りすぎだよね」という話か。「障碍者の代弁」についてはオリエンタリズムとかサバルタンとかの話もちょっとだけ絡む。
たられば @tarareba722 2011年6月24日
気になったのは「俺はその言葉で呼ばれたくない,俺をその言葉で呼ぶなという要求は常に正当であり配慮しなければならない」という点(難癖っぽいかw)。私はこれ、アプリオリに「正当」だとは思えない。まあ話の流れ上、そこで引っかかってると前に進まないというのであれば理解はできる。
たられば @tarareba722 2011年6月24日
.@tikani_nemuru_M 「刻印」というか、再帰的なものですね。社会によって生み出された「言葉」は、その言葉を生み出した社会の文化性を色濃く反映し、そしてまたその言葉自身が、(その言葉が使用されることで)文化や社会を形作っていく、と。うーむ、北田暁大っぽい。社会と言葉、人と言葉は常に相関関係にあり、再帰的、双方向的であると。
清水正行 @_shimizu 2011年6月24日
この手の話を聞くたびに「蔑称が蔑称として使われてきた歴史ってのは、そんな簡単に無視したり、無かったことにできるもんなのかな?」って思う。「差別用語が問題なんじゃない、差別意識が問題なんだ」ってもの良く聞くけど、他人の心の内なんてホントのところ分んないだからアウトプットされるもので判別することがそんなに悪いこととも思えない。あと、この手の蔑称をためらい無く口にするような人より、「そういうこというのやめようよ」といういらぬ配慮をする人の方が「偽善者!」として糾弾されやすいってのは、不思議だな。
地下猫 @tikani_nemuru_M 2011年6月24日
再帰性でもよいのですが、スティグマ論が念頭にありましたので「刻印」と述べました>@tarareba722。カテゴリーの暴力としての差別と言語が互いの鋳型になっているイメージです。
羽生おにぎり店勤務 @sakasakurage 2011年6月24日
「差別用語」という概念と、その上での言葉のリスト化がもたらした既成差別の教育効果って、かなり無視できないと思うのですよね。まあ、それはそれで板ばさみ的な。
早寝らくがき(‘ω‘(◜◡◝😗 >ヮ@)'_') @_rakugaki 2011年6月24日
個人の意識において音声や文字に刻まれた差別的な意識、が普遍的だとされる公、社会的な場で被差別者が要求する言い換えには配慮する。結果的に「この言葉を使ったら差別≒この言葉を使わなければ非差別」という論理が展開されるなら、個人の意識によって形成される社会の意識が変化する過程で有害だと判断する。
@nososuba 2011年6月24日
本来的に差別語はないってのは腑に落ちるんですけど、「差別語」が差別語になるにはそれなりの数の力が必要ですよね。また、一度、差別語として認識されちゃうと、文脈に関わらず、差別意識は避けられないのでは?
@nososuba 2011年6月24日
「差別は言葉じゃなく意識」という態度が、歴史的な「文脈」を無視した「言葉のルネサンス」の正当化に繋がるんじゃとも考えます。便利なマーカーでもあるので、言葉狩りは否定じゃなくて、停止の感覚が大事かなと。
ちくわ@だいぶヱロい @tikuwa_ore 2012年4月23日
例えば「フィギュア萌え族」のように、特定嗜好者を迫害するために生まれた造語は存在するワケだが。
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