以下、添付写真中特記なし、又は赤字マークはhttps://digitaltmuseum.se/ より。
青字マークはhttps://imsvintagephotos.com/ より
+の特記があるものは、明らかに年代が異なるものをイメージ写真として使っている。
*特記は、キャプション等では確定できないが、この時であると推測している(間違っているかもしれない)
・はSvD紙面への掲載を確認している
-は紙面掲載を確認していない(未見である可能性はある)
欧州におけるドイツ降伏日は主にソ連的都合によって5月8日とされる。しかし、1945年5月7日、北欧で中立の孤塁をかろうじて保ったスウェーデンはすでに祝賀ムードとなっていた。ドイツ降伏の報が届いたのである。#ゴトランド
2020-06-08 22:49:00当日の夕刊紙号外はぶち抜きの「DRED」(平和)。隣国ノルウェーからの亡命者らが首都をまちまちの格好で即席のパレードを行い、ビルからは紙吹雪が降り注いだ。 digitaltmuseum.se/011013837172/f…
2020-06-08 22:50:00しかし、スウェーデン海軍の「戦い」は続いていた。当時スウェーデン海軍は軍管区に旧式/小艦艇を張り付けて警備を行う一方、唯一の機動艦隊である沿岸艦隊に虎の子のスヴァリエ級装甲艦(海防戦艦)3隻などを集中配備、侵攻に対する備えとしていた。
2020-06-08 22:51:00貴重な大型艦の一隻として、ゴトランドもこの艦隊に加わっている。艦隊の戦時体制は、5月16日までは維持された。(写真は1944年以前、digitaltmuseum.se/011014895933/p…) pic.twitter.com/llsaAlm4aG
2020-06-08 22:52:00戦時中、かつバルバロッサ後?ゴトランドは一番奥でクレーンが微かに確認できる
約1か月後、スウェーデンは再び祝賀ムードに包まれた。6月6日はこの国にとり特別な日。現在ではナショナルデーとして祝日である。当時は「旗の日」と呼ばれ祝日ではないが例年、国王グスタフ5世が臨席し式典が行われる。まして長い中立国の戦いの直後である。開放感はこれまでにないものであった。
2020-06-08 22:53:00沿岸艦隊はその翌7日、装甲艦3隻が実弾演習を行った。これも例年行われるもので、曳航標的に対し砲撃を行いその有効打数の判定によって優劣を競うというものである。この年はスヴァリエが優勝し、旗艦の面目を果たした。+ pic.twitter.com/9PUbkJ9Q4j
2020-06-08 22:55:00演習後、艦隊は単縦陣を組み、移動を開始した。目的地は王都ストックホルム。午後には艦隊は王宮の目前まで通ずるストックホルム・ストロームに投錨、戦塵を洗い落とした。+ pic.twitter.com/4NwYToYKmt
2020-06-08 22:56:00先導は沿岸駆逐艦「モード」、スヴァリエ級3姉妹(Sv-DV-GVの順)、さらに都市級駆逐艦が続く imsvintagephotos.com/products/destr… ・ pic.twitter.com/bLrezU1BbX
2021-12-05 05:35:41先着した沿岸艦隊本隊は単縦陣でストロームに並ぶ。この威容ですら、まだ役者は揃っていない。 imsvintagephotos.com/products/swedi… - pic.twitter.com/uWfbzPF3NH
2021-12-03 02:43:40ゴトランドは艦隊主力より分派されていたらしい。僚艦の巡洋艦フィルギア、イタリアから紆余曲折を経て取得した沿岸駆逐艦のロムルス・レムス姉妹などを伴ってストックホルムに滑り込んだのは8日金曜日の朝のことである。これにより、ストックホルムに集結した艦艇は大小併せ35隻となった。 pic.twitter.com/nIbEyCdp5m
2020-06-08 22:57:00写真右がゴトランド、左はスヴァリエ
沿岸艦隊のストックホルム訪問は実に7年ぶり。しかも当時の海軍総兵力180隻中35隻と、これほど多くの艨艟が並ぶことは絶後の事である。新聞が「エリク14世(注:治世は1560年台)以来の出来事である」と書き立てたほどであった。
2020-06-08 22:58:008日午後3時。前夜の雨が上がり、「旗の日」同様のパレード日和である。王宮からストロームを挟み対岸、シェップスホルメン島に現れた御年86歳のグスタフ5世王は、スヴァリエから差し向けられたランチに移った。ランチの艦首には、直ちに国王座乗を示す国王旗とペナントが掲げられた。
2020-06-08 22:59:00御座船は水兵の竿爪さばきも鮮やかにゆっくりと桟橋を離れた。スウェーデン海軍の戦争を締めくくる親閲式が、始まった pic.twitter.com/REwe8pPtll
2020-06-08 23:00:00親閲を受ける艦艇はすべて満艦飾に登舷の礼を取って老王に敬意を表している。 ランチが発った桟橋のすぐ横には、魚雷艇隊とロムルス・レムス、さらには病院船プリンス・カールが陣取っている。digitaltmuseum.se/011015399009/k…より pic.twitter.com/usaJD37aIy
2020-06-08 23:01:00下に小さくランチが写っている
そしてシェプスホルメン島に備え付けの大砲と各艦艇の砲が、一斉に21発の礼砲を撃った。総計126門が奏でる砲声が首都の建物に、石畳に響き渡る。わずか1月前ならば恐怖の音色であったかもしれないが、今や轟音は解放を告げる音であった。(写真は30年) pic.twitter.com/Tuyg6EReYd
2020-06-08 23:02:00砲声轟く中、国王艇はカステルホルメン島の影からストロームへ姿を現した。先行する報道艇はグスタフVから差遣されたものか imsvintagephotos.com/products/swedi… - pic.twitter.com/QCeWaZAr8T
2021-12-03 02:43:41沿岸艦隊は、ストローム中央に複縦陣で投錨中である。ゴトランドの位置は左列先頭で、右列先頭の旗艦スヴァリエに、やや下がった位置についた。(手前がゴトランド) pic.twitter.com/TzyxCstg6h
2020-06-08 23:03:00ゴトランドの後方はフィルギア、敷設艦エルスナベン、新鋭駆逐艦のビスビー、カルマル、スンズヴァル。シェップスホルメン島へ向かうよう弧を描いて並ぶ。縦列の左岸岸壁や右岸カステルホルメン島の桟橋には駆逐艦、潜水艦と潜水母艦パトリシアなどが所せましと並んだ。 pic.twitter.com/xfgg4wxDYI
2020-06-08 23:04:00カルマル(14)が共通。DD群は写っている写真がない