2020年6月13日

【上海租界街歩き in1930's 前編】

時に「東洋の巴里」と謳われ、時に「頽廃の魔都」と恐れられた戦前の上海へとご案内します!
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HIROKI HONJO @sdkfz01

【上海租界街歩き in 1930’s /前編】 突然ですが、時空を超えて戦前の上海へ出かけませんか?(笑) こう長い間狭い所へ押し込められていると、いい加減ストレスが溜まります。例え妄想の中でも異国へ旅したい。 という訳で、光と影が交錯する「東洋の巴里」・「頽廃の魔都」へと、いざ出発! pic.twitter.com/W77mHedAhg

2020-06-13 17:41:24
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昭和初期、上海へ渡る最速の方法は、長崎を起点とする定期連絡船を使うことでした。 昭和9年のダイヤでは、午後3時に東京を出発する夜行特急「富士」に乗車すると、翌朝9時30分に下関に着きます。 ここで長崎行急行に乗り換え、昼頃に港の岸壁にある「長崎港」駅に到着。 pic.twitter.com/GK5jXlkinM

2020-06-13 17:42:23
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なお、「富士」は、下関から釜山航路や大連航路(その先には満鉄があり、さらにはシベリア鉄道を経て欧州へ通じる)にも接続する国際色豊かな豪華列車でした。 昭和17年に関門トンネルが開通すると、長崎まで直接乗り入れるようになります。 (画像は「富士」食堂車) pic.twitter.com/HjGre0CUd2

2020-06-13 17:43:01
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さて、長崎港駅に列車が滑り込むと、駅から目と鼻の先にある波止場に、小ぶりな客船が煙を上げているのが見えます。 これは日本郵船の「上海丸」か、または姉妹船の「長崎丸」で、5,000トンの船体に一等船客155名、三等船客200名を乗せることができます。(二等は無し) pic.twitter.com/cLhMGbheA0

2020-06-13 17:43:40
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1923に就役した両船は、最高速力21ノットを誇る高速船で、長崎-上海間を26時間で結びました。小型ながらも花の上海航路の客船としてふさわしく、内装は上品にしつらえられ、サロンや喫煙室、バー、食堂(画像)も設けられていました。 ディナーでは、洋食のフルコースが供されています。 pic.twitter.com/PJvS5x3eWF

2020-06-13 17:44:20
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もっとも、これは一等船客のエリアの話で、三等船客は畳を敷いた大部屋で雑魚寝をしていたようです。 詩人の金子光晴は次のように記します。 pic.twitter.com/KzPJkLKZar

2020-06-13 17:45:00
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「船室のなかでは、すきまもなくつまったからだが、身うごきもならず、うん気と、換気の設備のない、お互いの呼吸でよごれた空気のために仮死に近い状態になって、ごろごろとねている」(どくろ杯)

2020-06-13 17:45:31
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それでも、三等の船室は片道18円(一等は69円)と比較的安く(例えば特急燕の東京-大阪間の三等運賃と同額)、「長崎県上海市」という言葉が生まれるほど、戦前の日本人にとって上海は身近な存在でした。 当時の流行歌にも上海は度々登場します。 pic.twitter.com/cKrINYIUyB

2020-06-13 17:46:08
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「これから船出だ、愉快な航海だ 夢に見たあの上海へ 南支那海度胸で渡る 泣くなチャルメラ、夜霧の中で ないて飛ぶのは信天翁(あほうどり) 紅いあかりが、ゆらめく招く 上海!あこがれの上海!」(西条八十「上海航路」) pic.twitter.com/8DpO6sfxh4

2020-06-13 17:46:57
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なお、上海航路を利用した著名人には、前出の金子光晴や、中国の文化人と親交のあった谷崎潤一郎に加え、上海を拠点に活動した人物として、朝日新聞記者の尾崎秀実、中共シンパの米国人ジャーナリスト、エドガー・スノー、聯合通信上海支局長として日中外交折衝に関わった松本重治、(続く) pic.twitter.com/4rdRC8ZO3o

2020-06-13 17:47:40
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大使館付武官として対ソ・対中共情報収集を行った憲兵将校の塚本誠、変わったところでは現在の中国国歌「義勇兵行進曲」を作曲し、亡命先の日本で客死した聶耳(画像)や、国民党の女スパイ鄭蘋如と「大恋愛」を繰り広げた近衛文隆(文麿の長男)が挙げられます。 pic.twitter.com/aJUiDGt90i

2020-06-13 17:48:27
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さて、昼過ぎに長崎を出発した連絡船は、翌日の夕方に上海匯山碼頭(長江の支流、黄浦江に面する)へ到着します。 租界の一流ナイトクラブでダンサーとして活躍した「シャンハイ・マヌエラ」こと、和田妙子は船上から初めて目にしたメガロポリスをこう書き遺しています。 pic.twitter.com/KavNuyOC2F

2020-06-13 17:49:13
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「甲板に出ると、摩天楼が聳えていた。…『ねえ、あれがガーデン・ブリッジよ。そして、あのビルはパレス・ホテル』仲間の子は知ったかぶって言うが、それは彼女の隣のオジサンが連れの女性に説明しているのを聞いて、そのままオウム返しに言っているだけだった。 pic.twitter.com/TFfLZfLhEt

2020-06-13 17:50:08
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だが、私は期待に胸を膨らませた。 〈噂に違わず、上海は「東洋のヨーロッパ」なんだわ〉」 (和田妙子 「上海ラプソディ」) pic.twitter.com/QRRIT4G52T

2020-06-13 17:51:05
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当時も上海は国際的なハブ港であり、黄浦江上には何隻もの船が停泊していました。 「江の沿岸には工場船梁倉庫の大建築物が連立し、江上には大船巨船輻輳していわゆる商港『上海』の偉観は、到底わが国では見られない。」(「日華遊覧案内」1925年) pic.twitter.com/3dFquP2Wbc

2020-06-13 17:51:58
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1930年代、フランスの客船アラミス(1.7万トン、乗客1,045名)はマルセイユから、イタリアのコンテ・ヴェルデ(1.8万トン、同640名、画像)はトリエステから、米国のプレジデント・フーヴァー(2.1万トン、同988名)はサンフランシスコから、それぞれ上海に来航していました。 pic.twitter.com/WXhDA3skwE

2020-06-13 17:52:52
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港に浮かぶのは優雅な客船ばかりではありません。列国の軍艦も、停泊していたのです。彼女たちは「上海」がどういう場所であるか、雄弁に物語る存在でした。 画像は黄浦江上の英巡洋艦カンバーランド(左)、米巡洋艦オーガスト(右)。 pic.twitter.com/gpVbBZvS3f

2020-06-13 17:54:00
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日本も装甲巡洋艦出雲(画像)を旗艦とする第3艦隊を配置していました。 のちにエドガー・スノーと結婚する米国の女流ジャーナリスト・ニム・ウェールズ(当時20代前半)は上海に到着した時の様子を描写しています。 pic.twitter.com/DPxV5hGAvw

2020-06-13 17:54:59
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「軍艦や商船が…ジャンクや艀の中で威風堂々と錨をおろしていた。何マイルも続く埠頭や倉庫では、殆ど全ての貨物が人間の手で処理されていた。そして労働者は全て中国人であった。…波止場を支配しているのは『幇』のギャングたちで、この連中にちょっかいをかけようとする者は一人もいなかった」 pic.twitter.com/oj4Cjlqp6h

2020-06-13 17:56:04
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船を降りた外国人は、我先に仕事にありつこうとする人力車の車夫に取り囲まれるのが一種の通過儀礼でした。 「私たちは暴徒に襲われたのかと思ったが、それは車夫が客を取り合っているのだと判った。それから私たちは…不快極まる乞食たちの間を通り抜けなければならなかった」 pic.twitter.com/K49Hwq3J7w

2020-06-13 17:57:09
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時代は遡りますが、芥川龍之介も1920年代に同じ経験をしています。 「埠頭の外へ出たと思うと、何十人とも知れない車屋が、いきなり我々を包囲した。…支那の車屋となると、不潔それ自身といっても誇張じゃない。それが…大声に何か喚きたてるのだから、…日本婦人などは不気味に感ずるらしい。」 pic.twitter.com/QilnOR76ag

2020-06-13 17:58:21
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金子光晴も人力車を引く苦力(クーリー)について記しています。 「文字通り彼らは、自分の命を削って生きる。厳冬でも裸足で、腫物の潰れた汚い背中を、雨に洗わせて走る。客はその河童頭を靴で蹴りながら、行く方向を教える。…苦力には金への執着と、食欲しかない。性欲は、贅沢の沙汰だ」 pic.twitter.com/DdatUsifAl

2020-06-13 17:59:48
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長旅を終えた人々はホテルで旅装を解き、疲れを癒しました。英米人と一部のおハイソな日本人に好まれたのは埠頭からほど近いところにある老舗の「アスター・ハウス」(19世紀に開業)で、ニム・ウェールズやチャップリン、アインシュタイン、ラッセルが投宿しています。 pic.twitter.com/psFgZal30y

2020-06-13 18:00:46
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再びニム・ウェールズの文章を引用しましょう。 「私は開港地の神秘というものに魅入られた瞬間をよく覚えている。私は自分の広くて天井の高い部屋の真ん中に立ち、ヴィクトリア朝風の四本柱のベッドを覆っている蚊帳の匂いを嗅いだ。それから重い箪笥の引出しを開けようとして格闘した」 pic.twitter.com/FSyPNgxsL2

2020-06-13 18:01:48
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HIROKI HONJO @sdkfz01

「波止場から人力車に乗って一走りしただけで、私たちは普通の人々の階級からマンダリン-ブラーマンの高貴な特権階級に昇格してしまった。廉価な苦力労働の異国にやって来た額にドルの印を付けた貴族に」 (画像はアスター・ハウスのダイニングルーム) pic.twitter.com/CjJnFMZsZB

2020-06-13 18:02:57
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コメント

ネット・アイドル界の重鎮だんごむしさん☀ @sengodebu 2020年6月13日
位置全然違うのに上海と香港をよく間違える、なぜか
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ミスミ @MBcir1vagiCRw6e 2020年6月14日
上海退魔行や東方(紅美鈴)の影響で、明治初頭の魔都上海に関心を抱いていたので、画像など色々興味深く拝見致しました
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しろちち@3月新刊BOOTHにて展開中 @shirochichi0707 2020年6月14日
昨日の連投、ワクワクしながら拝見しておりました。後編も楽しみにしております。
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叢叡世Степин Будимир @kusamura_eisei 2020年6月14日
清朝から民国になっても発展してきた上海、結局裏で支えたヤクザ達が仕切ってたんだなと感じる。実際蒋介石達もこうしたヤクザに支えられて国を維持して来たのだろうと感じる。
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緑川⋈だむ @Dam_midorikawa 2020年6月20日
戦争と革命を挟んだが、都市としての上海はまたこの時代並みの地位を回復してきたという事なんかな
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