【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」】

横山光輝「三国志」を一話ずつ解説してみようというコーナー。第284話「曹操の死」の巻。 ※解説はbotさんの個人的見解です。 ※今回の話は、大判・横山光輝「三国志」第15巻に収録されています。
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横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」01】 第284話です。曹操最期のエピソード。 建安25年1月です。雪降る都の様子が寂しさを演出しています。 病に臥せる曹操ですが、呉から見舞いの使者が来たと聞いて、よし会おう、と起き上がります。正装に着替えて謁見の間に向かう曹操。

2020-06-19 14:47:33
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」02】 使者は見舞いの口上を述べ、見舞い品の目録と、孫権からの書簡を渡します。曹操は、遠路ご苦労、しかといただいたと言って、客舎で休んでいけと言います。使者への接遇は部下に任せるとして、曹操は仲達に孫権の手紙を渡して読まさせます。

2020-06-19 14:49:47
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」03】 この頃の仲達は、曹操の第一秘書みたいな位置づけなのでしょう。おもむろに読み上げます。第一声が「臣孫権」。この臣に反応した曹操。はい、と仲達。「臣孫権、天命すでに我が君に帰したりと久しく存じておりまする」と続けます。

2020-06-19 14:52:37
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」04】 「早々に帝位に即き、蜀を滅ぼし東西両川を平定あそばれることを伏して願いたてまつります。さすれば臣孫権は直ちに家臣を率い、所領を差し出し、降伏する所存にござりまする」と。つまり、曹操に皇帝になるように勧めたわけです。

2020-06-19 14:54:35
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」05】 曹操は、あの青二才め、と自分に謀反をすすめて、自分に火中の栗を拾わせようと謀ってきたと言います。漢帝国を乗っ取る重罪人として過去何度も暗殺なり反乱の口実にされてきた経験が言わせた台詞でしょう。

2020-06-19 14:56:33
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」06】 しかし、部下たちは孫権の言葉にも一理はある、と言います。漢の皇帝ではもはや何も出来ず、大きな力、つまり曹操がいるからこそ魏の平和は保たれていると。この際、曹操は帝位についたほうがよろしいかと、と勧めます。

2020-06-19 14:57:58
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」07】 曹操は、自分は漢に仕えて三十余年、王となって爵位は人臣を極めた。このうえ何も望みはない、と言います。皇帝になる意思はないと。しかし部下は漢の命脈はもはや尽きて、新たなる朝廷が変わる順序になったことは天下にかくれもないところ、と粘ります。

2020-06-19 15:01:48
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」08】 曹操は議論を制し、それ以上言うでないと言います。曹操が皇帝になるかどうかはともかく、呉の孫権が自ら臣、つまり皇帝の家臣であると言ってきたので、それを利用しない手はない、と仲達は、このことを天下に知らせておくほうが良策だと言います。

2020-06-19 15:03:34
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」09】 曹操は、よくぞ気づいた、と仲達を褒め、孫権を驃騎将軍、南昌候の印綬を送り、さらに荊州の牧に命ずると世間に発表せよと言います。孫権への恩賞ですね。

2020-06-19 15:05:46
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」10】 さて、呉の使者が引き返した頃から、曹操の容態は悪化します。夜ごと幻想を見、苦しみだします。関羽や華陀の姿だけでなく、過去に様々な形で手をかけ死なせた者は数しれず。その報いを受けているのでしょうか。

2020-06-19 15:07:15
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」11】 この様子を見た側近は、怪異のなすわざ、天下の道士を集めて祈祷してはどうか、と勧めますが、ここに来て曹操は現実主義者となります。これが天命なら祈祷などしてもどうにもならぬ、むしろ死に臨んで道士におはらいをさせたとあらば世の物笑いとなると。

2020-06-19 15:10:29
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」12】 自分の死が近いことを悟った曹操。それよりも、と言って世継ぎを決めておくほうが大切だ、と言います。曹操にはこの時点で四人の子がいますが、四人とも皆特にすぐれているわけでもない。それゆえ、お前達(部下達)の忠節が必要だ、と言います。

2020-06-19 15:12:17
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」13】 自分のあとを継ぐ者は長男の曹丕と決める、と断言した曹操。自分に仕えるごとく、曹丕に仕え、国を滅ぼさぬよう努力してくれ、と後継者指名。ここで決めてくれたことで後の相続争いもスムーズ(?)に解決しました。

2020-06-19 15:14:14
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」14】 曹操は最後に、「長い戦いの人生であったわ」とつぶやきます。この言葉は横山「三国志」のオリジナルです。『横山光輝「三国志」大百科』では、この言葉は横山先生が曹操に贈った弔事ではないだろうか、と解説されています。

2020-06-19 15:17:57
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」15】 部下たちが気付くと、すでに曹操は息を引き取っていました。多くのものが、大王様、と呼びかけますが、返事はありません。曹操孟徳、66歳の人生をこうして閉じました。

2020-06-19 15:20:08
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」16】 故人となってより曹操の偉大さがわかります。短所も多かったが、長所がそれに勝った。この乱世の大陸の3分の2をへいていすることは凡人にできることではない。そういう意味では、曹操は百年に一人、いや千年に一人でるかどうかの風雲児であったと。

2020-06-19 15:21:51
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」17】 大判「三国志」15巻(初版)で、千年を千人と誤植されているのを発見してしまいました…。

2020-06-19 15:25:58
横山光輝「三国志」武将かるた_bot @yms_karuta

【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」18】 曹操の死は、多くの者を悲しませました。曹操の柩とともに喪の大列は、洛陽を出てギョウ郡の城へと向かいました。

2020-06-19 15:28:09
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【横山光輝「三国志」講座284「曹操の死」19】 曹操亡き後、魏は新たな体制となります。大型物件の跡目相続は波乱を含むことが多いのですが。果たして曹操の遺言通り、曹丕が魏王となるのか……!?。この続きは次回となります。 今回はここまで。

2020-06-19 15:30:51