土曜日哲学断片集

土曜日哲学の全貌に到る断片。宗教論(主として仏教)、人生方程式、科学哲学、世界三層スキーマ、モデル論的転換など。暇人だからこそできる極道であります。
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土曜日 @doyoubi

自ブログ検索→現象学+構造主義=唯識論(全てはコト)/現象学というのは要するに「現象の背後に真理や実在があるとするのではなく、現象のこちら側(記号世界・価値世界)に真理、実在、論理のモデルを作るしかない」(真理より道理、実在より現象)http://bit.ly/bjKozR

2010-04-20 17:37:21
土曜日 @doyoubi

自ブログ検索→聡明で健気な貴女に捧げる哲学史(5)自然に帰れ/心の場所化とモデル論的転回が哲学の脱構築(唯物論への回帰)をもたらす。心は自然主義、理論は構成主義というごく当たり前のこと。http://bit.ly/cKypGO

2010-04-20 17:52:05
土曜日 @doyoubi

自ブログ検索→モデル論的転回/価値世界・概念世界・事実世界の三層構造、理論・法則・公理系は価値世界。また、理論を多様なモデルで基礎づける。例→価値世界(量子力学):概念世界(電子の粒子モデル、波動モデル):事実世界(原子核を取り巻く雲)http://bit.ly/dpZw6B

2010-04-20 18:13:47
土曜日 @doyoubi

要するに、真理は発見するものではなく構成するもの。現象の向こう側に真理や真実があるのではなく、現象のこちら側に各人がモデルを作り(人人唯識)それら多様なモデルのうちの共通部分が妥当な間主観的(客観的)モデルとなっていくということである。

2010-04-20 18:22:43
土曜日 @doyoubi

構造構成主義とは何か<判断中止→還元→関心相関性>/客観という価値はあり得ない、しかし、全ては相対的としてしまうとニヒリズムに陥る。そこで、価値については判断中止、価値の根拠に還元して関係者の関心相関性を吟味調整して妥当な結論を認めること。http://bit.ly/9nej8s

2010-04-22 05:11:13
土曜日 @doyoubi

変化する自然現象を変化しない同一性(言葉)で記述することが科学。唯一の正しい科学理論はない。世界中の人々の意識の中に存在している、相互に共通であったり背反したりしている多元的な心的構造の実在性だけを前提にするのが構造構成主義。http://bit.ly/bxspqG

2010-04-22 05:22:56
土曜日 @doyoubi

諸法無我人人唯識諸行無常。世界の全存在は縁起つまり関係性(諸法無我)。心の外に事物的存在はない。一人一人は阿頼耶識の生み出した世界を認識(人人唯識)。他人と共通の客観世界があるかのごとく感じるのは他人の中に自分と共通の種子が存在するから。http://bit.ly/aBa5YU

2010-04-22 05:37:44
土曜日 @doyoubi

自ブログ検索→梵天勧請(魂の追求)/釈尊の最初から追求したものは、あくまでも、自己の課題の解決でありました。苦の問題の追求なのでありました。しかるに、ついに「さとり」を開くことを得て、それを人々に説いた。それがおのずから衆生済度に。http://bit.ly/94HJO9

2010-04-20 13:49:04
土曜日 @doyoubi

自ブログ検索→人生三枚舌悦楽教宣言/悟りは個人の魂に関すること(エロス)、慈悲は社会的規範(言語ゲーム/ロゴス)ということで、悟りと慈悲とはカテゴリー不一致なのである。http://bit.ly/3pHNU3

2010-04-20 13:59:54
土曜日 @doyoubi

自ブログ検索→宮元啓一「仏教誕生」読書感想文/生を肯定し(スピノザ:物にも生命にも人間にも共通な力=コナトゥスの肯定)世俗を暮らしつつ、他方で、人は魂(非社会的実存)を生きる。http://bit.ly/lps2l

2010-04-20 13:31:22
土曜日 @doyoubi

つまり、人間は心(社会的現象)=世間心と魂(非社会的実存)を有している。すなわち、人生=世間心(損得、好き嫌い、理非、善悪)+魂(悲喜、美醜、虚実)http://bit.ly/9ymw1J であり、宗教は魂の問題のみを扱うべきである。現世利益などもってのほかとする所以なり。

2010-04-20 14:16:15
土曜日 @doyoubi

概観@スピノザ「エティカ」を読む(1)/事実(無限実体)から世界の論理モデル(正しい認識)と価値モデル(善悪等)を抽出する体系的哲学及び形而上学(思想)なのである。ああ、痺れてしもうた。http://bit.ly/aNZq2v

2010-04-23 17:19:38
土曜日 @doyoubi

存在論@「エティカ」を読む(2)/スピノザは実体を「その概念を形成するために他のものの概念を必要としないもの」と定義、従って、究極の実体は宇宙全体のエネルギー・物質循環系。物質も生命もその様態(属性の限定物)に過ぎない。http://bit.ly/9HijEi

2010-04-23 17:26:28
土曜日 @doyoubi

認識論@「エティカ」を読む(3)/観念の秩序と連結はものの秩序と連結と同じ。そして、理性の下、分析・総合・直観によって我々は十全な認識に到達する。つまり「エティカ」において存在論と認識論はぴったり一致する。http://bit.ly/bKSJwQ

2010-04-23 17:36:59
土曜日 @doyoubi

スピノザは現象のこちら側に神即自然=事実を唯一の実体とする論理モデルを設定した。そのモデルにおいて全ては必然的(だから自由意志は否定)、コナトゥス(実体の力)の現れである。それを認識するのが知性と直観知(つまり信仰)、人間は神(自然)を正しく理解できるという希望の論理モデルだ。

2010-04-23 17:59:01
土曜日 @doyoubi

感情論@「エティカ」を読む(4)/感情の基礎はコナトゥス(ものの力)。欲望・喜び・悲しみの三つが基本感情で他の全ての感情はこれから導出される。感情は理性で抑えられない。感情を抑えるにはそれに反対的でしかもより強力な感情によらなければならない。http://bit.ly/WweVW

2010-04-23 17:42:40
土曜日 @doyoubi

肯定と赦しの哲学スピノザ/(1)自分をゆるす(自己肯定→安らぎ)(2)神と世界をゆるす(運命に振り回されない)(3)人間をゆるす(他者との協調)(4)社会をゆるす。世界は必然性、不幸の原因はその必然性を認識できなかった無知にある。http://bit.ly/bkE3lD

2010-04-23 18:06:42
土曜日 @doyoubi

真理と正義は一致しない@スピノザ:彼はデカルトと同じ合理主義者でありながら、「理性は真理と叡智の領域を、神学は敬虔と服従の領域を」と主張して、信仰と科学とは次元が異なる→無関係だとした。http://bit.ly/cedBSp

2010-04-25 07:52:23
土曜日 @doyoubi

西田幾多郎×永井均:ウィトゲンシュタインは「主体は世界に属さない。それは世界の限界」とするが、それでは開闢の奇跡(「私」ではなくこの<私>。いまここに生きている私と私の生をどう説明するかという問題)が解明されない。そこで西田幾多郎登場。http://bit.ly/bMi0fV

2010-04-23 18:22:58
土曜日 @doyoubi

西田「人が経験するのではない。経験が人をつくるのである」。私という実体の否定、私は場所(大河の一滴。神即自然実体のひとつの態様)、心は社会的現象。単なる現象なのだからその理由を詮索しても無意味。開闢の奇跡は奇跡でもなんでもなくて「存在は本質に先立つという人間の実存の当然である。

2010-04-23 18:31:34
土曜日 @doyoubi

純粋経験から行為的直観へ:物が我を限定する世界の中にあり同時に我が物を限定し世界を作り出すということだ。行為・身体を純粋経験に付加することにより西田は、世界内存在であり同時に世界を変革する人間の歴史性社会性を実在を説明する基礎として据えた。http://bit.ly/5bRHIz

2010-04-22 07:59:39
土曜日 @doyoubi

純粋理性の弁証的幻想(カント)「ものごとの本質とか本性というものは、世界を整合的に捉えるための道具として要求される構造にすぎないのに、いつのまにか本質がご本尊になってしまい、世界それ自体の必然的な構造として振舞うようになる」http://bit.ly/c653RU

2010-04-24 08:13:15
土曜日 @doyoubi

カントと同様のことをウィトゲンシュタイン「ひとは自分が執拗に追い求めているのはものごとの本性なのだと信じているが、ただわれわれがその本質をみるときに従う形式に沿って進んでいるにすぎない」。認識の基本は経験、言語・概念は整合ツールにすぎない。http://bit.ly/c653RU

2010-04-24 08:15:16
土曜日 @doyoubi

大人のための科学哲学入門:物自体は知り得ない(カント)。このカントの立場を一歩進めて、対象の実在は認め(独立性テーゼ)、法則の実在は否定する(知識テーゼ)のが科学哲学でいうところの反実在論である。唯物論を採りながら反実在論がなうい。http://bit.ly/brMa3E

2010-04-25 08:00:27
土曜日 @doyoubi

西洋哲学史概観:自然主義(古代原子論)→反自然主義(プラトンのイデア一元論)→反プラトン主義(認識論的転回:デカルトの物心二元論、そしてニーチェ)→言語論的転回(反観念論フレーゲ)という流れをたどってきた。http://bit.ly/cKypGO

2010-04-25 13:08:43