内藤湖南『応仁の乱について』を勝手に読む〜日本文化並びに民族の形成についての一試論〜

内藤湖南を皮切りに日本歴史についての考察をまとめました。応仁の乱(戦国)を日本史上の一大画期と見なす内藤湖南に習い、この時期を単に社会経済上の一大変革期であるだけで無く、文化的にも民族的にも、中国文化と対等の今に続く日本文化と言えるものが成立した、言い換えれば日本本土人たる大和族の成立期と考えています。
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熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐉🇵🇸 @xiongmao53

内藤湖南は戦前の有名な東洋史学者であり、有名な「応仁の乱について」は1921(大正10)年に行われた講演です。 なお、私は専門家でも何でもないので、内藤湖南自身や「応仁の乱について」という文章の歴史的意義については、殆ど語ることは出来ません。ただ、読んで思ったことを書いていくだけです。

2018-03-05 19:51:39
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なお、テキストは電子版としては以下が無料で手に入りますが、 amazon.co.jp/%E5%BF%9C%E4%B… やはり、紙ベースでは、内藤湖南『日本文化史研究(下)』(講談社学術文庫)がいいと思います。 amazon.co.jp/%E6%97%A5%E6%9…

2018-03-05 20:07:48
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(続き)応仁の乱以後はわれわれの真の身体骨肉に直接触れた歴史であって、これをほんとうに知っておれば、それで日本歴史は十分だと言っていいのであります。」

2018-03-05 20:13:41
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内藤「応仁の乱」で、有名なのはやはり次の指摘でしょう。 「大体今日の日本を知るために日本の歴史を研究するには、古代の歴史を研究する必要は殆どありませぬ。応仁の乱以後の歴史を知っておったらそれでたくさんです。それ以前の事は外国の歴史と同じぐらいにしか感ぜられませぬが、(続く)

2018-03-05 20:13:17
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ということで、内藤は「応仁の乱以後百年ばかりの間というものは」、日本の歴史において「非常に大事な時代」であり、「日本全体の身代の入れ替り」である。つまり、「応仁の乱以後百年」(戦国時代)を日本歴史上の一大転換点であると主張するのです。

2018-03-05 20:20:10
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実際、内藤の指摘するように、戦国の争乱の間に、公家はもちろん武家であれ、それ以前の旧勢力は大方、その勢力を失います。明治以降も華族となった江戸時代の大名の大部分は、戦国期以降勃興したものであり、それ以前から続くものは薩摩の島津など、辺境部に少数残存していたに過ぎなかったのです。

2018-03-05 20:32:59
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内藤が触れていない社会経済の面においても、戦国以降、それ以前の荘園公領制は完全に崩壊して行き、かわって家を単位とした小農経済が発展します。戦国以降勃興した大名というのは、この小農経済に依拠していたのであり、これが江戸時代にも続いていきます。

2018-03-05 20:45:10

(余談)
 豊臣秀吉との関係で名高い蜂須賀小六の子孫は、江戸時代を大名として生き残り、明治には侯爵となった。その何代目かの当主が明治天皇の元に伺候した際、出された葉巻が気に入り、天皇が席を外された隙に何本かを懐に入れた。葉巻が減っているのに気付かれた天皇は一言「蜂須賀、先祖の血は争えぬのう」とおっしゃったという。
 もとより、先祖の小六が野武士出身であることを揶揄されたのであるが、実は野武士出身と言えば、家康の祖父もそうであり、戦国以降勃興した大名たち、すなわち明治以降の大名華族の殆どが「似たり寄ったりの「どこの馬の骨とも知れぬ」連中だったのである。しかし、蜂須賀の殿様だけは『太閤記』などによって、野武士出身だと全国に知れ渡っていたのである。
 これは、司馬遼太郎が何かで書いていた。

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筆者は、社会経済という点から見て、日本歴史上の転換点は次の三つだと思う。 1)日本列島最初の国家の誕生。大化の改新、白村江の敗戦を契機として、初めて日本列島に国家が誕生した。言わば原始社会から本格的階級社会への移行。その国家が初めて「日本」との国号を採用した。

2018-03-06 22:42:07
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2)内藤湖南が指摘するような「応仁の乱」(戦国)。 3)明治以降近現代。資本主義社会の成立。

2018-03-06 22:44:01
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一般に鎌倉時代を中世の始まりとし、それ以前を古代とする時代区分が行われているが、筆者はこの立場を取らない。というのも、平安時代(少なくとも中後期)以降、社会の経済基盤となっているのは荘園公領制であり、それは鎌倉以降も変わらず、抜本的に変化するのは、戦国以降である。

2018-03-06 22:51:11
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鎌倉以降の武家政権の成立を大きな「転換」とする向きもあるかも知れないが、少なくとも鎌倉時代、武家(幕府)が支配したのは東国のみであり、西日本は依然として公家政権の支配下にあった。室町においても、公家政権の支配は少しは残っている。

2018-03-06 22:55:09
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そもそも、応仁の乱以前の武士は荘園公領制を基盤としており、その点では貴族と変わりは無い。同じ武士と言っても、戦国以降の武士とは依って立つ経済基盤が違う。

2018-03-06 22:57:36
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ところで、内藤湖南が日本史の時代区分にどのような見解を持っていたかは分からない。ただ、「それ以前の歴史は外国の歴史も同じ」というほどに、最大の転換点と考えていたことは事実であり、今回の連投の目的はその意味を考えることにある。

2018-03-06 23:07:13
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やはり、「それ以前の歴史は外国の歴史も同じ」という内藤湖南の主張を見る限り、彼が(応仁の乱以後)戦国を単なる社会経済の変革に止まらない、日本歴史上の一大転換期と考えていたことは間違いないだろう。では、その変革とはどのような性質のものなのか?

2018-03-07 22:20:19
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ヒントは、やはり「それ以前の歴史は外国の歴史も同じ」という言葉であり、これを文字通りに取ってみれば、内藤はどうも「日本」というものが本当に出来上がったのは戦国以降のことと考えていたのではなかろうかと言うことである。

2018-03-07 22:24:48
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ここで、日本文化というものが、どのようにして形成されたのかという問題についての、内藤湖南の考え方を紹介するために、彼の別の文章を紹介する。即ち『日本文化とは何ぞや(一)』(1922年)であり、これは『日本文化史研究(上)』(講談社学術文庫)に収録されている。

2018-03-08 20:29:49
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まず、内藤は「国史家初め多くの日本人は、(中略)日本文化なるものの、最初からの存在を肯定し、外国文化を選択し同化しつつ今日の発達を来したと解釈せんと欲する傾きがある」が、これは謬想であるとします。 内藤から続けて引用します。

2018-03-08 20:48:36
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「(日本文化という)樹木の種子が最初から存在して、それをシナ文化の養分によって栽培されたというように考えるのであるが、余の考えるところでは、たとえば豆腐を造るがごときもので、豆を磨(す)った液の中に豆腐になる素質を持ってはいたが、これを凝集さすべき他の力が加わらずにあったので、

2018-03-08 20:54:10
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シナ文化はすなわちそれを凝集さしたニガリのごときものであると考える」。  有名な中国文化ニガリ論です。なお、引用文中( )内は私が補足したものです。つまり、日本文化は中国文明流入以前から存在していたのではなく、中国文明の流入によって、日本文化が形成されたという考え方です。

2018-03-08 20:57:50
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内藤は、このような考え方は「多数の人々が理解し難く、かつ時として大なる反感をもつところのものであるかもしれない」と述べていますが、私は基本的に内藤の見解に同意するものです。

2018-03-08 21:04:27
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私流に内藤を解釈し直すと、日本民族(日本文化)といったものが最初からあったわけではなく、古来、列島に流入した様々な文化要素(民族)が先進中国文明によって凝集統一し、今に至る日本民族(文化)が一定時期に形成されたということになります。

2018-03-11 19:21:45
熊猫さん🐼🐷🐶🐻🐉🇵🇸 @xiongmao53

再び内藤を引用しますが、「シナ文化によって日本文化が形成せられる時代はずいぶん長きにわたっているので、政治上社会上その進歩が徐々に完成していったのである。(中略)国民の自覚は常に政治的に最も早く生ずるが、真の文化的思想的に自覚を生ずるのはこれよりもはるかに遅れるのが常である。(中

2018-03-11 20:10:08