氏家先生( @ujikenorio )による 近代日本のアジアへの眼差しのねじれについて

一方で国体護持のイデオロギーとして儒教(朱子学)倫理を導入しながら、他方、脱亜入欧を掲げてアジア賤視の価値観を生み出した、日本近代のねじれについて。
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氏家法雄 @ujikenorio

孟子で思い出したのですが、儒学の経典の類、易経等を除き、殆どが人々のやりとりを収めたものが多い。古代ギリシアの哲学的思考とは、宗教の言語(神話という物語)を乗り越える普遍的対話空間の創出として近代誕生しますがソクラテスの対話篇を彷彿させる初期儒学の息吹は似たものがあり興味深いです

2011-06-28 23:39:47
氏家法雄 @ujikenorio

しかも儒学には、「儒学」と「儒教」の二重の契機が存在します。対話篇から二つの可能性を示唆したという意味では稀有な存在かも知れません。まあ、宗教としての儒教を過度に強調してしまうと難(近代以前の中国民間宗教との関係もありますので)ですが、興味深い点ではあります。

2011-06-28 23:43:06
氏家法雄 @ujikenorio

まあ、儒学は専門でありませんし、倫理学との絡みで読むだけですが、儒学文献含めて、中国の古典を読むことは、実り豊かなものです。特に面白いのは、和漢洋才で、アジア自体を否定した近代日本の論理というものが、儒学を折衷して議論を構成しているところなんかは、ひとつの爆笑ものですけどネ。

2011-06-28 23:46:22
流人光宏 見習い竹剣士 @lightningmitchy

むー。僕にはアジア否定には見えないんですよね。万葉仮名後、訓読みの導入の次に、外来の訳語を頑張ったのが明治です。啄木始め頑張りました。それは今の中国の役にも立っている。訳語を検討せずただ外来概念を振り翳す現在の方がアジア否定に見えます。 RT @ujikenorio: まあ、儒学

2011-06-28 23:54:43
氏家法雄 @ujikenorio

誤解を招くような表現だったかもしれません。正確に言えば否定に失敗して、その後処理で下手打ったと言った方が良いかもしれません。少し連投します。 RT @lightningmitchy: むー。僕にはアジア否定には見えないんですよね。万葉仮名後、訓読みの導入……

2011-06-29 00:19:18
流人光宏 見習い竹剣士 @lightningmitchy

捨てたくて仕方ないとんでもな方々がいたのも事実ですけど、言語すら含め、(苦笑 RT @ujikenorio: 誤解を招くような表現だったかもしれません。正確に言えば否定に失敗して、その後処理で下手打ったと言った方が良いかもしれません。少し連投します。

2011-06-29 00:28:40
氏家法雄 @ujikenorio

そうそのへんです。 RT @lightningmitchy: 捨てたくて仕方ないとんでもな方々がいたのも事実ですけど、言語すら含め、(苦笑 RT @ujikenorio: 誤解を招くような表現だったかもしれません。正確に言えば否定に失敗して、その後処理で下手打ったと言った方が

2011-06-29 00:36:28
氏家法雄 @ujikenorio

維新直後、万事「支那風」を排撃するという要因は、やはり欧化と国学・神道ロビイストの要求があったことがそのひとつ。欧化はひとまず起きますが後者は排撃は、神祇官の設置、廃仏毀釈で一つの頂点に達します。しかしながら、仕組みとしての西洋流政府のコンテンツを用意することができませんでした。

2011-06-29 00:36:36
氏家法雄 @ujikenorio

そこで結局引っ張られてくるのは儒者。例えば、教育勅語を起草した元田永孚(維新後は下野)などが起用され国体を補弼する論理として儒教倫理を持ち出すしかなかったということ。しかし、国体を補筆する論理として使用される過程においては、儒学由来という経緯が有耶無耶にされていきます。

2011-06-29 00:36:42
氏家法雄 @ujikenorio

元田永孚自体は、常々、儒教に基づく道徳教育の必要性を論じてやまない人間であり、そのことによって国体は護持されるという発想ですが、完成された勅語自体は、歴代天皇が国家と道徳を確立したと語ることにより、方法と目的の混同から、結果として儒学準拠がスルーされてしまいます。

2011-06-29 00:36:49
氏家法雄 @ujikenorio

これと同じようなスルーが以後かなり出てきます。それに拍車をかけるのはやはり日清戦争後、日露戦争であることは否定できません。大国意識と中国をしたにみる眼差しは、例えば元田と同じく熊本出身の軍人石光真清の手記などで詳細に記録されております。兵士の意識が両戦争で激しく変化。

2011-06-29 00:36:56
氏家法雄 @ujikenorio

民間はいうまでもなしですよね。そーいう経緯を眺めると、1.支那風の否定(=江戸時代との断然の強調)、2.1の失敗による再取り込み、3.再取り込みの過程で中国思想への敬意が薄れてしまった……。内実は朱子学の援用ですが、こーゆう流れはあるのかなと思います、支配の論理としてですが。

2011-06-29 00:37:17
氏家法雄 @ujikenorio

そして戦勝が拍車をかけるのですが、やはり南アフリカの「名誉白人」的な欧米への羨望がいりまじり、ひとつの「ねじれ」のようになってしまったのではないか……そのへんです。近親憎悪といえば近親憎悪ですけど。そして構造としては加藤典洋氏が『敗戦後論』で指摘した構造のようなものではないかと。

2011-06-29 00:37:24
氏家法雄 @ujikenorio

この二重の眼差しがひとつのねじれを生んでしまったのではないか……そう感じられてしまうわけなんですね。

2011-06-29 00:39:27
氏家法雄 @ujikenorio

もちろん、民間には、そうじゃない正視眼の人間は沢山存在しますし、受容と咀嚼の過程はありますが、公式言説として、経緯が失われてしまったことはひとつ残念ですね。だから逆に、民間にはそうではない人間が左右とわず沢山いたことは明記しておきたいと思います。

2011-06-29 00:40:56
氏家法雄 @ujikenorio

余談ですが、福澤の脱亜論=亜細亜放擲論とみなすのも早計の一つ。福澤の脱亜は当時の体制への批判であり、生きている亜細亜人を小馬鹿にした議論ではない。でなければ、中国朝鮮半島の留学生の面倒を死ぬまで熱心にみるはずもありませんし。後世イデオロギーとして利用されたことが不幸というだけ。

2011-06-29 00:43:28
流人光宏 見習い竹剣士 @lightningmitchy

政治や体制としての失敗葛藤は未だ引きずられていますが、それに抗し貫いた文化人がいた、そこに僕は尊敬すら抱きます。 RT @ujikenorio: この二重の眼差しがひとつのねじれを生んでしまったのではないか……そう感じられてしまうわけなんですね。

2011-06-29 00:50:09
氏家法雄 @ujikenorio

その意味ではシステムを絶えず訂正していく使命は私学にこそあるんですよ(キリッ RT @lightningmitchy: 政治や体制としての失敗葛藤は未だ引きずられていますが、それに抗し貫いた文化人がいた、そこに僕は尊敬すら抱きます。 RT 二重の眼差しがひとつのねじれを

2011-06-29 00:54:55