備忘録:作品の性格と読みの方向性とそれによる面白さ(「作家・円城塔が選ぶ<SFと幻想文学の間>」を発端に)

チラシの裏な備忘録です。ビーケーワンでの特集、 「作家・円城塔が選ぶ<SFと幻想文学の間>」 http://www.bk1.jp/books/contents/booklist/1106_enjou 続きを読む
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相楽 @sagara1

作品の性格と、読みの方向性とそれによる面白さ……んーと……。

2011-06-27 17:58:29
相楽 @sagara1

「作家・円城塔が選ぶ<SFと幻想文学の間>」http://t.co/0DZMbFT の最後に挙げられている小林泰三『海を見る人』。小林泰三作品、とりわけ『海を見る人』は表面上優れたホラーや幻想文学とも読めつつも。実はその醍醐味は(続く)

2011-06-27 17:58:55
相楽 @sagara1

「本文中に描かれた要素から諸々計算していくとガチなハードSFとしての構造が見えて来ることにあるのでは」とも言われる素敵な在り方で名高い。どういうことかといえば、こういうことなんですが⇒「勝手に科学解説(ネタバレ注意)小林泰三「海を見る人」」http://t.co/fzC2X8q

2011-06-27 17:59:06
相楽 @sagara1

その在り方は正に円城さんの<SFと幻想文学の間>に寄せた「科学と幻想の接点」という視座に相応しいなぁ、と。即ち、小林泰三『海を見る人』は両面を見据えつつ。それが「接点」であることの面白みを十全に味わうべき作品と思えるわけですね(続く)

2011-06-27 17:59:23
相楽 @sagara1

「作家・円城塔が選ぶ<SFと幻想文学の間>」http://t.co/0DZMbFT 「兎も角それは人の考えつくったものです。その癖自在な利用はできず、何かを考えてしまったことで束の間の絶対もまた生じます。(続く)

2011-06-24 16:02:55
相楽 @sagara1

(続き)生れ出た絶対的に抵抗不能な力の前に頭を垂れること、しかし屈するわけではないこと、そこに科学と幻想の接点は存在します」http://t.co/0DZMbFT

2011-06-24 16:03:18
相楽 @sagara1

その流れで触れるのもなんなのですが。『ジュエルペットてぃんくる☆』25話、そして26話のおまけ解説。レアレア界とジュエルランドの時間の流れについてしれっと語ったのを聞いて反射的に「小林泰三かいっ!」と。あの話、計算すると多分……。

2011-06-27 18:00:52
相楽 @sagara1

ただ、ここで「「ジュエルペットてぃんくる☆」はその「接点」としても読み得ることがどの程度意識されるべきなのかなあ」となると『海を見る人』とは事情が大幅に異なると思え。悩ましいものだと勝手に思わされたりしました。余計なお世話ですけれど。

2011-06-27 18:02:45
相楽 @sagara1

なんというか。あえて「おまけ」に配置されたのは配慮であり稚気であり予防線でもあるのかな、とも。仮にそれでも「行き過ぎ」と捉えてしまうような視点はなんだかつまらないものでもあれば、派手に横から深く刺されてしまいそうな危うさも感じてしまうところ……かな。

2011-06-27 18:03:28
相楽 @sagara1

「作家・円城塔が選ぶ<SFと幻想文学の間>」で最後に挙げられたのが小林泰三『海を見る人』ならば、最初に挙げられたのはミルチア・エリアーデ『ムントゥリャサ通りで』。著名な宗教学者の手になるカフカ的な幻想小説。語る側の拡散が、解釈し意味と事実を捉えようとする側を常にかわし続けていく。

2011-06-27 18:04:29
相楽 @sagara1

二年前に『ムントゥリャサ通りで』読んだ時は読書メーターで分かったような分からないような感想書いたりしたなぁhttp://t.co/CGPYt4u 「語り得ぬものに対して沈黙するのではなく、時間も場所も交差させ、遡り、語り倒し語り尽くすことで追っていく老人がいて。(続く)

2011-06-27 18:06:49
相楽 @sagara1

(続き)その語りに対し、いわばエレベーターの行き先階を指定するように"肝心なのはこれだな!"と枠を強制し、到着して降りるように"こういうことだな!"と納得した人物は、しかし、"到着した"と思ったまさにその時に消されていってしまい、扉が開いたとき、降りる階を決めた人物の姿はない」

2011-06-27 18:07:01
相楽 @sagara1

ちなみに『ムントゥリャサ通りで』は円城さん絡みからではなく「米澤穂信を作った「100冊の物語」http://t.co/ui4g0W2 で挙がった未読数十冊をのんびり読む流れで手にとった本で。そのリストと米澤穂信が(本格ミステリ的な)「論理」を非常に重んじる作家である(続く)

2011-06-27 18:14:06
相楽 @sagara1

(続き)こととを絡めて考えると。米澤穂信が「論理」を抱く探偵の背景にあるもの……例えば時代、国、言語、身分、宗教、生物としての人間……そういった諸々に非常に深く関心を抱く作家であるということ。かつ、その関心の傾向や広がりが伺えて大変興味深いところではあったりする(続く)

2011-06-27 18:14:45
相楽 @sagara1

特に米澤穂信の「古典部」シリーズや「小市民」シリーズを「日常の謎」の系譜の上で(特に北村薫『空飛ぶ馬』からの《私の物語》を一つの起点として)眺める時。それらの背景を取り込んだ読みは、とりわけビルドゥングスロマンとしての読解との親和性が高くなると考えたい。なぜかというと(続く)

2011-06-27 18:25:31
相楽 @sagara1

北村薫以来の「日常の謎」の最大の特徴は「人物の死が起こらない」などではなく(そもそも『秋の花』でも人は死ぬ)、本格ミステリとしての解決において「解決する」ということと共に。しばしばそれ以上に「解決が探偵と周囲に何をもたらすか」を非常に重視することに求め得ると思う。

2011-06-27 18:26:18
相楽 @sagara1

「日常の謎」についてあえてより狭く限定すれば。「しばしば探偵(とその助手や周辺人物)にとって謎とその解決がなんであったのか」が探偵役や助手役の成長とほぼ分かち難く描かれる、ビルドゥングスロマンとしての要素を非常に強く持つ傾向があることを強調したい。

2011-06-27 18:27:31
相楽 @sagara1

とりわけ北村薫『空飛ぶ馬』においては主人公の《私》が物語の幕開け(『織部の霊』序盤)において、あえてフランス語で「L'historie」------《歴史》と共に《物語》という意味を持つ言葉------を、映画のオープニングでそのタイトルが浮かぶように描いてみせたことが(続く)

2011-06-27 18:32:18
相楽 @sagara1

ビルドゥングスロマンとしてのあのシリーズの開幕をあからさまに告げている。なお、その読みにおいて作中で極めて作為的・意図的な語りをする《私》が台詞や情景描写の中で触れる国内外の小説、落語、映画、演劇、音楽その他諸々の作品たちは常に非常に大きな意味を持っている。

2011-06-27 19:07:27
相楽 @sagara1

『空飛ぶ馬』からの一連の作品を本格ミステリ《円紫さんと私》シリーズとして読む際にはやや衒学的に過ぎるように見える傾向もあるそれらの要素も。語り手である《私の物語》と捉え教養小説として読む際には、言及・描写される多彩な作品たち抜きではまずもって作品を語り得ないと言っていい。

2011-06-27 18:36:20
相楽 @sagara1

で。ここでようやく米澤穂信作品に話が戻るのだけれども。その作品、特に「古典部」シリーズや「小市民」シリーズをやはり教養小説として読む際には、こちらでは助手ではなく、最初から探偵役を務める人物を中心とした主人公達の意識が。即ち(続く)

2011-06-27 18:45:11
相楽 @sagara1

彼らが読み解き手中で操れる「論理」の枠を超<外>への視線が非常に大きな問題になる。例えばデビュー作『氷菓』(及びその後の巻においても)について教養小説的な読みや、より広くキャラクターの在り方や心理に寄せた読みをする際に(続く)

2011-06-27 18:45:59