僕はジャーナリストでも新聞記者でもない。ただの作家だった。 でも震災後、福島に何度か足を運び、雑誌に原稿を書いたり、東京や大阪で「福島」について話をするようになった。
2011-06-30 00:16:22それは、福島が自分のふるさとである、という以上に、最初の週刊誌の原稿にも書いたようにに、 これは、生きかたの問題、つまり、自分自身に突きつけられた問いであり、戦いだからだ。 福島は日本地図から消えかかっていた。 目に見えないものを書けるのが言葉ならばそれも作家の本望だ。
2011-06-30 00:16:55福島に漂う、一見普通に見える町に漂う奇妙な絶望感が、やがて怒れるフクシマになり、「不条理が普通」の日常になってしまった。
2011-06-30 00:17:16いちいちそんなことを考えていたら、普通に暮らしてなどいけないが、かといって何も考えないわけにもいかない。 そこで何をチョイスしようがしまいが、生きかたなんて十人十色で当然だけれど、 人間のキャパシティーを越えた事態が延々と続いているのだけは間違いない。
2011-06-30 00:17:29クソ暑い夏にプールにも入れない甥のことを思う。 そろそろ果樹園では桃の収穫がはじいまる頃だろう。 病気が治った父親は、客がひとりでもいる限り決して仕事を辞めないはずだ。
2011-06-30 00:18:09祈りたい。ぶちまけたい。悔やみたい。遊びたい。懺悔しながらクソったれと気江飛ばしてって、ひと思いに殺ってしまいたい。 そう震えてしまう時がある。
2011-06-30 00:18:20原発は政治とカネの話かもしれない。倫理や効率の話なのかもしれないが、 福島はこころと生きかたの問題だからだ。 暴動でも起きて当然だろうが、でもなかなか起きないのも、ここが福島だからだとでもいうわけか?
2011-06-30 00:18:34原発反対も脱原発もエネルギーシフトもOKだ。じゃんじゃんやってくれればいい。 でも、それだけじゃ何も解決しないほど複雑怪奇で、 いくら水を注ごうが「底なし」で、 なしくずしの日常が転がってるだけだ。
2011-06-30 00:18:48・・・・と書いたそばから、己の言葉は刃になって、自分の喉元に突き刺さってくる。そんなことはとっくの昔に覚悟の上だが、 やりきれなくて悲しくなって、 頭の中がぐしゃぐしゃになった。
2011-06-30 00:19:14人は人を殺して生きてきた。体も気持も頭も粉々にぶっ壊してきた。ついでに牛も草木も道連れだ。 ピークはとっくに過ぎていて、自爆してのたれ死ぬまでほっとかれるというわけか?
2011-06-30 00:19:44ある人が言った。たったそれだけの、ストレートな思いに、 日本人はそもそもどうだったとか、不条理は人の常だとか、まして右と左がどうこうだなんて、そんな理屈がいったいどこに必要だというんだろう?
2011-06-30 00:19:28