子供の頃隠し念仏の儀式に参加した思い出など
そんで本番はまた別の家で、それまでは適当な座敷だったんだけど、本番は仏間で一列に座布団が敷かれていて、子供たちがそこに座って目をつぶって念仏を唱え続ける。本番の時だけ袈裟を着たお坊さんがいた
2011-07-01 01:32:39基準がわからないけど、なんかOKになったら肩を叩かれるので退出して明るい部屋でお菓子とかもらって楽しく会話などしたような記憶があるんだけど。
2011-07-01 01:35:10うちのあたりって、江戸時代の始めキリシタンの後藤寿庵という人が領主で、近所の毘沙門堂はもとは隠れキリシタンの礼拝堂だったらしいので(マリア観音とかが出土してる)、形骸化した隠れキリシタンの儀式が残ってるのかと思ったんだけどどうやら違うらしいのね
2011-07-01 01:37:59んでまあ、宗教行事として謎なのは、だいたいうちのあたりは時宗のお寺の檀家なのね。墓もそっちだし。その信仰どう折り合いつけるのだ?
2011-07-01 01:41:48時宗も浄土教系なので念仏には問題なかったとかですかね? RT @juangotoh: んでまあ、宗教行事として謎なのは、だいたいうちのあたりは時宗のお寺の檀家なのね。墓もそっちだし。その信仰どう折り合いつけるのだ?
2011-07-01 01:55:59何年か前に、親父に「あの子供の頃やった隠し念仏って、どういう宗派なの?」って聞いたんだけど、「なんだろう、昔からやってたからよくわかんねえ」というとても曖昧な答だった。いちおう袈裟来た坊さんとかいたんだよ。
2011-07-01 01:46:00参考までにうちのあたりって、仙台藩の支藩というか、伊達家の養子の留守氏の殿様が収めた場所で、殿様の城があった現市役所のあたりからはちょっと離れてるんだけど、路地に沿って武家屋敷が並んでいたちょっと地域の周辺の場所。
2011-07-01 01:49:42キリシタンの後藤寿庵は土木の知識などが豊富で砂漠のようだった胆沢平野の治水事業で伊達朝宗にも可愛がられたが、江戸幕府の禁教政策で逃亡を余儀なくされたってのが地元の基礎知識。その後の行方はしれないってことになってる。
2011-07-01 01:53:39後藤寿庵は南部藩(盛岡方面)へ逃亡したというあたりまでは地元でフォローしてるのだけど、近年宮城県の登米市で後藤寿庵の墓が発見されてる。そのあたりの伝承では南部藩から伊達藩に戻ってきて隠棲してた寿庵が最終的に捉えられてそこで処刑されたらしい
2011-07-01 01:56:10@paw2061 南無阿弥陀仏の連呼は共通ですからね。これが南無妙法蓮華経とか観自在菩薩だったらあんまし自然にはやれないでしょうね
2011-07-01 02:00:33Wikipediaによると、「表向きは曹洞宗など他の教団に属しており、葬式などは寺で行うが、その後に信者どうしが集まって内々でその教義の秘密のとむらいを行うという。」とのこと。うーん、そんなの知らん。ばあちゃんの葬式でも時宗の長光寺の和尚さんに弔ってもらっただけだぞ
2011-07-01 02:07:46@juangotoh (九州の)隠れ念仏の様な、霊界通信(で組織をまとめたりする傾向)や特定の食べ物の禁忌などがありそうな感じでしたか?
2011-07-01 02:16:30