「津波の教訓を、生き残った我々は生かすべき」を巡る|日0☆TK@kyuumaruTK さんの論考
和菓子職人見習いを続けつつアルティメイタムOTAKU道をひた走るスーパーキモオタ。俗称おたべ。クルマはいいぞ。最近始めた趣味はSS書き mypage.syosetu.com/316594/
【防災】【誤報から得る教訓を】 幻の奈良大震災誤報から思い出す津波の教訓とそれを不快に思う意見の邂逅について 【教訓より哀悼を】togetter.com/li/545938
2020-07-30 12:12:35幻の「奈良大震災」(2013)のときもそうだったけど、「システムの誤動作で警報が鳴らない」よりは、「システムの誤動作で警報が鳴るが実際には何も起きず、しかし万一に備えた行動がきちんと取れている」ほうがずっといい。
2020-07-30 12:14:40亡くなった人を悼む気持ちは当然持つべきだ。だが、その気持ちが「まだ生きている人が将来同じように亡くなるかもしれない可能性を、僅かでも減じるための言説」を封じ込めることに使われていいはずがない。不特定のより多数が生き延びる可能性を得るためなら不謹慎なんかクソくらえだ(`・ω・´)
2013-08-08 22:51:05いくつか、覚え書きとして纏めておきたい。 加藤AZUKI氏におかれましては百も承知のことと思うので、どうかご容赦いただきたく。 twitter.com/azukiglg/statu…
2020-07-30 16:18:34まず第一に、ヒトという動物は社会的動物であることと、正常バイアスを持つものであるということ。 この2点は、進化の途上でそうすることが播種に有利であるため残った。
2020-07-30 16:20:25そして『大したことはない』と判断する性質。 これは、この性質を持たない種はやがて外向性を失い、播種・繁殖が頭打ちになる。 そしてこれは、失敗により当該の分割された群れが滅んでも全体としては播種は成功する。
2020-07-30 16:23:06そしてこの纏めで発生した近しい人を喪った人間の心の動きについてだが、(必ずしも合っているとは思わないが予想すると) 『何もできずに死んでいった』 『生き残ることができたが死んだ』 『行動し、生き残った』 という3グループが、事態に直面した当事者には存在する。
2020-07-30 16:25:35つまり、「もしかしたら助かったかも」と想像することは止められない。 「あの人は死なずにすんだかも」 その上で、しかしながら 「仕方なかった」と思わねばやっていられない、という心の動きも当然発生する。
2020-07-30 16:28:02大切な人が判断ミスで死んだとは思いたくはないが、しかしもしかしたら「こうしていれば元気に笑い合えていたかも」とも思ってしまうものだからだ。
2020-07-30 16:28:50だから支離滅裂な心の動きが言語や行動として出力される。 このとき論理的な言動は為されない。 ごく少数の心的外傷を除き、これはやがて癒やされるものだが、感情的かつ感傷的にヒステリーを起こすのが人の心だ。 葬儀や慰霊は、生者をこそ癒すためのものだ。
2020-07-30 16:31:05その上で、AZUKI氏の説く教訓に対して、先に述べたとおり遺されたものは己の心に疑いのようなしこりが発生するものである。 「怠ったのではないか?」と。
2020-07-30 16:33:50そしてもう一つ、これは擁護というほど強くはなく、ただ書き留めておきたいこと。 AZUKI氏に読んでもらいたい部分はここだけ。
2020-07-30 16:41:16「過去に大津波の被害があったのに平野部や海沿いに住んでいる事自体が侮りではないのか?」というもの。 僕も、そう思った、いいや、思っていた。
2020-07-30 16:42:31(※現地マウントなど獲るつもりはないのだが) 現地に入った時、自分の頭が狂ったと思いましたよ。 あまりに巨大な堤体が、根こそぎ破壊されていた。 全てが、だ。 ぜひともこれは画像検索していただきたいが、 「僕は現地位入り前に画像で見て知っていた」
2020-07-30 16:45:35