「津波の教訓を、生き残った我々は生かすべき」を巡る|日0☆TK@kyuumaruTK さんの論考

2011年の東日本大震災と、2013年の幻の奈良大震災(誤報とされ実際には起きなかった)を巡る論考についての、|日0☆TKさんの補足的論考です。
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加藤AZUKI @azukiglg

青くなりました(`・ω・´) blueskyアカ取れました。 Threadsとかにもいます。

twilog.org/azukiglg

まとめ 【誤報から得る教訓を】 幻の奈良大震災誤報から思い出す津波の教訓とそれを不快に思う意見の邂逅について 【教訓より哀悼を】 幻の奈良大震災誤報から思い出す、東日本大震災の教訓について。 心配はしすぎてしすぎということはない。 可能性は幾らでも見積もって良い。 (対応に掛けられる予算には限界があるが) 逃げるか逃げないかの判断に迷うときは、とりあえず逃げてから無駄足を喜ぶくらいで丁度いい。 (ただし、避難が無駄足と気付いたらすぐに元に戻る、負担が最小になる方法に切り替えるということも重要だ) 備え、というのは須く「無駄になるのが喜ばしい準備」のことである。 備えを軽く見積もらなければ助かったかもしれない人達が、津波の規模を軽く見積もった(津波を侮った)ことで亡くなった。 そういう人達の死から、生き残った我々が学ぶべきことは大きい。 という、割と重要な訓戒から話がはじまりました。 我々は「生き延びた側」なのだから、この先も生き.. 51284 pv 682 43 users 24
|日0☆TK @kyuumaruTK

和菓子職人見習いを続けつつアルティメイタムOTAKU道をひた走るスーパーキモオタ。俗称おたべ。クルマはいいぞ。最近始めた趣味はSS書き mypage.syosetu.com/316594/

加藤AZUKI @azukiglg

【防災】【誤報から得る教訓を】 幻の奈良大震災誤報から思い出す津波の教訓とそれを不快に思う意見の邂逅について 【教訓より哀悼を】togetter.com/li/545938

2020-07-30 12:12:35
加藤AZUKI @azukiglg

幻の「奈良大震災」(2013)のときもそうだったけど、「システムの誤動作で警報が鳴らない」よりは、「システムの誤動作で警報が鳴るが実際には何も起きず、しかし万一に備えた行動がきちんと取れている」ほうがずっといい。

2020-07-30 12:14:40
加藤AZUKI @azukiglg

亡くなった人を悼む気持ちは当然持つべきだ。だが、その気持ちが「まだ生きている人が将来同じように亡くなるかもしれない可能性を、僅かでも減じるための言説」を封じ込めることに使われていいはずがない。不特定のより多数が生き延びる可能性を得るためなら不謹慎なんかクソくらえだ(`・ω・´)

2013-08-08 22:51:05
|日0☆TK @kyuumaruTK

いくつか、覚え書きとして纏めておきたい。 加藤AZUKI氏におかれましては百も承知のことと思うので、どうかご容赦いただきたく。 twitter.com/azukiglg/statu…

2020-07-30 16:18:34
|日0☆TK @kyuumaruTK

まず第一に、ヒトという動物は社会的動物であることと、正常バイアスを持つものであるということ。 この2点は、進化の途上でそうすることが播種に有利であるため残った。

2020-07-30 16:20:25
|日0☆TK @kyuumaruTK

まずは『周囲の意見や行動性向に迎合する』という性質。 集団の行動方針が拡散して群れを形成できなくするのを防ぐためのもの。

2020-07-30 16:21:28
|日0☆TK @kyuumaruTK

そして『大したことはない』と判断する性質。 これは、この性質を持たない種はやがて外向性を失い、播種・繁殖が頭打ちになる。 そしてこれは、失敗により当該の分割された群れが滅んでも全体としては播種は成功する。

2020-07-30 16:23:06
|日0☆TK @kyuumaruTK

そしてこの纏めで発生した近しい人を喪った人間の心の動きについてだが、(必ずしも合っているとは思わないが予想すると) 『何もできずに死んでいった』 『生き残ることができたが死んだ』 『行動し、生き残った』 という3グループが、事態に直面した当事者には存在する。

2020-07-30 16:25:35
|日0☆TK @kyuumaruTK

重要なのはこの時、 「仕方なかった」「でももしかしたら」という相反する心の動きが遺されたものには発生すること。

2020-07-30 16:26:35
|日0☆TK @kyuumaruTK

つまり、「もしかしたら助かったかも」と想像することは止められない。 「あの人は死なずにすんだかも」 その上で、しかしながら 「仕方なかった」と思わねばやっていられない、という心の動きも当然発生する。

2020-07-30 16:28:02
|日0☆TK @kyuumaruTK

大切な人が判断ミスで死んだとは思いたくはないが、しかしもしかしたら「こうしていれば元気に笑い合えていたかも」とも思ってしまうものだからだ。

2020-07-30 16:28:50
|日0☆TK @kyuumaruTK

だから支離滅裂な心の動きが言語や行動として出力される。 このとき論理的な言動は為されない。 ごく少数の心的外傷を除き、これはやがて癒やされるものだが、感情的かつ感傷的にヒステリーを起こすのが人の心だ。 葬儀や慰霊は、生者をこそ癒すためのものだ。

2020-07-30 16:31:05
|日0☆TK @kyuumaruTK

しかし、教訓を残すことは当然悪ではない。 何度もAZUKI氏が述べている通り、死を乗り越えて歩む事が生者には必要なのだ。

2020-07-30 16:32:20
|日0☆TK @kyuumaruTK

その上で、AZUKI氏の説く教訓に対して、先に述べたとおり遺されたものは己の心に疑いのようなしこりが発生するものである。 「怠ったのではないか?」と。

2020-07-30 16:33:50
|日0☆TK @kyuumaruTK

だがそれを暴くのは、残酷なことであると思う。 誰も彼もが強くはないのだから。

2020-07-30 16:34:18
|日0☆TK @kyuumaruTK

twitter.com/kyuumaruTK/sta… 繰り返すが、当然、教訓は必要である。

2020-07-30 16:34:49
|日0☆TK @kyuumaruTK

そしてもう一つ、これは擁護というほど強くはなく、ただ書き留めておきたいこと。 AZUKI氏に読んでもらいたい部分はここだけ。

2020-07-30 16:41:16
|日0☆TK @kyuumaruTK

「過去に大津波の被害があったのに平野部や海沿いに住んでいる事自体が侮りではないのか?」というもの。 僕も、そう思った、いいや、思っていた。

2020-07-30 16:42:31
|日0☆TK @kyuumaruTK

当然、防潮堤などで防備はしていたわけであり、結果それが足りなかった。 それは侮りでは?と、そう思っていた。

2020-07-30 16:43:18
|日0☆TK @kyuumaruTK

(※現地マウントなど獲るつもりはないのだが) 現地に入った時、自分の頭が狂ったと思いましたよ。 あまりに巨大な堤体が、根こそぎ破壊されていた。 全てが、だ。 ぜひともこれは画像検索していただきたいが、 「僕は現地位入り前に画像で見て知っていた」

2020-07-30 16:45:35
|日0☆TK @kyuumaruTK

それでも現地の堤防の残骸は、あまりに異常な光景だった。 「これは、仕方がない」そう思ってしまった。

2020-07-30 16:46:08
|日0☆TK @kyuumaruTK

その上で同時に『その堤防群が越水まで見事に猶予時間を稼いだ』事実も「僕は知っている」

2020-07-30 16:47:21