ワンピース・マリンフォード編終了後の展開へのy2k000さんの考察まとめ

なるほど! 見事な考察…勉強になる! 自分用まとめ
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y2k000 @y2k000

「ワンピース」:そういう風に、世界を広げるかー。ワンピの舞台というのは、「魔神英雄伝ワタル」みたいなモノなのだな。つまり、ゲーム的な背景でもある。

2010-04-21 00:39:11
y2k000 @y2k000

つまり、辺境の海→グランドライン→シャボンティ諸島→マリンフォード→新世界→(多分)ラフテルとなっている。この階層構造はゲームを思わせる。

2010-04-21 00:42:30
y2k000 @y2k000

で、ただゲーム的ではなく、ある種の階層構造としての必然があるわけだ。例えば、辺境の海軍→力のある海賊→海軍本部→さらに力のある海賊→世界政府→革命軍みたいな一連の営為の流れがある。ああ、この順は構造的にはまったく正確ではないと思うのだけど、一例として分かり易くするため書いてみた。

2010-04-21 00:47:05
y2k000 @y2k000

で、「白ひげ死す」の報が流れるのが、中枢、グランドライン、辺境と描かれて、そこでそれぞれが一報による波及の結果、ドラスティックな転換を迎えることが、様々に映し出される。

2010-04-21 00:49:59
y2k000 @y2k000

で、それら低きに流れるものとは違う、自身が一つのうねりとして存在するモノ達として海軍中枢や有力ルーキーたちがいて、バッドガイがいる。それから、世界政府が出てくるからには、革命軍だろう。こうして世界観が階層のようにステップアップしながらも、お遊戯っぽさがないのが素晴らしい。

2010-04-21 00:54:28
y2k000 @y2k000

言ってみれば、すでにワンピースはこの時点で世界の果ても射程に入ったわけである。ぶっちゃけもうストーリィを折りたたむ準備が始まったともいえるわけで、100巻きっちりで終わるのだ、といわれれば、なるほど、その通りだろう、と頷いてしまう。

2010-04-21 01:01:17
y2k000 @y2k000

いや、それってすごいよ。世界観の限界、舞台設定の見切りが出来上がっているってのは。実際。この手の大河モノって、あらかじめ限界を定めても、そんなんぶっちぎって踏みにじっちゃうわけじゃないですか。ベルセルクとかグインサーガとか氷と炎の歌とかファイブスター物語とか。

2010-04-21 01:05:01
y2k000 @y2k000

ワンピースの再確認を経て、終着点をきっちり意識させて、これから、今までしょっちゅう聞こえてくるけど、まるで全容の見えてこなかった世界政府と革命軍の意義付けが始まるわけですよ。実質、そこがこの物語の頭打ちなわけじゃないですか。

2010-04-21 01:08:48
y2k000 @y2k000

この、組織としての営為の最も大きく最も純粋な結晶体である二種の存在を通じて、社会の限界が描かれて、そこで、はみだしもの=自由人=海賊=冒険者としてのルフィが先達のゴールド・ロジャーにどのように肉薄し、また離れていくのか、それが楽しみでならない。

2010-04-21 01:12:02
y2k000 @y2k000

「ワンピース」の社会の分かりやすさ、というのは止揚に至らないまでも、寄せては返して、打ち消し合う波のような構図であるからなのだろう。国家と国家が、とか、思想と思想がぶつかりあって、という話ではない、基本的には殴りっこの話なんだけど。

2010-04-21 01:30:11
y2k000 @y2k000

その殴りっこでとーちゃんかーちゃんが泣く、どころではなく、街や国がどよめくわけである。この番長バトルというのは例えば、ファイブスター物語の騎士の戦争だったり、ストリートギャングによるヒップホップによる対決に近い。

2010-04-21 01:43:38
y2k000 @y2k000

つまり、フィクションにおける番長バトルというものは、国民皆兵としての戦争ではなく、そうした国民がその主体的関与においてほとんどかすらない、所与のものとしての戦争、貴族や傭兵、騎士が代表して行う代表戦のようなものではないだろうか。

2010-04-21 01:45:47
y2k000 @y2k000

番長バトルが、そのように戦争を弱めて描写しているとしたら、その理由というのは、無論、およそ「国民」が関わると書くことが増えすぎるから単純化するため、というのはあるだろう。

2010-04-21 01:54:46
y2k000 @y2k000

その辺、「国民」を描いた戦争フィクションといえば、最強の暴力映画である「プライベートライアン」でも見れ。

2010-04-21 01:56:04
y2k000 @y2k000

まあ、そういう意味じゃ、ワンピースがどういう風に世界政府、革命軍を書くかは見物ではある。「国民」を扇動しなければならない彼らの戦い、というのはルフィたちが演じる番長バトルとは明らかに相が違うわけで、この辺の落としどころの導き方が気になるところである。

2010-04-21 01:58:28
y2k000 @y2k000

この辺り、ワンピースの描かれる社会というのが、止揚に至らない波間のような世界であるというのに通じることで、つまり、民衆がいる大きな社会と海賊海軍のいる世界が接続しないのである。この辺が、ワンピがヤクザ映画的である理由付けにも繋がるのだけど。

2010-04-21 02:02:07
y2k000 @y2k000

そして、カタギを巻き込まない任侠モノが終わって、一般市民も巻き添えにする実録ワールドが幕を開いた今、「国民」のいる社会=世界政府、革命軍のステップに踏みだしたのは多分、偶然で片付けられないはずだ。

2010-04-21 02:04:58
y2k000 @y2k000

そうなると、ここまで白ひげ=ヤクザの組と海軍=警察の頂上決戦を「戦争」と呼んだのだけど、こうした強きもの、持てるもの同士がぶつかる戦いよりも、もっと巨大な殺戮舞台としての「戦争」(場合によっては、近代と冠のつく)がワンピースで開始されるのかもしれない。

2010-04-21 02:10:29
y2k000 @y2k000

つまり、それはジャンプなど少年漫画における代表的なバトル物の構造である番長バトル=スタンド(能力)バトルが、また新しい転換へと向かう予兆ではないのだろうか。

2010-04-21 02:13:39
y2k000 @y2k000

そういう意味では、「スティールボールラン」がバトルにおける精神性、信念の戦いを重視して、貴族的な様式美、モラルとルールに満ちた領域に向かっているのと、異なる岐路に立っているといえる。

2010-04-21 02:16:28
y2k000 @y2k000

まあ、個別論でいうと、「スティールボールラン」ではスタンドに明白に身体性が与えられており、これまでの精神のビジョンとしてのスタンドから変わっていたことが連載初期の頃から気になっていたのだけど、とりあえずジョジョについては話すと長いので、置いておく。

2010-04-21 02:18:19
y2k000 @y2k000

http://bit.ly/a7EcjS さて、もう少し付け足そう。明日早いのと、かなり眠いので、手短に。

2010-04-22 00:45:30
y2k000 @y2k000

番長バトルが、ストリートギャングにおけるヒップホップ対決や、ファイブスター物語における騎士同士の戦いに近い、というのは二種類の意味がある。

2010-04-22 00:47:04
y2k000 @y2k000

一つは、社会的に認知された段取りでありながら、積極的な参画ではなく、共通の認識をもつ内輪でのある種のルールが存在するということだ。そして、もう一つはそれを消費する大衆の「目」が存在する。そして、この目は、目でしかない、ということだ。

2010-04-22 00:52:09
y2k000 @y2k000

「目」は見る物をしばしば異化する。そして、社会と一定線を引いて断絶した番長バトルのエスカレートした延長線があり、その先鋭した姿が能力バトルではないか、という話。スタンドバトルがサスペンス的なゲーム性を深化させて、かつ精神の異形のビジョンであるスタンドを発明した、と考えている。

2010-04-22 00:56:56