文章を書く技術に関するつぶやきのまとめ
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文書の添削をしていると、「あー、これは全然いけませんなぁ。ドドーン(額にちびまる子ちゃんのすだれのような線がはいる)。」という認知と感情が瞬時に立ち上がる。ここでやってはいけない二つが、1) それを即そのまま伝えてしまう、2) 自分で全面的に書き直してあげてしまう、ということ。
2011-07-01 10:15:31「全然いけませんなぁ」の部分が、なぜ、どのようにいけてないのか、ロジカルに解きほぐして、本人やさらには第三者にすらわかるように解説。そして、どのような方向性で書きなおせばよいのか、のアドバイスを加える。そうすると、1つの文に対して、その5倍とかの分量のコメントになったりする。
2011-07-01 10:19:25.@tsuyomiyakawa よくドドーンな状況になるのですが、この全面的に書き直しが必要な状況の時にどう文章指導するか難しいですね。
2011-07-01 10:22:13これは、かなり頭のエネルギーと時間を消費する作業だが、これをやらない限り、添削されるほうの技能は上がらない。結果、自分のためにもならない。ドドーン、とくるとそれだけでたいへんなストレスで、コメントを考えるのもストレス。しかし、生産的なコメントができると気分もとてもよくなる。
2011-07-01 10:24:12とうことで、エネルギーと時間があるときは、できるだけそのようにしてます。ないときは、やってはいけない二つのことをやるようにしています(笑)。
2011-07-01 10:26:13そういう時は絶望的な気分になりますねw そういうときは、メンバー同士で添削しあってもらってから、僕に回すようにアレンジしてます。RT @atsushitoyoda: . よくドドーンな状況になるのですが、この全面的に書き直しが必要な状況の時にどう文章指導するか難しいですね。
2011-07-01 10:28:53.英文の添削ではさらにドドーンな状況になりますが、これは僕が全面改定するしかないケースがほとんどです。最近は絶望しなくなりました。慣れるんですねw。@tsuyomiyakawa
2011-07-01 11:25:03文章を書くスキルは一朝一夕にはいかないので、事実上あきらめるしかない場合も多いです。小中高、大学学部などでも地道に訓練していだたきたいところ。RT @atsushitoyoda: .英文の添削ではさらにドドーンな状況になりますが、..最近は絶望しなくなりました。慣れるんですねw。
2011-07-03 06:49:44日本では小中高での文章を書くスキルの訓練が不十分であると思いますが(日本語も英語も)、これはそれを鍛えても受験での結果に結びつかない、ということが大きいのではないですかね。この背景には、入試で文章力のようなものを採点するのが非常に難しい、ということがあると思います。
2011-07-03 07:13:35文章力・表現力のようなものは、客観的な採点が極めて困難で、採点には大きな時間と労力がかかるわけです。しかし、何らかの創造性のようなものを期待される職種では、表現力はとても大事。実社会では「客観的な採点」とかではなくむしろ主観的な評価が様々なものを決定することが多い。
2011-07-03 07:24:17暗記ものとか、公式や解法をおきまりの方式で使いこなす、というような能力も重要だとは思います。特に創造力を必ずしも必要とせず、正確にきちんと決められたことを遂行することが期待される職種(世の中を支えるとても重要な職種です)には必須の能力でしょう。
2011-07-03 07:31:34しかし直接的な文筆業でなくても、創造性を期待される職種、例えば研究者、企業のトップ(になることを期待される人)、起業家、国家公務員一種、政治家とかには、おそらく文章力・表現力のようなものはとても重要。日本でこの種の職につく人のための初等教育からの教育ルートをもっと整備する必要。
2011-07-03 07:39:59僕は院生の時に、東大の学部生の卒業論文を毎年3〜5人くらい補助していたのですが、あまりのレベルのものが毎年多く、年末年始は必ず完全返上で、添削->修正->添削-修正...と一人一人何回も何回もやるのが恒例になってました。当時院生ですからどの程度のレベルの添削だったのか心配ですが。
2011-07-03 07:46:33しかし、「こんなに強烈に添削してもらって文章を推敲したのは始めての経験です」といって有難がってくれた人も結構いました。このようなことを行うためには、そもそも学生の数が少数でないととても無理なのですが、工夫は可能だと思います。
2011-07-03 07:50:34まず、学生同士でやってもらい次に院生にやってもらう。そうすると完璧でないにせよ、かなりましになってくるので教官が添削を行う、と。でもやはりもともと少人数でないと厳しいので、学生が創造性を要求する職種に進むことが期待される大学や大学院は学生対教官比率を改善する必要があるでしょうね。
2011-07-03 07:55:51そういう大学では、学生もできるだけ少数であったほうがよいので、受験する人数ももっと少なくすればよいのでは。そうすれば、文章力のようなものの採点にかける労力も減るので。
2011-07-03 08:01:26文章力の採点が客観性にかけるという問題は残りますが、そもそも、創造力を必要とする職種に必要なものは客観的に判断できるようなものではないわけで。また、主観での判断がそれほどだめか、というとそうでもない。見識をもった教官が、文章からみて自分が欲しいと思う学生に高い点をつければよい。
2011-07-03 08:05:41国立大学の場合、税金で運営されているので、そういう採点では公平性に問題があるのでは、という意見もあるかもしれません。しかし、法人化されたわけですし、教官の主観で判断するくらいの自由度はあってよいかと。その意味でも法人化はもっと進めて私立化し、特色をだしていくのがよいと思う。
2011-07-03 08:08:39一部の大学がそういう入試を行うことによって、小中高や塾での教育も一部かわってくるでしょう。必ずしもすべての職種で創造力・文章力・表現力が必要なわけではないので、あくまでも「一部」だけでよいわけです。
2011-07-03 08:12:53日本の問題の一つは、何でも平等に同じにしてしまおうとする力が働き過ぎるということがあります。教育は、それぞれの人の個性に合わせて、柔軟に方法を変えることが重要ではないでしょうか。それは「ゆとり教育」についてもいえると思います。
2011-07-03 08:16:34しばらく前に、出身大学の研究室を訪ねてお世話になった先生とお話する機会があって知ったことなんですが、実は、僕は中学・高校と「ゆとり教育」を受けていたのだそうです。
2011-07-03 08:22:20というのは、その先生がかつて指導した学生で今成功している研究者(今、Max PlanckでPIをやっている)がいて、彼は僕の高校の1つ下の後輩なんですが、彼が自分の出身高校はゆとり教育だったんですよ、ということをその先生に世間話でいったらしい。それを教えてくださったというわけ。
2011-07-03 08:28:55僕や彼はもちろんいわゆる「ゆとり世代」より一つか二つ前くらいの世代です。しかし僕の出身中・高は国立大の附属で一種の実験校で、そこで実験的に先行して「ゆとり教育」をやっていたそうなのです。それが本当だとすると、われわれは「ゆとり教育」の実験対象だったということになるでしょうか。
2011-07-03 08:35:51その「ゆとり教育」の実験はなぜか「成功」という結論とされたのだそう。何を指標にしたのかよくわからないのですが。生徒のその後の追跡調査でもしたのでしょうか。まあ確かに知り合いでぼちぼち活躍している人は多いかもしれません。
2011-07-03 08:44:44