東海道五十三次「日坂 佐夜ノ中山」歌川広重:道のまん中に鎮座するのは、この地の佐夜ノ中山で山賊に殺された妊婦の霊が宿る「夜泣き石」。かたわらの石 … #浮世絵 #Ukiyoe #小夜の中山 edohanga.jp/fifty_three_st… pic.twitter.com/2CKtSo5c09
2015-07-01 19:55:12【学芸員と巡る!東海道五十三次の旅⑨】歌川広重「東海道五十三次 箱根 湖水図」岡田美術館が位置する箱根は東海道第10の宿場。難所として知られ、険しい山道が旅人を苦しめました。高くそびえる山を緑、青、黄、茶などの色で複雑に表現し、その奥に芦ノ湖と雪をかぶった富士山を描いています。 pic.twitter.com/G5rf3PebRl
2017-02-17 12:37:15ブログ更新。 天栄・湯本 でどやま物語 : 里山の性格とその変貌 史資料にみる山林利用の変遷 dedoyama.blog.jp/archives/10527… pic.twitter.com/pW7RcVHLSS
2016-02-26 20:00:49昭和初期の比叡山。草原・藪の中に点々とアカマツ。現在の京福電鉄八瀬比叡山口駅、ケーブル八瀬駅付近から望む。 pic.twitter.com/6XTEEe4qsn
2019-05-17 08:24:11おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その1 概略 - バッタもん... (50 users) bit.ly/1JUdEwn 19件のコメント b.hatena.ne.jp/entry/d.hatena… pic.twitter.com/BBaXj6UkmB
2015-09-05 04:46:09おじいさんは山へしばかりに −日本における森林の利用と破壊の歴史− その3 気候と植生と歴史 - バッタもん日記 dlvr.it/QZwX48
2018-07-09 15:02:02「実は、日本の森林は400年ぶりの豊かな緑に満ちており、山崩れは減少し、川の水も減り気味です。こういうと、誰もが信じられないと言うのですが、戦前や戦後すぐのころの写真を丹念に見ると、どこの農山村も背景の山は、いわゆる「はげ山」です。
例えば100年前に撮影された愛知県長久手町の写真を見ると、自然や環境をテーマにしたあの愛知万博の会場付近が、非常に荒廃しています。データを見ても、ここ半世紀の間、森林面積は変化していないのに、蓄積量(体積)は2倍以上に増えています。大半は人工林ですが、天然林も増えています。
江戸時代も山、特に里山に木はあまり生えていなかったと考えられます。左上の絵のように、有名な歌川広重の「東海道五十三次」に出てくる森は、下草が全然ないし、木はやせ地でも育つ松ばかり。広重に限らず、家茂の上洛図などさまざまな絵で、はげ山に近い情景が描かれていることを考えれば、これは決して技法ではなく実態だったのです。日本人は、木を資源、燃料として大量に使っていたからです。
明治政府は保安林制度や治山・砂防事業で荒廃地の復旧を行いましたが、国民の大部分は里山資源を必要とする農民であり、戦争もあって荒廃地は減りませんでした。そして戦後の資源不足で、奥山も大規模に伐採されました。」
太田猛彦・東京大学名誉教授
https://wedge.ismedia.jp/articles/-/1435?layout=b
水害の多発からニッポンの森林を考える wedge.ismedia.jp/articles/-/1435 新潟、福島両県を記録的な豪雨が襲った。相次ぐ水害をきっかけに、河川と深い関わりを持つ森林の実情について考えてみたい。
2011-07-31 13:32:04木材資源と文化財 isan-no-sekai.jp/report/5742 #文化遺産の世界 各方面からご批判を頂戴しそうな気もしますが、どうぞご一読くださいませ。
2018-12-17 12:29:44