
【英国紅茶の歴史 或いはイギリス人は如何にしてティーを愛するようになったか/前編】

【英国紅茶の歴史 或いはイギリス人は如何にしてティーを愛するようになったか/前編】 英国人の「紅茶好き」は夙に知られるところで、他の欧米諸国ではもっぱらコーヒーが愛飲されるのと対照を成します。 本稿では近代の社会・経済史を織り込みつつ、紅茶が英国を征服する過程を概観します。 pic.twitter.com/AKJc1WXSuN
2020-08-08 16:56:37

え?ロシアンティー? あれは、まあ…ちょっと毛色が違うのでまたの機会にでも。 pic.twitter.com/BYLM9ddskL
2020-08-08 16:57:07

さて、中世ヨーロッパの嗜好飲料と言えば、もっぱらアルコール類でした。様々な種類のビールやワイン、雑多な果実酒などなど。昼間から呑んだり、子供に飲ませることも珍しくなかったようです。 pic.twitter.com/6A8FYTcM7N
2020-08-08 16:57:44

やがて大航海時代を経て、西欧諸国がグローバルな交易網を構築すると、異国情緒豊かな飲み物が海原を越えてヨーロッパに齎されます。コーヒー、チョコレート、お茶です。 この三つの内、最初にイングランドに定着したのは、意外なことにコーヒーでした。 pic.twitter.com/vmtxLxesD4
2020-08-08 16:58:20

アラビア半島原産のコーヒーは、地中海貿易を介して16世紀末に南欧へ伝播し、17世紀の前半にはイングランドへ上陸を果たします。 一説によると、同国で最初にコーヒーを飲んだのは血液の循環を発見したことで知られる解剖学者のウィリアム・ハーヴェイであるとされます。1627年の事だったとか。 pic.twitter.com/uvUdiXeD8v
2020-08-08 16:59:00

1652年にはロンドン初のコーヒーハウスが開店。間もなくコーヒーは爆発的な人気を博し、英国ではヨーロッパに先駈けて喫茶文化が花開きます。人口50万人のロンドンには、1683年に3,000軒、1714年には8,000軒ものコーヒーハウスが営業していたと言われます。 pic.twitter.com/qxepjN9XAW
2020-08-08 16:59:37

なお、パリにおいては、最初のカフェが出来たのが1672年で(ウィーンはさらに遅れて1683年)、1788年に至っても1,800軒しかなく(当時パリの人口は60万人)、英国のコーヒーブームが如何に早く、そして激しかったかが分かります。 pic.twitter.com/vLHYfPxX61
2020-08-08 17:00:13

良く知られる通り、コーヒーハウス文化の担い手は新興の市民層でした。商業経済の発展と清教徒革命によって台頭した彼らは、コーヒーハウスに集い、商売に関する情報を交換し、政治について語り合いました。その意味で、コーヒーハウスは公共的な空間だったのです。 pic.twitter.com/O5xgUFHIPI
2020-08-08 17:00:58

既存の嗜好飲料である酒と異なり、コーヒーは飲んでも酔わないどころか、却って頭が冴えるので、真面目な話には好適でした。1杯分の代金、1ペニー(庶民の食費半日分)を払えば様々な情報が得られるので、コーヒーハウスは「1ペニー大学」とも称されます。当時の詩には次のような一節があります。 pic.twitter.com/uqgenIAKXs
2020-08-08 17:01:37

意見を異にする人々の熱気にむせかえる場では 言論の自由は許されてしかるべきもの それこそがコーヒーハウス なぜなら他のいったいどこで これほど自由に談ずることが出来よう
2020-08-08 17:02:16
隆盛を極めたコーヒーハウスですが、18世紀前半、忽焉と終わりの時を迎えます。8,000軒もあった店の数が、1739年には551軒に激減していることが、それを如実に物語っています。 その原因は、複合的なものでした。一つは、市民階層がコーヒーハウスに飽き、クラブ等に交流の場を移したことにあります。 pic.twitter.com/syTrw2uLl2
2020-08-08 17:03:22

また、18世紀前半、オランダがジャワ島で、フランスはカリブ海で、大規模なプランテーションによるコーヒー栽培を成功させ、安価なコーヒーが大量にヨーロッパに齎されたことも挙げられます。 pic.twitter.com/eDpAc0UokO
2020-08-08 17:04:05

これにより蘭仏両国ではコーヒーが愛飲されるようになる一方、アラビア半島南端のモカからコーヒーを輸入していたイギリスは価格競争に敗れ、嗜好飲料を茶に代替していくのです。熾烈な重商主義的貿易戦争が展開されていた当時、戦略物資を競合国に依存することは許されませんでした。 pic.twitter.com/BwoSmcLLmR
2020-08-08 17:04:51

また、詳細は後述しますが、内的要因によっても、茶の需要が高まっていました。 こうして、英国ではコーヒーは茶に敗退したのです。 ただし、まだ現代のような紅茶は登場していません。当時飲まれていたのは、東洋(主に中国)から輸入した緑茶や、質の低い発酵茶でした。 pic.twitter.com/kNovOR7uGq
2020-08-08 17:05:43

1690年代、英国東インド会社の輸入金額に占めるコーヒーの割合は8.1%、茶は1.4%でしたが、1750年代にはそれぞれ3.8%と22.6%になります。そして1760年代、茶の割合は39.5%に達し、最大の輸入品目にのし上がったのです。この頃、英国は欧州に輸入される茶の3/4を消費していました。 pic.twitter.com/MBsDYO1wBK
2020-08-08 17:06:32

こうして、英国ではお茶、欧州大陸ではコーヒーという、現代に通じる大まかな構図が出来上がったのです。 pic.twitter.com/3A9G7vQugg
2020-08-08 17:07:15

ここで一旦時間を巻き戻し、西洋人とお茶の出会いから、イングランドへの浸透の過程を概観しましょう。 お茶の原産地は言うまでもなく中国で、紀元前から飲まれていました。中国のお茶と言うと、私のような門外漢は烏龍茶を思い浮かべますが、現代でも主流は緑茶だそうです。 (消費量の7割程度) pic.twitter.com/Yy9dpUKI6w
2020-08-08 17:08:10

発酵茶が生まれたのは比較的最近で、15世紀頃とも言われます。中国の発酵茶は豊富なバラエティーがあり、発酵の度合いと製法によって、白茶、黄茶、青茶(烏龍茶はこれに含まれる)、紅茶、黒茶に大別されます。紅茶は専ら欧州への輸出用で、18世紀以降に生産が本格化しました。 pic.twitter.com/LFu7H0p0eF
2020-08-08 17:09:25

お茶を意味する言葉には、二つの源流があります。即ち、広東語の「CHA」と福建語の「TAY」です。 前者は主に陸路でユーラシアへ伝播し、インド(CHAI)、ペルシア(CHA)、トルコ(CHAY)、ロシア(CHAI)へ入りました。 pic.twitter.com/jBi0zwn4M3
2020-08-08 17:10:37

一方、後者(福建語の「TAY」)は十六世紀前半のポルトガル人の極東来航以降に、海路欧州へ渡り、オランダ語のTHEE、スペイン語のTE、ドイツ語のTEE、フランス語のTHE、そして英語のTEAになりました。 とは言え、欧州でも初めのうちは「CHA」系の表記が主流であったようです。 pic.twitter.com/veR96tqOgz
2020-08-08 17:11:34

ヨーロッパの文献で初めて茶について言及したのは、ヴェネチア人のジョヴァンニ・ラムージオが1559年に出版した「航海記・旅行記集成」です。ラムージオはこの中で茶を中国人が珍重する薬効のある神秘的な飲み物として描写していますが、茶はCHAIと記されています。 pic.twitter.com/kaaIMWPK62
2020-08-08 17:12:27

中国での布教活動に携わったポルトガル人宣教師ガスパール・ダ・クルスは、帰国後、1560年代に「中国の諸事に関する考察」を上梓します。これはアジアで実際に茶を飲んだ西洋人の手になる最初期の記録だと思われますが、中国の上流階級に愛されるこの飲み物は、CHAと書かれています。 pic.twitter.com/r0qukzmZGy
2020-08-08 17:13:12

時を同じくして、宣教師達は日本の「茶の湯」文化に接触します。ルイス・フロイスやアレッサンドロ・ヴァリニャーノは、日本の有力者が古びた茶道具を非常に価値ある物として大切に扱っていることを報告しています。 なお、いち早く茶を知ったポルトガル人は今でも「CHA」の語を使います。 pic.twitter.com/NmyZqXA76G
2020-08-08 17:14:07

ポルトガルに続いてオランダも東アジアに進出しました。探検家のヤン・ファン・リンスホーテンは、1596年に「東方案内記」を書き日本の茶文化を紹介しています。 「食後、彼らはある飲み物を飲む。それは壺に入った熱い湯で、茶(Chaa)と呼ばれる薬草の粉末で作られる。 pic.twitter.com/2So76ftv4r
2020-08-08 17:15:08

茶は非常に重宝され、彼らの間で非常に評判が良い。…(日本では)紳士が自ら茶を淹れ、友人を歓待する際にはその熱い湯を供する。…彼らは茶を淹れて飲む陶器の碗を、我々がダイヤやルビーなどの宝石を重んじるのと同じように大切にしている」 pic.twitter.com/aI4DEtx6Ep
2020-08-08 17:15:39