- xiongmao53
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【はじめに】
【アイヌ民族否定論への反論】 今春制定されたアイヌ施策推進法は初めて公式にアイヌを先住民族と認めたが、それに反対する勢力はネットなどに蔓延しており、彼らはアイヌの「先住」性を否定する為に、定説に反し、アイヌは13世紀頃に「初めて北海道に出現した」集団などとのトンデモをふりまいている
2019-12-27 20:49:05もとより、先住民族の国際概念は《〈近代〉国家が形成される段階で,〈未開〉であるとの偏見をもとに,民族としての存在と固有の文化を否定され,その伝統的領土とともに一方的にその国家に併合された民族集団》(世界大百科事典 第2版)を指すのであり(以下にリンクあり)➡note.com/oku3ma3/n/nf38…
2019-12-27 21:00:12決して「その土地に先に住んでいた民族」というものではない。よって、アイヌの来歴がどうであろうと、アイヌが先住民族であるという事実は1㎜も動かないのだが、やはり歴史的事実として、ネットにはびこるトンデモ説には反論していく必要がある。
2019-12-27 21:02:47《アイヌの来歴をめぐる定説》
【人類学面】 アイヌは続縄文期から擦文期に北来のオホーツク文化人の遺伝的影響を受けたものの、基本的に北海道縄文人の子孫である。
【考古学面】 北海道においては、考古学的文化は縄文文化→続縄文文化→擦文文化→アイヌ文化と連続的に遷移しており、続縄文〜擦文時代には北来の異民族集団・オホーツク人から様々な影響を受けたものの、ヒトの入れ替わりはなかった。
【悲報】アイヌ先住民族「否定」論者 《アイヌが縄文人の子孫である》ことを否定しようと、各種専門論文を紹介するも、その論文のことごとくは、《アイヌが基本的に縄文人の子孫である》ことを肯定(笑)
【ある否定論者の手法】 彼の手法として注目されるのは、専門論文の一節だけを抜いてきて、自己の主張を行い、あたかもそれがその論文に裏付けられているように印象づけながら、実はその論文の結論と全く正反対の主張をしていると言うことが挙げられます。
2020-01-04 15:17:00《その1 百々幸雄氏の著書に対するアイヌ先住民族「否定」論者の残念な「引用」》
ある否定論者が、アイヌが縄文人の子孫であることが否定されているかのように引用している百々幸雄氏ですが、氏の著書を読んでいけば、全然逆で百々氏が、アイヌは縄文時代以来ずっと北海道に住み続けてきた人々であると考えていることがわかります。
2020-01-04 15:18:46否定論者は以下の百々幸雄氏の『アイヌと縄文人の骨学的研究』(2015)189頁から、次の一文だけを取り上げて、アイヌが縄文人の子孫であることが否定されたかのように印象づけるのだが(笑)。
2020-08-09 15:54:20《筆者らが先に結論した“東日本縄文人→続縄文人→擦文人→北海道アイヌ"という単純な小進化モデル(Dodo and Kawakubo,2002)は成り立たなくなるわけである。》
2020-08-09 15:54:20《現在日本列島最古の住民として、その実像がかなり明らかにされているのは縄文時代人で、彼らは、今から1万3000年前から約2500年前までの1万年もの長きにわたって、日本列島で独自の文化を発達させてきた狩猟採集民である。大陸から稲作農耕文化を携えて渡来してきた人々が優勢になる弥生時代を迎え、彼らの時代はその幕を閉じるが、その血筋や文化伝統を多く引き継いだ人々が北海道のアイヌであることに疑いの余地はない。》
※百々幸雄『アイヌと縄文人の骨学的研究』(2015)ⅱ頁。
《民族としてのアイヌの成立はそれほど昔のことではなく、北海道では擦文時代に続く13世紀、すなわち中世鎌倉時代に、竪穴住居から平地住居に移行し、土器の使用をやめて鉄鍋や木製のお椀を用いるなど、いわゆるアイヌ文化が形成された以降のことである。だからといって、アイヌが中世という時期に突然現れたわけではない。 筆者らの研究によれば、アイヌの身体的特徴は、はるか昔の縄文時代まで遡る。国内外を含め、北海道アイヌと縄文人の身体的特徴に共通性があることを明らかにした論文は、戦後だけでも50編を下らないであろう。》
※百々幸雄『アイヌと縄文人の骨学的研究』(2015)59頁。
《アイヌ文化期以前、日本史でいう古代に相当する7世紀から12世紀にかけては、オホーツク海沿岸を除く北海道のほぼ全域に擦文文化が展開していた。東北地方の土師器の影響を受けた擦文式土器を使用し、カマドをもつ竪穴住居に住み、鉄製の農具など農耕民の文化を取り入れた狩猟採集民の文化と考える研究者もいる(瀬川、2007)。いずれにせよ、擦文文化がアイヌ文化の原型であることには間違いない。》
※百々幸雄『アイヌと縄文人の骨学的研究』(2015)70頁。
《核DNAのデータが蓄積されたときにはじめて、筆者らの形態学的な特徴を指標にした系統解析の結果の真偽が確かめられるのである。しかし、形態学者が100年以上の歳月をかけて明らかにしてきた、縄文人とアイヌの類似性を否定する結果はおそらく出てこないであろう。》
百々幸雄『アイヌと縄文人の骨学的研究』(2015)218頁。
《日本人の大部分は、縄文時代以来連綿として続いてきた土着の人々であった”という、長谷部言人氏や鈴木尚氏の学説が後退し、代わって、北海道のアイヌこそが縄文人の血を濃厚に受け継いでいる人々であるという学説が主流になってきたのは、1960年代以降の日本の人類学の成果である。これらの成果のほとんどは、小金井氏が収集したアイヌ人骨を研究資料としたものである。前述したように、近世アイヌが成立するに際してはオホーツク人との混血こそあったが、それでもアイヌの源流は北海道縄文時代人にまで遡るという見解が、今や定説になったといってよい。
筆者が札幌医科大学に赴任した45年ほど前には、アイヌは何百年か前に、どこか北の方から北海道に渡ってきた人たちであるなどと、まことしやかにささやかれていた。それが墓地の発掘や頭骨の計測によって、アイヌは、はるか昔から北海道に住んでいた在来の民であることが実証されたのである。》
※百々幸雄『アイヌと縄文人の骨学的研究』(2015)221頁。
これだけ、引用したら十分でしょうが、ある否定論者がいかに自分の都合の悪い記述を無視しているかがわかります(笑)。
2020-08-09 16:01:00某否定論者の百々幸雄氏に対する我田引水ぶり(笑)。 彼がドヤ顔で引用する 《筆者らが先に結論した”東日本縄文人→続縄文人→擦文人→北海道アイヌ”という単純な小進化モデル(Dodo and Kawakubo,2002)は成り立たなくなるわけである。》との 百々幸雄氏の記述ですが、➡
2020-01-04 15:28:51少し日本人起源関係の本を読んだ人なら、これは初期の二重構造説では、単純に縄文人の祖先とされてきたアイヌに実はオホーツク文化人の遺伝的影響があることがわかり、結果、従来の二重構造説に部分的修正が加えられたもので、決してアイヌが基本的に縄文人の子孫であることを否定したものではない➡
2020-01-04 15:30:40