緑十字機が飛行成功しなければ #日本列島は独・朝鮮半島のように連合軍とソ連に分断された 1945年8月15日玉音放送後 米軍は降伏受理協議の為に機体を白く塗り翼に緑の十字が書かれた飛行機に 降伏軍使を乗せマニラまで来いと日本軍に打電 pic.twitter.com/hSHOgH68qk
2016-08-15 11:58:01#必見・封印された緑十字機の歴史 昭和20年8月19日、米軍の指示で降伏受理協議の為 マニラの連合国司令部に派遣された代表団は 木更津から沖縄まで緑十字機で決死の飛行 帰路、燃料切れのため20日深夜 磐田市鮫島の遠州灘海岸に不時着‥ neonats.blog.fc2.com/blog-entry-252…
2016-08-15 21:24:1077年前の今日。1945年8月19日,沖縄・伊江島を経由し,正式降伏受理の打ち合わせのため,マニラに向かう日本の使節団。ニューラルネットワークによる自動色付け+手動補正。 pic.twitter.com/UEmekuiH6d
2022-08-19 06:00:08降伏軍使を乗せた緑十字機が 沖縄に到着していなければ 8月19日・東京に三回目の原爆が投下された その為の原爆用材料がマリアナ諸島でセットアップされてた 米国は12の原爆を 日本が降伏するまで 原爆攻撃を続ける計画だった ☛jp.sputniknews.com/politics/20150…
2016-08-18 20:18:14米国 日本にさらに12の原爆を投下する予定だった sptnkne.ws/AQn #米国 #広島 pic.twitter.com/16sBsTsMJO
2015-08-16 15:39:41「昭和20年8月20日夜半。静岡県磐田市の鮫島海岸に、飛行機が不時着した。終戦直後、マッカーサーの軍使派遣命令により、降伏軍使を乗せて飛行した日本海軍の一式陸攻機である。…」 ⇒岡部英一『緑十字機 決死の飛行』静岡新聞社 amazon.co.jp/dp/4783899568
2017-06-10 22:30:25「…マッカーサーの命令で、機体を白く塗り緑十字マークを表示していた。マニラでの会議を終え、一刻も早く結果を復命すべく、沖縄県伊江島を離陸し、夜間飛行で東京に向かった。しかし、復路の途中、磐田市の鮫島海岸に謎の不時着を遂げる。 緑十字機は何故不時着したのか。…」
2017-06-10 22:30:42「海軍OBが残した資料を手掛かりに、不時着機の副操縦士や搭乗員の遺族ら計7人をたどり、新たな証言や回想録を集めて回った。当時、軍使らの救護に当たった地元住民ら14人からも目撃談を得た。」 wing.cocolog-nifty.com/wing/2016/05/p…
2017-06-10 22:33:43「協議に行くのをいやがる降伏軍使の16名の人選、それを運ぶ搭乗員11人の人選、何とか動く飛行機一式陸攻4機を選び、復員して人員不足の中、何とか機体を白く塗り、日の丸部分は消し緑十字を描くことができた。8月19日、7時18分2機は囮として飛ばし、そして軍使等を乗せた緑十字機2機が木更津飛行場を離陸した。味方であった日本軍機、徹底抗戦を続ける厚木飛行隊に撃ち落されそうになる為迂回し、佐田岬付近では敵であった米軍戦闘機に護衛され沖縄の伊江島に着陸。13時30分軍使等16名は米軍機でマニラへ。8月20日、17時45分、軍使一行協議を終え伊江島へ戻る。一刻も早く本国へ知らせ受け入れ準備をする為1番機に主要メンバーを乗せ18時40分伊江島離陸。2番機はトラブルで修理をし翌日飛ぶことになる。1番機は燃料切れの為、23時55分磐田の鮫島海岸へ須藤大尉操縦の下、不時着する。奇跡的に軽傷のみで全員助かる。3時間ほど軍使一行滞在し、地元民も協力する。8月21日、7時浜松基地から軍使一行爆撃機飛龍で出発。8時に調布飛行場に着く。2番機は14時木更津飛行場に着く。」http://e-jan.kakegawa-net.jp/blog/blog.php?key=806785
神風が吹いた!
夕方5時頃マニラ着。夜の会談に先立ち受け取った討議題目の中に、先遣隊の本土進駐23日の旨記載あり。夜8時からの会談では23日の先遣隊の進駐の件と、併せて、厚木に進駐するという米側の強行な要求事項とで意見が合わず一旦この話は打ち切られる。同夜、先遣隊の進駐は26日に延期される旨決定された。
2020-08-24 22:53:32「八月二十五日至急連合国最高司令官発大本営宛電報
一九四五年八月二十日「マニラ」において日本国代表に対し提示せられたる『連合国最高司令官要求』文書八月二十六日及それ以後に定められ足る全日程は四十八時間延期せらるべし、繰り返す四十八時間延期せらるべし、回答を待つ
大本営発連合国最高司令官宛電報
天候のため一九四五年八月二十日「マニラ」において日本国代表に交せられたる『連合国最高司令官要求』中において八月二十六日及その後に定められたる全日程を四十八時間延期せらるべしとの八月二十五日至急電了承す」
「戦争中一度も吹かなかった神風がやっと吹いた。この窮境にあって四十八時間すなわち二日間の延期は、偶然「マニラ」で私が主張した日と合致することになったが、整備の為に苦心惨澹していた厚木基地にとっては思わず万歳を叫んだほどの朗報であった」
http://nagaikazu.la.coocan.jp/GHQFILM/DOCUMENTS/yokoyama1.html