女神の庭の殺人ゲーム1(#えるどれ)
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以下本編
この物語はエルフの女奴隷が騎士となり失われたものを取り戻すファンタジー 略して #えるどれ 過去のまとめはみやすいWikiからどうぞ wikiwiki.jp/elf-dr/
2020-08-19 21:28:35馬からはひどく懐かしい匂いがし、 黒の乗り手はいつもの用心深さを忘れてつい歩み寄った。だが二つの足はすぐ縮んで役に立たなくなり、両腕も身を起こすには頼りない短さと弱さになった。 もはや這うよりほかなくなった乗り手は、しかしなお鈍くさく前へ進んだ。
2020-08-19 21:32:49赤ん坊。 夢の中で黒の乗り手は赤ん坊になっていた。 這い這いをしながら懸命に馬に近づくと向こうは首を下げて顎を開き、白い歯を剥いてから、嬰児の首を覆う頭巾を器用に咥えた。 「ぁっ…ぁっ…ぅっ…ぅっ…」 小さな仔は宙で手足をばたつかせながら、何とも言えない声を出す。
2020-08-19 21:37:06闇色の獣はそのままのんびり歩き出した。 「ぅっ…ぅっ…ぁっ…ぁっ…ゃぃゃぃゃぃ」 蹄が刻む律動に合わせて、赤ん坊はおかしなままやきを続ける。 「たぃ」 やがて馬は大きな茸の上に嬰児をのせて、暗い色のしかし丸々とした頬を舌で舐めた。 「ぅーぅ」
2020-08-19 21:39:36いつしか六本指が伸びて黒の乗り手をまた抱き上げていた。 「ウィスト。あんたさんは、手前のしかけを大方解いちまいましたね」 「ぁ…ぅ…うー…」 「呪いがそうさせたのか…いいやそうじゃねえ…」
2020-08-19 21:41:53黒い馬はもはやどこにもなく、怪しげな笑みを浮かべた青年が慣れた手つきでウィストと呼んだ仔を抱いて、背を軽く叩きながら歩き回っていた。 「あんたさんが手前に勝ち、手前があんたさんに負けた。それだけのことでさあ」 「んま…ん…ま…」 「初めっから勝負は見えてましたがね」
2020-08-19 21:45:08六本指の男はしがみつく嬰児をあやしながら、さきほどの茸の椅子に座り込む。楽しげな眼差しは、いとけないかんばせにそそいだままだ。 「おしめを替えながらした話を覚えてますかい?」 「ぅ…ぅ」 「そうですかい。手前は幾つかやり残したことがありまさあ。誰だってやり残したことだらけですがね」
2020-08-19 21:47:33青年はちょっと口を噤むと、抱いた相手を高く掲げ、左右に振ってからまた降ろす。 赤ん坊の方はふんふんと鼻で息をしてから、小さくにっこりと笑った。 「一つは木の園丁の姐さん方のこって」
2020-08-19 21:50:23「えぅ」 「そうそう。ウィストのお気に入りのね。むかしむかし、妖精上王アルウェーヌの御世のこと。へへ、こいつは世の中が収まるべきところに収まり、のんびり豊かだった頃って意味でさあ。王の数多い友のうちには、木の牧者なる一統があった」
2020-08-19 21:52:43「あうあう」 「そーそー大きくておっかねえ…でも気のいい旦那さん方で…木の牧者はそろって雄木、まあ女っけってもんがなかった。でも初めからずっとそうだったって訳じゃあねえんで。昔々には木の園丁って姐さん方、雌木もいたんでさあ」
2020-08-19 21:55:08「手の入らぬあるがままの森を愛した木の牧者に比べ、木の園丁はよく手入れの行き届いた美しい庭を好みやした。だもんで雄木と雌木とは別々に暮らすようになり、旦那さん方は深い樹海の奥へ引きこもり、姐さん方は葉と枝の天蓋を出て開けた荒れ野の国へと去っていったって話でさあ」
2020-08-19 22:01:03六本指の青年は馬そっくりに鼻息を吐くと、神妙に聞き入っている嬰児の頬を軽くつついた。 「ぷっぷ」 「へへ。ぷっぷ、ですかい。退屈しちゃいねえでしょうね?そいじゃ…先を続けさせてもらいましてと」
2020-08-19 22:04:16「その後、木の園丁がどうなったのか誰も知らねえ。荒れ野の国の人間に伝わる農芸の技の幾許かは、妖精じゃなく木の園丁から教わったとか、荒れ野の国のどこかには木の園丁が築いた古い庭があるとか…昔の連れ合いだった木の牧者の方は気を揉みましてねえ…妖精上王に行方を捜してくれと願った」
2020-08-19 22:06:30「だが妖精上王の千里眼を持ってしても、木の園丁の行方は知れねえんで。ひょっとしたら、上王の御世よりちょいと前にあった光と闇の戦のさなか、闇の女王が光の側にいる木の園丁をみんな炭にしちまったのかもしれねえ。そのぐらいのこたあやりかねねえお方ですからね」
2020-08-19 22:08:50青年は常より一指多い手で頬杖をつきつつ、膝にのせた嬰児の腹をくすぐる。 ウィストと呼ばれた仔はまじめくさった表情のまま、お義理のように手足をゆるやかに回して、相手の玩弄に反応をしてみせた。 「でもそうじゃかったら…手前もちょいと木の牧者の旦那さん方には借りがある…」
2020-08-19 22:12:03「妖精上王があらゆる善き魔法を連れて西の果てに去る際、木の牧者も連れてゆかれたそうでさあ。至福の地から浮島が一つ、狭の大地の西岸まで漂ってきて、森の一番高い木と同じぐらいのっぽの旦那さん方をみんなのせていった」
2020-08-19 22:14:43「狭の大地で生まれたものを至福の地に連れてくのは規則違反ですがねえ。何かってえと別の島をこしらえて、至福の地のそばに浮かべて、ここは別の大地だってんで、規則の穴を突くのがおなじみのやり口で」
2020-08-19 22:17:08「ですがねえ…浮島に森となって居並んだ木の牧者は最後まで東へ、生まれ育った故郷の樹海や、木の園丁が去っていった荒れ地の国へ向けて、緑の葉の茂る腕を伸ばして別れを惜しんでたそうでさ。天地開闢の昔から狭の大地で暮らしてた木の牧者からすりゃ、すべてを捨て、失うようなもんで」
2020-08-19 22:20:51「手前はその場に居合わせた訳じゃねえ。後から聞いた話ですがね。木の牧者の旦那さん方への借りと考え合わせるとちょいと落ち着かねえ。それに、狭の大地を森が埋め尽くしていた頃、すべての緑なすものの王として君臨していた方々が、至福の地じゃ立派な作りとはいえ浮島に押し込められてるなんざ」
2020-08-19 22:25:57「あんまり気の利いた話でもねえんでさ」 「ぁう」 今度は赤ん坊の小さな掌を突つきながら、うろんな笑みを浮かべた青年は先を続ける。 「もし…木の園丁の姐さん方を見つけて、姐さん方が昔の連れ合いとまたよりを戻す気になって、そいで西の果てにいって仲睦まじくなりゃ、実が結ばれる」
2020-08-19 22:28:27「結んだ実は、ひょっとしたら浮島じゃなくて至福の地の本土に根付くかもしれねえ。そうすりゃ生えてくる苗木は至福の地で生まれたものってことになりまさあ。木の牧者や木の園丁の子等は西の果てのどこまででも広がっていける。失った故郷の埋め合わせになりゃしねえが、そんでも森は続く」
2020-08-19 22:32:26青年はまた長広舌を止めて、じっと赤ん坊に見入った。 「どうでさ。ひとつ力を貸しちゃくれませんかい。手前ひとりじゃどうにもうまくいかねえんで」 虹の輝きが六本指の間から漏れ出て、やがていつのまにか少女と紛う少年が男の膝に円かな尻を載せ、向かい合う形で座っていた。
2020-08-19 22:35:23ウィストは上目遣いをする。 「お父さん…あのね…いいの?」 「この通り。手前からお願いするんで」 「でも…普通に…普通の人間になって…生きなきゃって…思って…できなくて…普通って…すごく…難しくて…」
2020-08-19 22:37:03