河合隼雄のことば

河合隼雄のことば
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河合隼雄のことば @hayaokawai

夫婦の関係を縁と見るか、契約と見るかは意見の分かれるところである。私は割り切って考えず、この両者の要素が混在していると考えている。したがってそれは複雑であり、また味の異なるおもしろさを提供してくれる。

2011-07-06 08:17:33
河合隼雄のことば @hayaokawai

(9) ほんと、心をのぞきこまれて、あそこがおかしいとか、ここが変だとか、それをやられると、子どもはもう怖くて、たまったもんじゃないですからね。「相手の入ってきた入口で、すっと対応して、詮索せずに帰らせてくれる人」っていうのかな、これが「ふーん」の人(笑)。

2011-07-05 22:58:29
河合隼雄のことば @hayaokawai

(8) そんな時、その子に、それ以外にも問題がいろいろあるのがわかっていても、その子の出した訴えだけぴしっと受けとめて、それ以上は詮索しない、ということをきちんとしかも自然にやっておられるのです。

2011-07-05 22:58:10
河合隼雄のことば @hayaokawai

(7) 言ってみれば、「ここにグリグリがあるよー」というのは、その子にとっては、コミュニケーションの通路になっているんですね。(もたれていったら、よしよしと受けとめてくれる)、そういうふうにして欲しいというサインを出している。

2011-07-05 22:57:55
河合隼雄のことば @hayaokawai

(6) つまり、その子にとっては、「体のことを訴えて、優しく聞いてくれる先生 ― つまり、お母さんに近い人 ― のそばに行く」ということが、ものすごく大事で、その子の救いになっているわけです。

2011-07-05 22:57:22
河合隼雄のことば @hayaokawai

(5) こんなに不安がるのは何故だろう?などと原因をさぐろうとして、「あんたのお父さん、どんな人?」とか「友達と仲良くやってる?」なんて聞いたら、その子はもうその先生のところへ来なくると思います。

2011-07-05 22:57:02
河合隼雄のことば @hayaokawai

(4) そこで、お医者さんへ行ったりもして何でもないとわかったんだけど「お医者さん、隠してるんじゃないかなあ」なんてね(笑)、それを何度も繰り返すんです。そん時、この先生は「大丈夫よ」と言うだけに、とどめておられるんですね。こんな場合「それ以上しない」ということが大切なんです。

2011-07-05 22:56:44
河合隼雄のことば @hayaokawai

(3) ある養護教員の先生の話ですが、ある子がしょっちゅう体の不調を訴えて、その先生のところに来るんですね。「ここにグリグリが出来て、おかしいよー」なんて言って。先生がよしよしと言って調べて、「大丈夫、なんでもないよ」と言うと帰るけど、また翌日「やっぱり変だよー」と訴えてくる。

2011-07-05 22:56:20
河合隼雄のことば @hayaokawai

(2) でもね、何度も言いますが、この「ふーん」も難しいですよ(笑)。ふーん、にとどめきれずに手を出したくなる。

2011-07-05 22:56:01
河合隼雄のことば @hayaokawai

(1) 人になまじ忠告やアドバイスをもらうより、「ふーん、ふーん」とただ聞いてくれる人がそばにいてくれる方が、悩みの解決になったりするものです。カウンセリングという仕事も、いうなれば、この「ふーん」を引き受ける人とでも言いましょうか。

2011-07-05 22:55:39
河合隼雄のことば @hayaokawai

ぼくのできることは「いつかは解けるはずだ」という一種の信念と、実際に解けるのを待つということだけですね。あとは氷が解けるのとぼくの命が果てるのとどっちが早いかというぐらいのことでしょう。

2011-07-05 08:02:49
河合隼雄のことば @hayaokawai

(2) そりゃ直るかもしれませんよ。でも悪いところを直すのに15年かかるんだったら、よいところを1か月で開発した方がトクでしょう。悪いところを直すのに、えらい苦労していやな思いして ― 結局そんなに変わらないのだから。

2011-07-04 22:59:06
河合隼雄のことば @hayaokawai

(1) 自分の持っている器量とか決断力とかを、もっと信じなきゃ。信じて開発しなきゃ。あっちこっちからの情報で、人とくらべて自分はダメなのだと、悪いところばかり目につき、悪いところを直そうとしすぎるのと違いますか。悪いところなんて直るはずがないんだから(笑)。

2011-07-04 22:58:54
河合隼雄のことば @hayaokawai

分析の過程を記録する際に、夢のことを書くのはものすごくむずかしいです。というのは、特定の個人にとって非常に大きい意味を持っていても、なかなか万人共通にいかないでしょう。だから、特定の個人にとって非常に大きい意味を持ったことを普遍化し得る人、それが芸術家だとぼくは思うんです。

2011-07-04 07:50:57
河合隼雄のことば @hayaokawai

(21) つまり、この頃の親というのは、出来る人が多すぎるんです。先生でも、親でも、この子にしてあげよう、ああしてあげよう、次にこうしてあげようと考えることが多すぎるわけで、むしろ、茫然自失した姿に親の姿を見たということは、現代社会のひとつの様相を示していると思うんです。

2011-07-03 22:45:44
河合隼雄のことば @hayaokawai

(20) そして、おもしろいのは、お母さんが、そこでテキパキと、その子の前で働いたんではなくて、その子の前で何もできなくなったときに、子どもは感激したということです。

2011-07-03 22:45:22
河合隼雄のことば @hayaokawai

(19) この少年が親に、あるいは、先生に訴えたかったのは「お母さんが考えている一筋の道を私は歩んでいるんではない。人生の筋というのは非常にたくさんあるんだ」ということだったのではないでしょうか。

2011-07-03 22:45:03
河合隼雄のことば @hayaokawai

(18) というのは人間が生きるということの、根本が関係しているからです。しかし、ここで申し上げたいのは、だから「非行」は素晴らしいなどということではありません。この少年が盗んでよかったなんて言うのは、やはりまちがいで、盗まないでよかったらもっといいんです。 -略-

2011-07-03 22:44:47
河合隼雄のことば @hayaokawai

(17) ただし、ここで、この少年を教育者として表彰しようなんて思わないのは、この少年は盗みをしたからです。それで、非常におもしろいのは、私のような見方をしますと、ほとんどの「非行」は、ある意味では、非常に素晴らしいものです。あくまで、ある意味でですけれども・・・。

2011-07-03 22:44:23
河合隼雄のことば @hayaokawai

(16) お母さんに「お母さんの思っているように、人間が生きることは筋が一本なものではなく、私が本当に生きるかぎりにおいて、お母さんは一歩も私の前へ進むことはできない」ということを教育したすごい力が、この子どもにはあると思うんです。

2011-07-03 22:44:05
河合隼雄のことば @hayaokawai

(15) こういうのを見ていると、私は、この子が「非行」少年になった、あんないい子が盗むようになって、「非行」をするようになったと言いたくはありません。一番言いたいのは、この子は、お母さんを教育するために、何と頑張ったんだろうということです。

2011-07-03 22:43:45
河合隼雄のことば @hayaokawai

(14) そのときにお母さんはその子にとって一番好きなお母さんになっていたわけです。なぜなら、子どもの前に自分の全存在をかけて、「あんたもわからないの。私もわからない」というところまできて、初めて親と子であることを実感するわけです。

2011-07-03 22:43:26
河合隼雄のことば @hayaokawai

(13) 少年はお母さんの路線に沿って、ずっと行っていたんだけれども、僕だってこっちへ自分で行けるんだということを示したときに、お母さんが茫然自失して止まってしまい「私は先回りできない」ということを示したのです。

2011-07-03 22:43:06
河合隼雄のことば @hayaokawai

(12) これでは、この少年は、生きたことにはなりません。生きているということは、自分の道を歩むということです。だから本当に一人の人間が、自分の道を歩もうとするときに、そんなに他人が先回りすることはできない、と私は思うんです。 -略-

2011-07-03 22:42:41
河合隼雄のことば @hayaokawai

(11) 今も言いましたように、人間というのは、単純な尺度が決まっているときには先回りができるわけです。私がA地点からB地点へ行くことが決まっていると先回りできます。何々中学、何々高校、何々大学、さらに何々会社、そして死ぬときは、どうか知りませんが、とにかく、そういうことです。

2011-07-03 22:42:26
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