科学と哲学のあいだ

科学と哲学は相容れないものなのか?哲学の歴史を振り返れば哲学と科学の興味深い関係性が見えてきます。 ここでは大学で哲学を学ばれている ceno_sougou(セノにゃん)さんにその大まかな流れを解説していただきました。
人文 カント ローレンツ ドーキンス 科学 ダーウィニズム 哲学 ポスト構造主義
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ピピカソ(右足破壊) @e03122008
かつて科学と同義だった哲学は今や科学に再吸収されつつある。というのがわたしの考え。
セノにゃん @ceno_sougou
再吸収というより下剋上ですが RT @tashirotakahiro: かつて科学と同義だった哲学は今や科学に再吸収されつつある。というのがわたしの考え。
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
@ceno_sougou はじめまして!そうですね。その通りだと思います。
セノにゃん @ceno_sougou
哲学はWhat is itで科学はWhat does it。同じ対象に対して哲学と科学の両方が成立しうる。 例えば万有引力という「物体の運動」の法則を示すのが科学だけど、引力は大地の力であるとか物体に備わった特性だとか神様の力だとか解釈していたのが哲学。
セノにゃん @ceno_sougou
哲学はあらゆる学問の母体だよ。科学だって哲学から生まれたんだし。 理工学や医学とかは学問じゃなくて実践の要素が強いから哲学から生まれたとは言えないけど。
セノにゃん @ceno_sougou
@tashirotakahiro まあ、いずれにせよ現代の哲学はもっと頑張るべきです。アインシュタインは「人間の理解は現代の科学についていけてない」と言っているし、哲学は未だにクオリア問題みたいな近代哲学の亡霊すら解決できてないのですから。
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
@ceno_sougou そこは140字のツイートではとても難しいでしょうね!大変興味深いのですが!
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
セノにゃんさんがふってくださった話題は何時間でもつぶせてしまう恐るべきトークテーマ。
セノにゃん @ceno_sougou
@tashirotakahiro 唯心論という、観測とか客観性とか因果関係を「見かけ上のもの(現象)」にすぎないとする、とっても強力な立場があるんです。また哲学は、科学が観測から導いた結論は、論理的に証明されたものではなく、究極的には経験則にすぎない、として批判しています。
セノにゃん @ceno_sougou
@tashirotakahiro 正確には哲学はではなく哲学の一部の立場は、でした。すみません。 しかし、そういう立場が未だに根強く残っているというのは心苦しいかぎり。
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
一時期(アメリカでしたっけ?)心理現象もブラックボックス化して問題を先送りしたことがありましたよね。インプットとアウトプットだけ見ようよ、みたいな。それを科学技術で確認しようとしているというのがもうSF的でして、いい時代に生まれたなあ、と(笑)。 RT @ceno_sougou
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
思い出した!行動主義心理学だ!
セノにゃん @ceno_sougou
@tashirotakahiro そういう流派が哲学の中で一大勢力を築いている限り、哲学と科学は解離するばかりなんです。
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
ブラックボックス(意識や主体)という本丸に切り込もうとしている恐れ知らずの科学!
セノにゃん @ceno_sougou
@tashirotakahiro 心は科学では解明できない、とするのが主流のようです。電子回路を流れる電気信号の束をいくら分析しても、パソコンが何をする機械なのかまったく分からないのと似ています。少なくとも、どの電気信号がどういう風に言語に対応しているのかを知っておかないと。
セノにゃん @ceno_sougou
@tashirotakahiro しかし、特に哲学はそれじゃまずいんです。本来は他の学問の面倒を見る(あるいは補佐する)ジェネラリスト的な学問なので。
セノにゃん @ceno_sougou
@tashirotakahiro うーむ、鏡面問題とはちょっと違う気もしますが……いや、実は関係しているのかもしれませんね。 僕が思っていたのは丁度、「科学では心は解明できない」が「鏡は左右を反転させる」と同じように思い込みである可能性がある、ということなのです。
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
@ceno_sougou あ、ごめんなさい!間違いました。カントの『純粋理性批判』を受けてローレンツが執筆した『鏡の背面』でした(恥)鏡面を見てても鏡の裏は見れないみたいな。お恥ずかしいです!
セノにゃん @ceno_sougou
@tashirotakahiro ああ、なるほど。しかし、鏡の背面は単なる比喩に過ぎませんからね。比喩と現実は当然、違う可能性もあります。
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
もちろんです。科学者の方が比喩を極力避けるのはそこでしょうね。ただ4枚カード問題の教訓として比喩自体の意味を考える必要も出てきますよね。 RT @ceno_sougou ああ、なるほど。しかし、鏡の背面は単なる比喩に過ぎませんからね。比喩と現実は当然、違う可能性もあります。
セノにゃん @ceno_sougou
比喩は人間の直観に喝を入れるきっかけだと思っています。共通する構造を持つ別のものを提示することによって、共通点である構造を強調する役割が。 RT @tashirotakahiro: 科学者の方が比喩を極力避けるのはそこでしょうね。ただ比喩自体の意味を考える必要も出てきますよね。
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
そのプロセスにおいて誤差というか齟齬が出てしまう、と。 RT @ceno_sougou 比喩は人間の直観に喝を入れるきっかけだと思っています。共通する構造を持つ別のものを提示することによって、共通点である構造を強調する役割が。
セノにゃん @ceno_sougou
それこそ比喩的にいえば、筋肉を見せたいのに贅肉も一緒くたになってしまうので、趣旨が伝わらない危険がありますね。 RT @tashirotakahiro: そのプロセスにおいて誤差というか齟齬が出てしまう、と。 RT 比喩は共通する構造を持つ別のものを提示して構造を強調する役割が。
ピピカソ(右足破壊) @e03122008
ですね・・・リチャード・ドーキンスの概念を取り巻くゴタゴタを見ていれば分かります(苦笑)。特に遺伝学的に人間の気質をとらえる研究などは一般に発表する際、その点を重々注意する必要がありますね。 RT @ceno_sougou 趣旨が伝わらない危険がありますね。
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コメント

セノにゃん ⋈ 我々はゴジラと山田太郎を応援しています ⋈ @ceno_sougou 2011年7月6日
補足:科学と哲学の関係についてはバートランド・ラッセルの『The problems of philosophy』(邦題『哲学入門』)第15章も参照。以下引用。 “確定した成果が得られるようになると、とたんにそれは「哲学」とは呼ばれなくなり、独立した一個別科学になる、(中略)ニュートンの偉大な著作は、「自然哲学の数学的諸原理」と題されていたのである。”
ピピカソ(禁断症状) @e03122008 2011年7月8日
見づらいようなので原文ままにしました。
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