- arishima_takeo
- 912
- 3
- 0
- 44
「祖母は大きな声は出なかった、と言うより、出せなかった。食事時、お膳を囲んでの会話に不自由することはなかったが、いつも声は小さく、くぐもっており、いくらか低い音調であった」(奥村直史『平塚らいてう』)。へぇー。
2020-08-29 15:52:26「祖母は気分転換に散歩に行くということもない。買い物に出る祖母の姿を私は思い出せないのだ。庭にもほとんど出なかったように思う」(奥村直史『平塚らいてう』)。原始女性はソーシャルディスタンスじゃん。
2020-08-29 15:59:14「自分の向かうべき方向が未だ見出せぬ思いを抱いて生活していた明に、生田長江は再三「女ばかりの文芸雑誌の発行」を勧める」(奥村直史『平塚らいてう』)。へぇ、きっかけは長江だったのか。
2020-08-29 18:43:45平塚らいてうの夫・奥村博史は、その人生においてほとんど勤めに出ず、指輪づくりや絵描きなどをしてずっと過ごしたそうだ。そんなんでいいのかと思うが、そんなんが良かったそうだ、らいてう的には。
2020-08-29 19:08:58「大学へ入って、英語の授業でジョージ・サンタヤーナを読まされたが、その時の磯野先生は哲学科の先生で、英語の解説を外れて坪内逍遥や、田中王堂や、阿部次郎の話にも触れるのだった」(奥村直史『平塚らいてう』)。この磯野先生って磯野友彦さんかな?
2020-08-30 10:42:28「一方で若者からは「らいてうの会って、野鳥の会ですか?」という声も聞こえてくることも事実である」(奥村直史『平塚らいてう』)。笑った。
2020-08-30 10:47:54祖母は、私にとっては、「太陽」のような煌びやかな存在ではない。熱さも感じられない。とはいえ、「蒼白い顔の月」ではもちろんない。むしろ、無言にかすかな光を放ち続ける、小さな星のような存在であった。by奥村直史『平塚らいてう』
2020-08-30 10:53:56奥村直史『平塚らいてう』読了。らいてうのお孫さんによるらいてう伝。木村洋がTwitterで勧めていたので読んでみた。面白かった。お孫さんは心理療法士をやっていたそうで、所々に心理学的・精神分析的な診断・考察が入るのが大きな特徴。
2020-08-30 10:57:32平塚らいてうは嫁と同居して以降は家事の一切をお嫁さんに任せきりにしていたらしく、そこはやや釈然としないものを覚えた。家制度に反対していたフェミニストが遊び人の夫に批判するわけでもなく、同じ女性に支払われない労働を押し付けるのか、みたいな。
2020-08-30 11:01:04