子どもの世話で登校できない友だちも学校に来れる仕組みを提案したら、大人たちにもみ消された思い出とその40年後の再会の話

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宮前ゆかり @MiyamaeYukari

子供の頃の思い出。中学2年と3年の時にとある漁港の町に転校した。図書館や美術館に通う北欧的な都会札幌の生活とは大きな違いで戸惑ったけれど、海の波の音が聞こえ夜は満天の天の川が見える高台の家に住み、短波放送で海外の音楽を聞いて自分の世界に没頭した。友達もたくさんできて幸せだった。

2020-08-30 08:48:57
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

クラスの大半は漁師の子供達で高校進学を考えておらず、卒業したら漁師になるか、地元で就職する子供達ばかりだった。鰊の漁の季節になるとクラスの男の子たちのほとんどが一人前の漁師として漁に出て欠席、女の子も漁師の父母を助けるために欠席、クラスはガラガラになった。

2020-08-30 08:57:23
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

中学生でも漁に出れば一人前の稼ぎがある。彼らの顔は自信に満ちていて「大人」の顔だった。都会育ちのわたしには不思議な顔だった。そしてそういう男の子たちに恋をする女の子たちが妊娠して学校に来なくなることもしばしばあった。中退してそのまま家庭を持つようになったのだろう。

2020-08-30 09:02:28
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

ある日、仲良しの友達のお父さんが海で亡くなるという事件が起きた。その子には生まれたばかりの妹がいた。一家の稼ぎ手を失ってお母さんが働きに出かけなければならないため、友達は家で赤子の妹の世話をしなければならなくなり、学校に登校できなくなった。

2020-08-30 09:07:03
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

わたしはその頃「生徒会副会長」だったので、友達が学校に赤ちゃんを連れてくればみんなで交代でオシメを替えたり、子守することができる、ということで、ホームルームでその計画を提案した。仲良しグループの友達は賛成してくれて交代制の子守に参加すると言ってくれた。

2020-08-30 09:12:28
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

ところが先生たちは学校のスケジュールを守らなければならず慌てふためいたらしい。クラスで説得しても生徒会で話してもわたしは妥協しなかった。母に電話がかかり、わたしが受け付けなかったので父にも苦情がいった。しばらくいざこざが続き、わたしの知らないところで大問題に発展していった。

2020-08-30 09:20:46
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

わたしの主張は「中学校教育は義務教育なのだからみんなが授業を受けられるように体制を整えるのが民主的教育のあるべき姿である」というものだった。そうすれば妊娠して中退した子達も中学を卒業することができるではないか。当たり前だろう、という主張で、反対が強まるほど意見を通そうとした。

2020-08-30 09:23:45
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

だんだん問題が大きくなり、わたしが助けたいと思っていた大好きだった友達もだんだん気まずくなり「もういい」という気持ちになったようだった。そしてある日漁師の男の子たち数名がわたしの帰り道に待ち伏せしていて「おい、お前は都会っ子だからわからないんだ、あまり騒ぎを大きくするな」と脅した

2020-08-30 09:30:49
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

その後教頭先生にも呼び出されたり、かなりのドラマがあったらしいが、あまり覚えていない。覚えているのは、ある日朝礼会で「わたしは間違っていました。ごめんなさい」と全校の生徒を前に謝るように言われたことだ。謝ったことだけは覚えている。

2020-08-30 09:36:56
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

子供として心が傷ついたことは確かで、その頃からあまり発言などもしなくなったように思う。まあ、両親も大変だっただろうと、今なら想像できる。当時は「民主教育」なるものを実践している情熱的な先生たちがいたので、彼らなりに提案についてあれこれ悩んでくれていたことを後になって知った。

2020-08-30 09:42:42
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

中学を卒業して札幌に戻った後あの町に戻ったことはない。そして40年以上近く経ったある日、実家に電話がかかってきた。当時の担任の先生からだった。「ゆかりさんは今どうしてますか?」「アメリカに住んでます」「やっぱりー彼女に話すことがあったら、あの時は大変申し訳なかったと言ってください」

2020-08-30 09:49:11
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

母からその話を聞いて、わたしはしばらく泣き崩れた。わたしが卒業した後もずっと大人の都合で子供の心を挫いたことを後悔して、わたしのことを心配してくれていたんだということを知って、自分の中で傷ついていた子供の魂が癒されたように感じた。

2020-08-30 09:56:14
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

ちなみに、当時わたしが提案した計画はなかなかよく案が練られており、多面的に考えられていたと今も思う。保健室にベビーコーナーを作り、大人の監視のもとで有志の生徒が子守をし、家庭科の授業の一部とするなど。今アメリカの高校でも妊娠・出産した生徒向けに似たようなプログラムがあり興味深い。

2020-08-30 10:03:37

総理!今夜もごちそう様! @today_gochisou

@MiyamaeYukari 私も北海道出身です。 漁港の匂い、ウミネコ声、夜の肌寒い感じ、短波ラジオの雑音とか思い出し、懐かしい私のあの時に連れ出されました。 その後幾人もの生徒たちを卒業させた先生でも、謝罪しなければいけないと思う気待ちが実に重く感じました。 こちらこそありがとうございます。

2020-08-31 03:52:16
Mohikaner @kazuoojp

@MiyamaeYukari 驚いた。私も中学の時に親の転勤で小さな漁師町の中学に転校。今までの常識が1日で破壊された衝撃を思い出しました。大体言葉通じない。🤣 これは体験者しか分からんと思うので敢えて言わせてもらうが、あなたは凄い事をしてたんですよ。田舎の北教組の連中相手に奴らに一撃を与えた事は確かですよ。👍

2020-08-30 16:13:53
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

@kazuoojp 当時「戦後の民主教育」に取り組んでいた北教組の先生たちはとても真面目で一生懸命だったというのは子供ながらに覚えています。力が及ばなかったという自覚を長い間抱いて電話をかけてくれた担任の先生のこと、今でも感謝しています。

2020-08-30 21:22:51
Mohikaner @kazuoojp

@tsubuyaki30rou @MiyamaeYukari ずっと心の奥底で引っかかってたんでしょうね。何年経っても勇気がなきゃ出来ない事。彼も苦しい思いをしてきたんでしょうね。

2020-08-30 21:58:25
宮前ゆかり @MiyamaeYukari

@kazuoojp @tsubuyaki30rou そうでしょうね。わたしはこのことですごく救われました。

2020-08-30 22:07:09
Eugene.Tokio🇺🇦🇵🇸tweet.meme(ライフログアカウント) @MonophonicTokyo

一連のツイート、本当に心に刺さりました。 素晴らしい。 青春期のその誠実さが、数十年を経て報われる時が来るなんて。 その連絡をくれた方の誠実さも、見習いたいですね。 目の奥がじわっとしました。 twitter.com/MiyamaeYukari/…

2020-08-30 15:52:06