相塚 松氏による #夏休み妖怪絵日記【詳細解説版】
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がしゃどくろ
【がしゃどくろ】 いつまで続けられるか分からない夏休みチャレンジ企画。今日はその一枚目。こいつを最初に選んだ意味とかは特にない。 #夏休み妖怪絵日記 pic.twitter.com/FTXR5WE9Gv
2020-08-01 23:52:21【解説】 戦死者や野垂れ死んだ者など、埋葬されずに骸骨となった死者たちの怨念が集まると、「がしゃどくろ」という巨大な骸骨の妖怪になる。昼間は姿を見せず、夜になるとどこからかガチガチと音をたててさまよい歩く。人を見つけると襲いかかり、握りつぶして食らうとも言われている。
2020-08-02 01:51:35この妖怪は、昭和中期に創作された妖怪だという話は今や有名である。最初に登場した書籍は『世界怪奇スリラー全集2世界のモンスター』に収録された斎藤守弘による妖怪記事らしい。この妖怪が水木しげるや佐藤有文の著書でも紹介されたことで、より広く知られる妖怪となった。
2020-08-02 02:01:57佐藤有文の『いちばんくわしい日本妖怪図鑑』では、歌川国芳の『相馬の古内裏』という浮世絵を「がしゃどくろ」の挿絵として採用している。水木しげるが描いた「がしゃどくろ」の妖怪画なんかもこの浮世絵に描かれた巨大な骸骨を参考に描かれている。 pic.twitter.com/jnF4n5Xokk
2020-08-02 02:01:58この浮世絵は、平将門の遺児の滝夜叉姫が沢山の骸骨を大宅太郎光国に襲わせる場面を描いている。原作では等身大のたくさんの骸骨が現われるところを、歌川国芳は一体の巨大な骸骨として描いた。がしゃどくろと直接関係はないが、現代におけるがしゃどくろのイメージを決定づけた絵であるといえる。
2020-08-02 02:01:59出自が明らかな創作妖怪とされる「がしゃどくろ」だが、これと似た妖怪で「目競」というものがある。源平の時代に無数の髑髏が平清盛の屋敷の中庭に現われ、それが合体して巨大な髑髏となり清盛を睨みつけたという話だ。
2020-08-02 02:05:55また、水木しげるは戦時中ラバウルで様々な怪現象に出逢ったと語っているが、その中の一つに、頭が異様に大きな髑髏がそこら辺り一帯に転がっていたのを見たという話がある。
2020-08-02 02:05:55実際のがしゃどくろの伝承は無いにせよ、こういった話を集めてみると、骸骨の怨念が集まって巨大化するという話も無い事はないのではと考えられる。そうなると「がしゃどくろ」もただの想像の産物とは断定できないのではないだろうか。
2020-08-02 02:05:55昔は戦やら戦争やらで多くの人がよく亡くなっていた。また、飢饉やら災害やらもよくあったため、野垂れ死になんてのも珍しくない時代が確かに存在した。昔はこういった沢山の無念な人々の怨霊が集まって一つの妖怪になったという話も確かに残っている(『太平記』の「以津真天」なんかが良い例)。
2020-08-02 02:11:43骸骨というのは、誰にも気づかれずに時間が経ってしまった、死体の中でも特に哀れな死体である。そういった者の怨念も、集まれば「がしゃどくろ」のような妖怪に化けて出たくもなるのかもしれない。
2020-08-02 02:11:44平成が終わった頃辺りから日本では地震やら台風やら洪水やら疫病やらといった災害が異常発生している。大量の人間が無念の死を遂げるという事態はもはや日本も過去の話ではない。人々がこういった死者たちの供養を怠る時が来た場合、本当に「がしゃどくろ」が現われる日が来るのかもしれない。
2020-08-02 02:11:44倉ぼっこ
【倉ぼっこ】 二日目。今日はめっちゃササッと描いた。多分こんな感じのがずっと続く。 #夏休み妖怪絵日記 pic.twitter.com/hqLj7ztv73
2020-08-02 23:24:34【解説】 屋敷の倉に住む子供の妖怪。主に岩手県の遠野地方によく伝わってる。「座敷わらし」の一種のようで、特に悪さはしないが、倉ぼっこが家を去るとその家は運が傾くとされている。
2020-08-02 23:58:17子供の妖怪といっても姿を現すことは稀で、ほとんどは音や気配でしか存在を確認できない。 遠野町の村兵という家にいた倉ぼっこは、籾殻を散らしておくと小さな子供の足跡を残したという。綾織村のある家にいた倉ぼっこは、時々糸車をまわす音などを立てたという。
2020-08-02 23:58:18また、遠野一日市町の古屋酒屋という家にいた倉ぼっこは、土蔵に入って来た人に「ほいほい」と声をかけたという。実際に聞いた人の話では、子供の声のようだったという。
2020-08-02 23:58:18遠野といえば妖怪が多く棲む土地として有名で、家に住む子供の妖怪といえば「座敷わらし」が有名である。しかし、それでも倉に住むのは「倉ぼっこ」だと、「座敷わらし」とは別物の妖怪として遠野の人は区別していたようだ。
2020-08-02 23:58:18文献では江戸の本所にも記録が残っているようで、梅原宗得という人の土蔵に倉ぼっこが住んでいたらしい。この土蔵で入って働く人は、にわかに便意を催すとこの妖怪が現われる前兆だといって急いで出ていったという。
2020-08-03 00:34:17この妖怪は倉の守り神として伝えられているようだが、この家では防火の神としても祀られているらしく、この家では火災除けの守り札を出してその霊験を認められていたという。
2020-08-03 00:34:18あるときこの家の近所で火災があり、この家の片づけが間に合いそうになかったとき、顔が見えぬほど髪を長く垂らした見知らぬ女性が倉へ荷物をまとめて火災から守ってくれたのだという。
2020-08-03 00:34:18なんともありがたい妖怪だが、遠野ではこの妖怪の姿を直に見かけた家は、その後みな家運が傾いたという。つまり、この妖怪が人前に姿を現すのは、この家を去る前兆になっているらしい。
2020-08-03 00:34:19遠野の砂子沢の沢田という家では、赤塗りの手桶などをさげた倉ぼっこの姿が人の目に見えるようになってから運が傾いたと語られている。 遠野では「座敷わらしを見た」という話を嬉しそうに語るのをよく見かけたが、「倉ぼっこを見た」という話になると良くないことの前触れとなってしまうらしい。
2020-08-03 00:34:19