編集可能 アプリで作成
2020年9月7日

個性や知性など

個人のメモです
10
光岡英稔 @McLaird44

個性を大切に、個性が重要だと言われる世の中なら何を指して個性、個性と呼んでいるかが問われてくる。 武術を教え伝えている者として常々感じることは指導者として何度も人の個性を潰してしまったことである。 そこで気づいたことがある。

2020-09-04 22:44:49
光岡英稔 @McLaird44

それは皆が何か動きやある技を成功させた時に、そこに個性が感じられないことである。 私は誰かに誰かの技や動きを真似させていただけで、それが流派体系の動きや技であるから、そこを断片的にも正しさの規範にしていた。

2020-09-04 22:44:50
光岡英稔 @McLaird44

そこは普遍的な正しさでないが、その断片的な正しさが規範になると錯覚が生じ、当人が当人の個性を否定し始める。 ここは本当の個性を発見する過程と試練の一部なのかも知れないが、指導者としては気をつけないと習う人の“正しさへの錯覚”が間違って導かれてしまう。

2020-09-04 22:44:50
光岡英稔 @McLaird44

しかし、実は気づいたことは此の重要な話しとは関係するも、全く別の話である。

2020-09-04 22:44:51
光岡英稔 @McLaird44

それは、個性とは成功にはなく、その人が失敗した時こそ、その人の他の誰にもない個性が垣間見える時がある。

2020-09-04 22:44:51
光岡英稔 @McLaird44

となると成功とは何らかの、私たちとは関係ない原理や法則に従い導き出されたことであり、私たちは成功のために自らの個性を犠牲にしているのかも知るない。 これが人間の性や業と深く関わっていることに改めて気づけた。

2020-09-04 22:44:51
光岡英稔 @McLaird44

その気づきは、人間が「失敗できる生き物である」ことが「人間が進化して来た直接的要因であり」、「それ故に人間は個性を重んじたり大切にしようとしてるのかも知れない」ことである。

2020-09-04 22:44:52
光岡英稔 @McLaird44

兵法武学研究会でもよく 「失敗には個性が生じ、成功には個性がない」 と言ってはいたものの、その言葉の真意を改めて考えさせられている。 それも、何か特に何らかの出来ごとがあった訳でもなく、家でボーッとしていた時に急に改めて気づいただけである。

2020-09-04 22:44:52
光岡英稔 @McLaird44

家族や、子供たち、自分を見ていて気づいたことと言えばそうかも知れないが、人の個性とは改めて成功からは導き出されにくく、その人の最も“その人らしい所”はその人の失敗する姿から見えてくる所であり、それこそがその人の個性である。

2020-09-04 22:44:52
光岡英稔 @McLaird44

そう考えると、個性、本性を見せたがらない自分が居る。それは個性や本性を見せたくないのではなく、失敗する姿や、弱さを見せたくない気持ちがあることと関係する。

2020-09-04 22:44:53
光岡英稔 @McLaird44

この辺りの個性を大切に、重んじられる教えや教伝体系になるには必ず人間が失敗する姿を自他ともに許せる体系でなければ成立しない。無論、その体系を伝え教える者も然り自他に失敗や弱さを認められる者でないと務まらない。

2020-09-04 22:44:53
光岡英稔 @McLaird44

その人の失敗を個性とし、弱さを本性とすることが人間であることを認め行くことになり、その弱さと失敗をすることを少しずつ自分の強みへと転換して行く術が武術であることに改めて気づけた。この事には感謝しかない。

2020-09-04 22:44:53
光岡英稔 @McLaird44

失敗することや弱さが下手すると瞬時に自分や周囲の者たちの一命に関わる武の世界で、この失敗や弱さを如何に扱うかは一大テーマであり、武の根本的な問いでもある。

2020-09-05 15:20:56
光岡英稔 @McLaird44

私たちの本能は失敗や苦しかった経験や嫌な記憶を忘れようとする。“それは過ぎたことだ”と現在進行形にある現実に私たちを連れ戻そうとしてくれる。

2020-09-05 15:20:57
光岡英稔 @McLaird44

しかし、過去の経験で私たちが思い出せる範囲のことに私たちのアイデンティティーがあり、人間の社会性があり、種のアイデンティティーがある故に私たちは記憶を身体に、そして頭の中や外の世界に書き残そうとする。 それが知性と呼ばれている種の一つの特徴である。

2020-09-05 15:20:57
光岡英稔 @McLaird44

この知性(Intelligence)が働かなければ人間的な自我(エゴ)は働かなかっただろう。 知性なき人は、もう少し小規模の破壊や駆逐しかしなかっただろうが、それは「もし、たら、れば」の話しにしかならない。 よって私たちに残された道は、知性の本質を知って行くための知性を磨くことぐらいしかない。

2020-09-05 15:20:58
光岡英稔 @McLaird44

知性(intelligence)で先ず知って置きたいことは知性(intelligence)が高ければ高いほど屈折した自我(エゴ)が働きになってしまえることである。

2020-09-05 15:20:58
光岡英稔 @McLaird44

ようは“知っている””分かっている”が“できない”ことは自我(エゴ)を傷つけるが、そこから本能(エゴ)と知性が協力し「できるようになろう」とする。 それだけでなく「何故できないのか」や「何故できるのか」などが、その反動で知られて行く過程で経験的な知識が増え、知性と自我(エゴ)が増長して行く。

2020-09-05 15:20:58
光岡英稔 @McLaird44

失敗や弱さを許せる体系や個人は「知性(インテリジェンス)のなさ」を許せる者や体系でなければ、それは自我(エゴ)の増長を促進させる体系になってしまう。 それが現代社会や人類史で象徴されているように私たちの自我、知性、本能が総出で私たちをも含む自然界の様々な存在を駆逐しようとしている。

2020-09-05 15:20:59
光岡英稔 @McLaird44

これは余り知性的(インテリジェント)な知性(インテリジェンス)の使い方ではない。

2020-09-05 15:20:59
光岡英稔 @McLaird44

まず、エゴイスティックな知識層・インテリ層(so called Intelligent people)が知性(intelligence)を知性的(intelligent)に扱えてない問題と、突き詰めた先に「身体性なき知性」が問題の根幹にあることに知性が気付く必要がある。

2020-09-05 15:20:59
光岡英稔 @McLaird44

そのためにも一度は知識や知能、知性を横に置き、身体へと集注を向け、そもそもの知性、知能、知識、自我、本能の出処となる源泉に注目を移す必要がある。仮に知識や知性を少し横に置いて休めても無くなるものではない。

2020-09-05 15:21:00
光岡英稔 @McLaird44

また、知性と知性は打つかるように出来ている。 本能の本能が打つかり、生命と生命が打つかるように同じ環境に住む同種同士ゆえの同環境での衝突が生じる。

2020-09-05 15:21:00
光岡英稔 @McLaird44

例えば「韓氏意拳」のような武術/拳法の体系としての歴史もあり、知性の蓄積がある体系に出会う人間が知性的であれば有るほど個人の知性、自我(エゴ)、プライドが傷つく場合がある。

2020-09-05 15:21:00
光岡英稔 @McLaird44

それも中国文化圏の体系である故に「文字文化的身体観」が体系のルーツにある故に私たちの知性は更にエゴやプライドが砕かれる場合があり得る。

2020-09-05 15:21:01
残りを読む(23)

コメント

ティルティンティノントゥン @tiltintninontun 2020年9月7日
成功に至る道のりや思考は個性に支えられるが、それで成功に到達したら型に入る、失敗したらその個性が露わになる、かな?
0
まあちゃん02 @eK0SV72lWxlYb8L 2020年9月7日
失敗し敗北した時にその人の本質が出るのか…
0
まあちゃん02 @eK0SV72lWxlYb8L 2020年9月7日
何かで読んだんだが「学校部活の目的は協調性を高める、目標に対して効果的な計画を立てると色々有るが、最大の目的は『失敗を体験させる』事だ。失敗した時どの様に振る舞うかを教える為に部活はある」とあって印象に残っている。このまとめの「失敗した時にその人の個性が一番出る」を読んで思い出した。
0
sdff @jkgkikllh 2020年9月7日
理を得るとはエントロピーを縮小させる行為
0