震災の伝承の難しさ〜1891年の濃尾震災の例〜

1891年の濃尾震災の106年後、1997年に私は、この濃尾震災で九死に一生を得たという(当時の)被災者の女性の曽孫(ひ孫)(私自身が)だったことを認識した。これを事例として、震災の伝承の難しさと、その周辺の事情についてtweetしたので、まとめました。
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MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

関東大震災の番組を見ながら97歳の母(その年生誕)が言うには、その母(私の祖母)は関東から十数時間かかって大垣まで避難してきた人を、うちに泊めてあげたと。それで私もそうなんだ(困った人には自分がなくてもあげてしまう)と母は言っていた。実は僕もそうだと言いそうになったがやめた(笑)。

2020-09-11 09:20:38
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

M8の巨大地震は普通は海底が震源。しかし例外は1891年の濃尾震災。震源は岐阜県根尾村の水鳥(みどり)断層。昔の理科の教科書には6mの断層写真は定番だった。その時、大垣の私の曽祖母は嫁入り直後。大垣は震源に近く、家屋が倒壊。曽祖母は閉じ込められたが、その家は指物師。鋸で何とか救出された。

2020-09-11 09:32:35
おがさ @ogeoge1234

@y_mizuno 根尾断層は 昔個人の観光で行きました 断層は意外に周期長いのでしばらくは大丈夫でしょうか?

2020-09-11 10:20:10
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@ogeXj45MXGY0f6t あれくらいの巨大地震になりますと、何と今でも、大森・宇津の法則に従う頻度で、余震があるとか。濃尾震災は1891年ですから120年後も続くんだと、驚いたことがあります。 この調査によると、3000年に1回より頻度は低そうなので、あの地域の巨大地震の確率はほぼゼロだとか。 jishin.go.jp/main/chousa/05…

2020-09-11 15:06:03
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

承前)この話を私は、1997年頃に聞いた。そして驚愕した。何故なら、この時にもし、曽祖母が救出されていなければ、私は存在しなかったからが一つ。もう一つは、こういう話(一種の災害伝承)がいかに伝わりにくいものか、実感したから。1995年の阪神淡路大震災の後だから、話が聞けたのだろうと思う。

2020-09-11 15:11:26
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

話が前後したが、この濃尾震災は1891年(明治24) 10月28日午前6時37分で、朝御飯の準備などで火を使う時刻。火災が多く発生したらしい。私の曾祖母の場合も、火の手が迫ってきていた中で、鋸で救出されたと母は言った。これは、阪神淡路大震災で我々が認識したそのまま。私は言葉も出なかった。

2020-09-11 15:25:43
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

その後、私は何回か、濃尾震災について調べる機会があった。その中で、2つのことを記しておきたい。第1に、この濃尾震災では、当時の地震計も振り切れ(役立たず)、家屋の倒壊も著しく、この国家的惨状を契機に、日本の本格的な地震研究・防災研究が始まったという事実だ。 bousai.go.jp/kyoiku/kyokun/…

2020-09-11 15:33:35
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

承前)第2の発見は、伝承すべき大災害の記録を、県立図書館が詳細に保存し、伝えようとしている事実だ。2000年頃だったと思う、私が岐阜県図書館で発見した記録で最も驚くべきは、当時の帝国大学(東京の)が調査したアンケート結果。手書き墨筆の解答用紙がそのまま多数、保存されていたことだった。

2020-09-11 15:40:25
Shuuji Kajita @s_kajita

@y_mizuno 昨年、根尾谷断層を見てきました! twitter.com/s_kajita/statu…

2020-09-11 15:16:52
Shuuji Kajita @s_kajita

今から128年前(1891年)に発生したマグニチュード8、国内最大の内陸型地震である濃尾地震。その震源域にできた根尾谷断層に行ってきました。 pic.twitter.com/NxG836iZBM

2019-05-03 18:32:36
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@s_kajita はい、私も10年くらい前に、行ったことがあります。

2020-09-11 15:43:22
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

岐阜県の当時の根尾村、水鳥(みどり)地区にできた落差6mの根尾谷断層。 geo-gifu.org/geoland/2_katu… この写真が、私が子どもの頃に目にした理科の教科書に、よく出ていた。多くの教科書を見ているはずはないので、図鑑とか、報道とか、色々な所で目にしたのだろうと思う。私は出身が岐阜市なので。

2020-09-11 15:56:45
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

濃尾震災の件、もう一つ書いておきたい。それは震災救援の医療ボランティアの端緒も、この濃尾震災にあったという事実。当時の窮状から医療救護支援が行われた。阪神淡路大震災の後、西宮YMCA館長の山口氏からYMCAが駆けつけたと聞いた。「今とおんなじや」と言っておられた。jstage.jst.go.jp/article/taikai…

2020-09-11 16:13:04
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

明治24年というと、明治19年の帝国大学令で、それまでの東京大学は帝国大学と名前を変え、明治30年に東京帝国大学になる前。明治23年は、憲法ができた後、明治の大合併の頃。行政区画も文化もまだ江戸時代のままだった。だから帝大の調査の回答文の多くは江戸時代の崩字が使われていて非常に興味深い。

2020-09-11 16:22:22
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

承前)その後、明治初期の人々は、江戸時代の独特の崩字を使っていたと知った。特に、帝大からの調査アンケートである、その村々の長老格の人々が書いた(回答した)と思われる。だから高齢だろうし、余計に江戸時代のままの書き方だったと、どこかで読んで妙に納得したことを覚えている。(終わり)

2020-09-11 16:26:46
えーたろう💉💉💉💉💉 @yasegamanA

「当時の帝国大学(東京の)が調査したアンケート結果。手書き墨筆の解答用紙がそのまま多数、保存されていたことだった」 すごい。 twitter.com/y_mizuno/statu…

2020-09-11 16:24:35
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@yasegamanA 回答用紙が、そのまま保存されていたと言っても、私が見たのは、ゼロックス・コピーでした(ファイルの中の)。でも、コピーを取れるくらいには、オリジナルがきっと残っていて、どこかで見られるのではないか、とも思いました。

2020-09-11 16:29:07
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

追記。濃尾震災の時の医療支援活動については、私は伝聞(又聞き)だけでなくて、自分でも写真で確認したことがあった。これも岐阜県図書館で見たと思う、ある白いテントの前で数名の看護婦と、医師もいたと思う、一枚の写真に納まっていた。その写真が入った記録写真集を、私は購入したはずである。

2020-09-11 16:42:33
雄介(math) @shoukax

鉄道唱歌の名古屋の歌詞で、地震の話、まだ消えぬとでてくるやつか。 twitter.com/y_mizuno/statu…

2020-09-11 17:16:05
MIZUNO Yoshiyuki 水野義之 @y_mizuno

@shoukax そうでしたね。すっかり忘れていて、思い出せて有り難かったです。1900年の作詞だったようなので、震災後、9年。それはちょうど、東日本大震災のあとと同じなので、さもありなんというところですね。 ♪「名高き金の鯱は 名古屋の城の光なり 地震の話まだ消えぬ 岐阜の鵜飼も見てゆかん」

2020-09-11 19:09:02