【ツェッペリン飛行船と世界初の民間航空事業/後編】

20世紀初頭、幾多の困難を乗り越えて巨大な硬式飛行船を完成させたツェッペリン伯爵。 今や、伯爵と彼の飛行船は、前人未到の領域へ果敢に飛躍する時を迎えようとしていました。 それは同時に、更なる試練の始まりでもあったのです。
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HIROKI HONJO @sdkfz01

【ツェッペリン飛行船と世界初の民間航空事業/後編】 20世紀初頭、幾多の困難を乗り越えて巨大な硬式飛行船を完成させたツェッペリン伯爵。 今や、伯爵と彼の飛行船は、前人未到の領域へ果敢に飛躍する時を迎えようとしていました。 それは同時に、更なる試練の始まりでもあったのです。 pic.twitter.com/8E9zfbuHei

2020-09-19 17:45:36
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ツェッペリンが硬式飛行船を完成させるまでを描いた前編はこちら。 togetter.com/li/1587201

2020-09-19 17:45:58
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1908年9月、伯爵は満を持し、飛行船建造を手掛ける「ツェッペリン飛行船有限会社」を設立。同社はフリードリヒスハーフェンに本社を置き、この地に巨大な格納庫兼工場を建設しました。ここが近い将来、ドイツ軍空中艦隊の一大根拠地に発展するなど、当時の人々は知る由もなかったでしょう。 pic.twitter.com/xKkXE532q0

2020-09-19 17:46:33
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最初の発注は、ツェッペリンの長年の夢であったドイツ陸軍からもたらされます。かくしてLZ4の姉妹艦であるLZ5が建造され、1909年に軍に引き渡されました。 pic.twitter.com/H6m6XolANv

2020-09-19 17:47:04
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LZ5はその年、早くも30時間という滞空記録を打ち立てます。これは動力飛行の世界最長滞空記録を大きく塗り替えるものでした。姉が果たせなかった夢(LZ4は24時間耐久飛行の途上で喪われた→前編参照)を、LZ5は見事成し遂げたのです。 pic.twitter.com/kov7iO7xEX

2020-09-19 17:47:39
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しかし、陸軍のLZ5に対する評価は芳しいものではありませんでした。否、正しい評価を陸軍は下せずにいました。彼らが飛行船に求めていたのは、飽くまで戦術的な偵察能力と、対地支援攻撃能力であり、ツェッペリン飛行船が有する並外れた航続力と搭載能力は明らかにオーバースペックだったのです。 pic.twitter.com/PjIqNVOelE

2020-09-19 17:48:12
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陸軍が考える用途には、小型の軟式飛行船や観測気球を量産する方がコストパフォーマンスで優位にあることは明らかです。一方、伯爵が夢想する空中艦隊の一員としては、LZ5の能力は余りにも未熟でした。正に、帯に短し襷に長し、といった状態です。 pic.twitter.com/oK6FqCHvHN

2020-09-19 17:48:43
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1910年、LZ5は事故により喪われます。以後、陸軍は硬式飛行船の採用を中止し、第一次大戦の直前に至るまで、発注は行われなくなります。また、ドイツ海軍ではLZ4の事故以来、テルピッツ海軍大臣その人が硬式飛行船に不信感を抱き、導入を阻止していました。 pic.twitter.com/9MIwScHCg8

2020-09-19 17:49:16
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ここに、軍用飛行船の建造で会社を維持していく見込みは全く失われたのです。もはや「お約束」の感がありますが、ツェッペリン伯爵はまたもや壁にぶち当ったのです。 pic.twitter.com/AsCXz0YSOp

2020-09-19 17:49:47
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止む無く、ツェッペリン伯爵は当面の間、民間航空に活路を求めることを決断し、1909年、「ドイツ飛行船運輸会社」(Deutsche Luftschiffahrts-Aktiengesellschaft, 略称DELAG社)を設立します。 pic.twitter.com/0jUAgsxSQK

2020-09-19 17:50:24
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この会社が、単なる遊覧飛行から出発して、数年のうちにドイツの都市間を結ぶ複数の航路を持つ世界唯一の旅客航空会社になるとは、誰が予想しえたでしょうか。しかし、その道のりもまた、平坦さとは程遠いものでした。 pic.twitter.com/wAyUVKfIFc

2020-09-19 17:50:59
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DELAG社の事業は、陸軍が受領を拒否したLZ6を引き取り、細々とした遊覧飛行と郵便輸送を行うことからスタートしました。 今一つ冴えない経歴のLZ6ですが、画期的な新機軸が投入されています。飛行機械としては世界で初めて無線通信機が装備され、航行中、地上と交信を行うことが出来たのです。 pic.twitter.com/UHqwx2hAP9

2020-09-19 17:51:31
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画像は1909年の処女航海でベルリンに飛来し、手厚い歓迎を受けるLZ6と伯爵。 pic.twitter.com/imA7SDRO4q

2020-09-19 17:52:11
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デュールやエッケナーも一時期LZ6の船長を務め、最大20名の旅客を乗せ、バーデンバーデンやストラスブルクへ観光飛行を行っています。(画像はLZ6の搭乗員と地上要員) pic.twitter.com/iHSJhepokB

2020-09-19 17:52:40
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こちらの画像は格納庫内で水素ガスの供給を受けるLZ6。 pic.twitter.com/LZvJH7PscC

2020-09-19 17:53:21
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1910年6月、DELAG社待望の本格的旅客船が就役します。LZ7「ドイッチェラント」です。全長148m、直径14m、体積19,000㎥。これまでにない破格の大きさですが、強力なダイムラー社製120馬力エンジンを3基搭載し、最高速度は時速60キロを誇りました。 pic.twitter.com/rldqDDg5mh

2020-09-19 17:53:53
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特筆すべきは、旅客船として相応しい30人乗りの船室を備えていたことです。DELAG社は、この船を使ってドイツの都市間を結ぼうと企てていました。 ツェッペリン伯爵もまた、祖国の名を冠したこの船により、かつて自分を破滅の淵から救ってくれたドイツ国民の負託に応えようと決意していたのです。 pic.twitter.com/Lw7YYpWj3J

2020-09-19 17:54:40
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同船は、中西部の大都市フランクフルト・アム・マインと、温泉で有名な保養地バーデンバーデン間の航路に就役する予定でした。 pic.twitter.com/e20fe0bCxx

2020-09-19 17:55:33
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1910年7月19日、LZ7は処女航海に発ちます。ツェッペリン自らが指揮を執り、フリードリヒスハーフェンから北へ400キロ飛行。群衆の大歓呼を受けながらデュセルドルフに入港したのです。同市はLZ7の当面の母港となりました。(画像は伯爵を迎える市長) pic.twitter.com/7k7w3aHt34

2020-09-19 17:56:00
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1910年6月28日、23名のジャーナリストを船客として招待し、LZ7は檜舞台に臨みます。シャンパンとキャビアを大量に積み込み、目指すは風光明媚なヴェッペル渓谷。この飛行で彼らを大いにもてなし、空の旅の豪華さと快適さを宣伝してもらうのが、DELAG社運行部長フーゴー・エッケナーの狙いでした。 pic.twitter.com/SXDE2XtdCG

2020-09-19 17:56:58
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華麗なデビューとなる筈だったこの航海は、惨めな結末に終わる運命でした。 強風とエンジン故障のため、森林地帯への強行着陸を余儀なくされ、船体が甚大な損傷を受けたのです。乗員一人が軽傷を負っただけで済んだのが、不幸中の幸いでした。 こうしてLZ7は僅か一月の短い生涯を閉じたのです。 pic.twitter.com/gkgqQtzEes

2020-09-19 17:57:34
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それから幾月も経たない1910年9月、LZ6がハンガー内での整備中に失火による火災で喪われます。ここに、DELAG社の稼働可能な飛行船はゼロとなったのです。まさに踏んだり蹴ったりですが、同社の不運はこれに終わりません。 pic.twitter.com/dmpQO88N7n

2020-09-19 17:58:02
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1911年の春に完成したLZ8「ドイッチェラントⅡ世」までもが、就役後まもなく強風による事故のため破壊されたのです。バーデンバーデン-マンハイム間等を34回飛んだ矢先の出来事でした。 pic.twitter.com/13n6tm0RiM

2020-09-19 17:58:57
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このときも負傷者は出なかったとはいえ、相次ぐ醜態はDELAG社に大きなダメージを与えました。国民世論は依然として同社に好意的でしたが、専門家の間では飛行船に対する懐疑論が息を吹き返し、社内からは事業の採算性について悲観的な声が上がるようになります。 pic.twitter.com/jeIRmWmAVu

2020-09-19 17:59:50
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このとき、伯爵を支え、DELAG社未曾有の危機に立ち向かったのが、運行部長フーゴー・エッケナーです。LZ8の船長も兼任していた彼は、飛行船の運用上の欠陥を誰よりも知悉していました。DELAG社再生のため、彼は矢継ぎ早に対策を打ちます。 pic.twitter.com/LbBHBSvlaI

2020-09-19 18:00:14
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