自他境界 『自分と他者は、別のものである』

自他境界とは、『自分と他者は、別のものである』という境目又は輪郭のようなものです。 この自他境界があいまいになっていることで、人間関係に支障をきたしやすくなったり、心の不安定さを巻き起こしたりします。
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なん・抜け首・佐川 @nankuru28

息子が療育に通ってる頃、4歳とかぐらいの頃。 同年齢の子で、卵焼きが大好きで、他の人のお弁当を覗き込んでは、とってく子がいてね(^◇^) その子のお母さんも「ダメよ」言ってたんだけど。 私のところに来た時に 「あたしの!」 ってお弁当抱え込んでみたの(^◇^)

2020-09-20 21:32:39
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

その子、ビックリして、フリーズしてたからね。 (^◇^) 私の推測では、多分、その子はね。 「自分」と「他人」の区別がおぼろげだったんだと思う。 卵焼きしか、見えてなかった、みたいな?

2020-09-20 21:34:27
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

他の子も、ママさん達も、フリーズしてたけどね。 (^◇^) 私はね「あたしの!」「僕の!」の感覚が先にないと、 「人が嫌がることはしない」とかなんとか、無理じゃね?って段階のイメージがある。

2020-09-20 21:37:28
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

赤ん坊の「人見知り」は、その感覚の先駆けのように感じている。 「自分の知っている人」と「それ以外」の。 昔ダンナが「はいはい、ママじゃない奴!ね!」 言って、笑ってた(^◇^) 人見知りをあんまりにもしない場合、ここの基盤が脆弱かもね、の疑いは持ったりするよ。

2020-09-20 21:42:41
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

息子は、子供が集まる場所が嫌いだったんだけど、のちにその理由を「ママってみんなが言うから」と語って、驚愕したことがあったよ。 彼にとってはママは私・なんであり、他の子が他の人をママと呼ぶのは「間違い」なので、腹が立つから嫌いだった、んだって。 そこには「僕のママ」の感覚がない。

2020-09-20 21:44:30
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

「僕のママ」、僕の椅子、僕のカバン、僕の席… 全てにおいて「僕の!」の感覚が無ければ、「他の人の!」の感覚も生まれない。 卵焼きを食べたいがあって。 「誰のものか」が無いなら。 そりゃ、目に入ったら全部食べようとするよ?

2020-09-20 21:47:44
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

だからね。やってみたの。 「あたしの!」 って。言葉も動きも態度も全部で「あたしの!」を表現して、見てもらった。自他境界レッスンゼロと呼んでもいいんじゃなかしらねぇ(^◇^)

2020-09-20 21:49:33
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

全然、やさしくない(^◇^) 障害がある4歳児と対等にケンカしてるかのような態度であるから、皆、フリーズ!当然である(^◇^) でも伝わったらしく。 「あたしの!」は、二人の間でちょっとしたブームになって、しばらく「あたしの!ごっこ」は熱かった!

2020-09-20 21:51:39
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

療育施設においてあるおもちゃは「誰のもの」で、「どんな順番で遊べるのか」は、実はとっても難しい課題なのだ。 「みんなのものだから、順番ね!」 どれだけの【段階】が必要か、ちょっと驚くよね。 お弁当が「それぞれの人のもの」で「あたしの!」もわかってない子なら、難しいに決まっとるのだ。

2020-09-20 21:54:40
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

母子関係でやるのは、少し難しいので。 療育施設に通ってる頃は、この子のママさんと話して 「子供トレード」したりしてたよ(^◇^) 私はその女の子と「あたしの!ごっこ」をして。 うちの息子は、その女の子のママさんにおんぶしてもらったりして。 あれは、私はよかったなぁって思い出だ。

2020-09-20 22:03:39
なん・抜け首・佐川 @nankuru28

障害児の療育の話だろ、ってなりがち、なのだけど。 ここの「あたしの!」「僕の!」の感覚は、性教育の基礎だって言えたりもするのだ。 私の体は誰のもの?誰の許可があったら「触っていいものになる?」 スカポンタンなままの大人だって多いんだから。

2020-09-20 22:20:15